三鈷の松

空海さん伝説の三鈷の松ネットワーク

温泉山知恩堂

2006-07-31 19:09:19 | 史跡名所
温泉山知恩堂、雲仙回峰行と、その修業堂を紹介していますが、ここ知恩堂も、行基洞と同じく、圧倒されそうな巨岩群が林立し、そこの岩をくぐり抜けたところにあります。このくぐりを、胎内めぐりと云って、仏の胎内に入り、身を清め、心の安心を願うものと云われています。
 高岩山にも、その跡があり、各地の霊場にも見受けられ、特に奈良の大仏の胎内めぐりは有名です。
 場所は、札ノ原小地獄バス停から、歩いて十分位の所で人里離れた深山幽谷の世界が広がりささやかな庵があります。
 今の知恩堂は、中興の祖である豊田カヨ尼僧で、霊感によって開山されたとも云われ、当時、目のくらむような絶壁の途中の畳三枚ぐらいの広さに、むしろ作りで雨露をしのぎ、修行されたとのことです。
 自分に厳しく、身体の極限までの、筆舌に絶する荒行で、遂に霊感を授けられ、衆生済度に尽くされたと云われています。昭和四十四年、八十八才で逝去。しかし、カヨ尼僧の徳を慕って、今でも各地から参詣者が後を絶えません。
 現在、毎月、一日、十五日、と、カヨ尼僧の命日の二十四日は、近くに住まいの尼僧の縁類の方が、お祭りをされています。

温泉山坊主岩(展望岩)

2006-07-30 23:53:22 | 史跡名所
 坊主岩、坊主谷、有名な山伏修験の各地の霊山と同じように、温泉山にも、その一つである回峰修行の跡が残っています。回峰修行とは、各峰にある修業堂を巡り、それぞれ異なった厳しい修法をするものです。
 温泉岳の山容は、仏像の蓮台のように、八葉のハスの華を表しているといわれています。そして、この修行のなかに、恐怖の「のぞき」と呼ばれる所があります。そこは、目の眩むような絶壁の先端に、先達の山伏が修行僧の身体を縄でしばり、上半身を突き出し、谷底をのぞかせながら、谷に向けて、大声で自分を「懺悔」させるものだったそうです。 
 温泉山では、その場所を坊主岩、坊主谷と呼ばれ、昔、途中の道に「天竺」(インド)と書いた立札があったそうですが・・・。昔地図には、展望岩と書いてあります。
 場所は絹笠山の裏側にあたり、目の眩むような深い谷のすぐ下に、上山領があり、千々石湾、遠く大村湾、太良岳が一望にみえる景色のよいところです。
 絹笠山登山道から登る途中にあったそうですが、現在その道は残念ですが全くわかりません。(胎内めぐり、座禅石、坊主岩、坊主谷、回峰修行跡と探るほどに、この霊場温泉岳の全盛の当時が偲ばれてならない。)

温泉山満明寺石碑

2006-07-29 00:48:36 | 史跡名所
 温泉山石書法華塔碑銘、満明寺境内入口の手洗い石の傍に、左肩が欠損した平らな石碑が建っています。(保存状態が悪く、文字の判別が現在困難になっている)
「伊勢渡海郡恵純謹建 皇和文化十年(一八一三)十一月」とある。
 碑文を要約すると、渡海目標の山で「日本山」と呼び、天皇勅願による僧行基開山の由緒ある霊山と称えたものである。このことから、伊勢、熊野の僧との深い交流が察しられています。一方、伊勢、熊野の僧と雲仙の僧とが、一緒に唐に渡海していたことを刻んだ碑が、大阪、泉南市の林昌寺という寺に残っています。
 「渡海行人、肥前国之住温泉山祐海上人 永録八年(一五六四)ニ月二十八日」
 渡海碑が現存するこの林昌寺は、真言宗御室派で、聖武天皇の勅願寺として、僧行基が開創、旧山号を温泉山と呼び、雲仙の祐海上人が、中興の祖と伝えられており、満明寺と相通じていることがわかります。
 加津佐の岩戸山も、当時、海辺の修行道場として、補陀落(観音菩薩)渡海信仰の地と云われています。
ONE MORE THING
 子供がどんどん減っている、田舎程激しく複式学級が増え小学校・中学校の統廃合が加速的に進んでいる・・・。それに反して医療が進み老人が増えている。
 この結果、あと10年後・20年後日本はどうなっているのでしょう?
さらに若い世代は・・・仕事でバイトを毎年夏の忙しい期間使っているとホント情けない学生が多い。無気力・無関心・他人とまともにコミュニケーションがとれない学生が増えている。積極的に他人と話をしないで逃げている。電話にも出ない・・、仕事についても、他人に無関心で、みんながバタバタ仕事をしていても、気にもとめずさっさと自分一人だけ帰ってしまう。

