温泉山知恩堂、雲仙回峰行と、その修業堂を紹介していますが、ここ知恩堂も、行基洞と同じく、圧倒されそうな巨岩群が林立し、そこの岩をくぐり抜けたところにあります。このくぐりを、胎内めぐりと云って、仏の胎内に入り、身を清め、心の安心を願うものと云われています。
高岩山にも、その跡があり、各地の霊場にも見受けられ、特に奈良の大仏の胎内めぐりは有名です。
場所は、札ノ原小地獄バス停から、歩いて十分位の所で人里離れた深山幽谷の世界が広がりささやかな庵があります。
今の知恩堂は、中興の祖である豊田カヨ尼僧で、霊感によって開山されたとも云われ、当時、目のくらむような絶壁の途中の畳三枚ぐらいの広さに、むしろ作りで雨露をしのぎ、修行されたとのことです。
自分に厳しく、身体の極限までの、筆舌に絶する荒行で、遂に霊感を授けられ、衆生済度に尽くされたと云われています。昭和四十四年、八十八才で逝去。しかし、カヨ尼僧の徳を慕って、今でも各地から参詣者が後を絶えません。
現在、毎月、一日、十五日、と、カヨ尼僧の命日の二十四日は、近くに住まいの尼僧の縁類の方が、お祭りをされています。
高岩山にも、その跡があり、各地の霊場にも見受けられ、特に奈良の大仏の胎内めぐりは有名です。
場所は、札ノ原小地獄バス停から、歩いて十分位の所で人里離れた深山幽谷の世界が広がりささやかな庵があります。
今の知恩堂は、中興の祖である豊田カヨ尼僧で、霊感によって開山されたとも云われ、当時、目のくらむような絶壁の途中の畳三枚ぐらいの広さに、むしろ作りで雨露をしのぎ、修行されたとのことです。
自分に厳しく、身体の極限までの、筆舌に絶する荒行で、遂に霊感を授けられ、衆生済度に尽くされたと云われています。昭和四十四年、八十八才で逝去。しかし、カヨ尼僧の徳を慕って、今でも各地から参詣者が後を絶えません。
現在、毎月、一日、十五日、と、カヨ尼僧の命日の二十四日は、近くに住まいの尼僧の縁類の方が、お祭りをされています。