温泉山高岩山 一夜大師

2006-07-28 22:44:45 | 史跡名所
 高岩山山中の一夜大師、前述の「空照像」から更に、細いけもの道を五十米ほど登ると、巨岩群が現れ、その中の石窟の一つに、大師座像が建立されています。特にこの入口付近は、険しく、木や枝等を伝って、よじ登るほどの道となっています。
入口に、「西有家四国奥の院一夜大師」と書いた立札と、奥の院岩大師御詠歌
 ”ふみしめて のぼる御山の岩大師 慈悲の利益を残します”
 の立札があります。
 空照という修業僧が、百日修行をしたところといわれ、当時、有家町見岳名の信者の人たちが、セメント、砂など空照師を中心に、険しい道を石窟まで担ぎあげ、一夜のうちに、弘法大師像を完成させたといわれています。
 このことから、一夜大師の名がついています。
 周囲の山容からみて、この巨石群石窟は満明寺全盛時代の、回峰修行跡の一つと考えられ山伏修験の流れをくみ、回峰修行をしたものと思われます。
ONE MORE THING
 土曜日の授業の復活を!先生の労働時間が問題なら、生徒がいない「春休み・夏休み・冬休み」は休めばいい、自己満足としか思えない無意味な研修とかなんとか止めればいい。
 子供がいて子供と接してこそ先生の役目でしょう。子供がいない学校へ行ってなんになるのか?(昔の先生は良かった・・・、今の学校は事故が怖くて何もしない、何もできない。)教育委員会は無くせば良いのに!
 土曜日を復活すると・・子供も無理な授業計画でなくなり、共働きの親も助かるのに。

温泉山 空照像

2006-07-27 20:54:27 | 史跡名所
 高岩山山中の空照像、残念ながら現在たどり着く事ができません。温泉山の最後の修験僧と言われています。1994年11月6日の「雲仙公園ビジターセンター」主催の「雲仙歴史散策ツアー」で西久海氏を講師に、当時その場所まで案内されて行ったのですが・・・。(宝原園地から高岩山への登山道の途中から道無き道を植林の中へ進んで行きました。)
 何度か、この話に興味を持たれた方とも、小生も1度挑戦したのですが、山中で迷子となり、辿り着けませんでした。
ONE MORE THING
 小学生の学力低下と二極化(できる子と・・・・)。土曜日が完全休み、わけのわからん「綜合学習」とか「ふれあい学習」とか、中学生では、さらに不思議な「社会体験学習」(5日間も旅館とかで毎日朝から夕方まで働く・・?)とかで授業数が減っています。
 親が教育熱心・お金に余裕があるところは、塾などに行き授業にもついていけるが、そうでない家庭の子、例えば共働き自宅でゲーム三昧の子供は・・・。
 その後基礎学力がないまま、中学へ高校へ進学すると・・・? 

温泉山四面神伝説

2006-07-26 21:02:37 | 史跡名所
 温泉四面社伝説、十三世紀の蒙古襲撃のとき元軍に「一身三面」の勇士があらわれ幕府軍を強力な力で攻撃してところ、幕府軍に「一身四面」の勇士が忽然と現れ、元軍の「一身三面」の敵を撃破した。
 その「一身四面」の勇士に尋ねると「自分は、肥前温泉山の神」であると言ったという・・・。当時蒙古襲来のおり、日本全国の主要な神社仏閣では、異国降伏の祈祷が行われていたらしく、温泉山でも、その祈祷が行われていたという。
ONE MORE THING
 先日、雲仙の昔話を聞く会があり、驚きの話を聞きました。それは昭和30年頃まで、温泉神社で「雨乞い」の儀式が行われていたといいます。当時交通機関もなく、島原半島のあちこちから大勢の人々が温泉山へ登られ、その儀式に参加?していたそうです。それで雨が降っていたそうです・・・。
 それで、この会を継続させ「雲仙史探会」再結成することとなりました。事務局は小生が担当となりましたので興味がある方はご連絡下さい。

千々石町の「温泉神社」

2006-07-25 01:01:35 | 史跡名所
 千々石町にある「温泉神社」です。満明寺一乗院・温泉四面社を中心に島原半島全体が修験道であった頃、半島周辺にも多くの「温泉神社」がありました。
 そのうち、千々石温泉神社・有家温泉神社・山田温泉神社(現吾妻)・伊佐早温泉神社(現諌早)の四ヶ所が勧請されたそうです。そして、この配置が金剛界マンダラの中央に「大日如来」東方に「阿シュク如来」南方に「宝生如来」西方に「阿弥陀如来」北方に「釈迦如来」になると言われています。現在も島原半島の周辺には16ヶ所の「温泉神社」が現存しています。
ONE MORE THING
 子供たちのゲームの世界(バーチャルリアリティ)が進化し、恐ろしい気がします。相手を倒し殺人して進んでいくゲーム。リセットすると主人公の自分も相手も簡単に生き返る。小さな頃からゲームに、熱中してきた高校生や大学生は「死」についても感覚が麻痺してしまうのではないかと?しかも核家族化で、おじいちゃんやおばあちゃんといった身内の死の悲しみ・体験がわからない世代。

千々石~温泉山の遍昭金剛

2006-07-24 12:52:23 | 空海さん
 千々石~温泉岳への参道(地元では岳線)の途中に、「遍昭金剛」空海さんが祀ってあります。かなり昔から地元方々から信仰・祀られていたようです。小生の通勤途中の道ですが、いつもどなたかが掃除をされお供えもされています。小生も、ときどきですがお参りさせていただき「般若心経」を読んでいます。
 空海さんの名前は、四回変わられ、「真魚(まお)・空海・遍昭金剛・弘法大師」と・・でも一般にはお大師様でしょうか。大師の称号は他にも何人もいるようですが、やはり「お大師さん」イコール空海さんですね。
ONE MORE THING
 世の中十人十色、その人の育ってきた環境・能力・知識・経験などから同じ考え方の人などいる筈がない。思いどおりに動いてくれる人など存在する筈がない。お互い妥協点で生きているのでしょうか・・?この世で生きていく事は本当に大変です。この世から、脱出することを輪廻・解脱・解放?・・・極楽浄土を目指した補陀落渡海・・?

一切経の滝参道の「三鈷の松」

2006-07-23 00:34:53 | 三鈷の松
 温泉山一切経の滝参道の三鈷の松。2本が健在で廻りに杭を打ちロープで囲みました。(本日作業完了:平成18年7月22日 雲仙を美しくする会)
 雲仙温泉街から車で約6分の小地獄温泉から、一切経の滝への門があり、歩いて約10分なだらかな坂を下って行くと左側に開けた場所があり、案内板が目につきます。その奥に2本の三鈷の松が立っています。
 今後、雲仙の名所として宣伝していきます。
ONE MORE THING
 異常気象が普通の言葉となって・・、降れば集中豪雨で土砂崩れ、土石流の災害が頻繁に起きるようになってきました。10年後、20年後地球環境はいったいどうなっているのでしょう?温暖化・複合汚染・原発・開発による自然破壊・新ウィルス・戦争・・・。
 次の世代の子供たちは「負の遺産」を・・「風の谷のナウシカ」の言葉を思いうかべます。

温泉山 温泉神社

2006-07-22 00:04:41 | 史跡名所
 温泉山四面宮。明治3年3月の神仏分離まで温泉神社も満明寺一乗院が支配する修験道でした。温泉神が「温泉四面宮」「四面大明神」「四面菩薩」と呼ばれ、島原半島全体が修験道の聖地でした。(左下石版に四面社と・・・)
 江戸時代の百科事典的「和漢三才図会」には、「日本山大乗院満明密寺と号す、文武天皇の大宝元年、行基三千八百坊を建立す。塔十九基有り」と記されて当時の温泉山が修験道の聖山として繁栄していたことを・・。
 日本山と呼ばれ(凄い!)かつては西の高野山と・・その後になぜ今は、・・・これから温泉山ストーリーは続きます。
ONE MORE THING
 空海さんが、大学を辞めてからの約7年間と唐から奇跡的に帰ってこられてから太宰府に2年程おられたとき、温泉山へ来られなかったのかと・・? 
 行基菩薩の跡を辿られて記録もあり、太宰府でも温泉山の事も聴かれ・・そして・・。という事で、空海さん関係の書籍を読み続けています。アマゾンで検索すると、膨大な空海さんについての書籍があり、LIFEWORKとして今後も読み続けるつもりです。

温泉山 稚児落としの滝

2006-07-21 00:10:37 | 史跡名所
 稚児落としの滝は、現在オシドリの池からの流水が下方で滝となっています。稚児落とし滝園地から車で3分程下った場所から、道無き急斜面沿いに4分程山林にいった所にあります。案内がないと危険な場所です。その昔はダムも無かったので「加持川」の下流となりますが・・・、
 伝説では、謡曲に「稚児が一羽の白い雀を争い、内乱が起こり、その乱の原因となった稚児をこの滝へ投げこんだ・・・」と・・。しかし、この乱はキリシタン伝道にからむ対立・内乱だったという説が当時の史料などで有力視されています。
ONE MORE THING
 田舎に住んでいると買物も大変です。都会の店まで行く時間と探す手間を考えるとインターネットによる購入は非常に簡単・便利です。大型電器店よりネットが、圧倒的に安く早く便利です。書籍もDVDも、音楽は欲しい曲を1曲だけダウンロードで「ipod」で・・。

温泉山大黒天アップ

2006-07-19 00:11:46 | 史跡名所
 大黒天のアップ画像です。ダムの堤防近くの「稚児落としの滝園地」の駐車場から中央部へ12分程歩いた場所にあります。ダム周回歩道は整備されており、散策コースとして最適です。「大黒天」はサンスクリット語で「マハーカーラ」といい、マハーは大、カーラは黒で「大黒天」になったそうです。仏教では、毘盧遮那大仏の化身とされています。
 このダムができる前には、畑やプールがあったそうです。小生が中学生の頃に犬を連れて周回走っていました。
ONE MORE THING
 司馬遼太郎の「街道をゆく」がワイド版シリーズで再販?されている。興味ある場所から次々読んでいるが圧倒的に面白い!17の「島原・天草」では「島原の乱」について詳しく書いてあり・・・、しかし何故か雲仙には来ていない・・?

温泉山の大黒天様

2006-07-18 16:45:17 | 史跡名所
 温泉街から少し離れた所に「オシドリの池」があります。貯水ダムですが冬場になると、多くの冬鳥(カモ類)が渡ってきて湖面を賑わしています。
 オシドリが長崎県の鳥なので、この名がついたようです。大黒天磨崖仏は、このダムの工事のときに発見されたと昭和40年の新聞記事にあります。大黒山が昔の名称として残っており、巨大な岩の固まりに「大黒天」彫られています。400年程前に彫られたという話です。
ONE MORE THING
 京都議定書CO2削減で、環境省の建物の情報館等も節電を徹底しています。館内の電灯を抜く、エアコンは使わない、他の電気も使わない・・。自宅はソーラーを屋根につけ、IH、夜間電力の利用・・、極力家族は一つの部屋に集まりエアコン、電気を使わないようにしていますが・・手遅れでしょう? 

温泉山の八十八ヶ所巡り

2006-07-17 18:55:29 | 史跡名所
 温泉山八十八ヶ所巡りがあります。雲仙山満明寺の庭から上の児童公園へとお地蔵様が、八十八体がずっと並んで安置されています。
 歴代住職が四国の八十八ヶ所を廻ったときに、そこの土を集めてこられたそうで、その土が地蔵様の下に埋めてあるそうです。
 それで・・・約15分で廻れる八十八ヶ所巡りです。
ONE MORE THING
 液晶を付けてデジカメ普及のきっかけをつくった、カシオのQV10Aから、今使っているリコーR2まで5台目のデジカメとなった。30万画素の49,800円から500万画素2万円となった。当初からプリントはせず、パソコン内にアルバムを060716家族長崎・・というファイル形式で保存してきた。

温泉山麓、小浜町にある鬼石

2006-07-16 00:36:57 | 史跡名所
 温泉山麓の小浜町にある巨石「鬼石」です。案内板によると島原半島一の巨石といわれ、長さ12m幅11m厚さ6m、表面は平坦で四体の地蔵が安置してあります。
 伝説では、仏罰をうけた鬼が温泉山登山をしていたが、あまりの重さに耐えかねて捨てたものとか、この石の廻りを3回廻ると鬼がでるとか・・。里人は、この石には霊魂が宿り石材にする者はいなかったと・・。
 現在、石の上におられる観音菩薩は昭和52年に建てられたそうです。たまたま、この撮影のときも、近くのおばあちゃんが、お参り来られており花を供えていました。
ONE MORE THING 
 車は軽がいい、小回りが良く狭い道でも運転が楽だ。維持費が安いし省エネ、なんと言っても税金が安い!7,200円 購入時期は9月・3月が決算期で安くなる。