
空照像と一夜大師・高岩山
1994年11月6日の、当時の「雲仙公園ビジターセンター」歴史散策ガイドで訪ねた「空照像・一夜大師」へ12年ぶりに辿り着きました。
高岩山中にあり、2年程前から探していましたが、やっと見つけることができました。(現在は、ほぼ全山植林状態で悲惨な山になっています。)以下「西有家町郷土史」より抜粋
「大正11年、島原大地震のときに龍泉寺の裏の麦畑に避難した。その年は豊作で、この地は霊地であるとうわさが流れた。当時南有馬村で病気を霊験で治すという空照さん(真言宗の僧)にお願いして、町内を中心に高岩さんを霊地に八十八ヶ所巡りを設定した。空照さんは、八十八ヶ所霊場を祈願し行基洞で二十一日間業をしたという。」
一夜大師は、空照像からわずかに登り(戻り)分岐口から右方向へ、わずかに登ると巨大な岩(びわの口と呼ばれる岩)が眼前に現れます。これが昭和6年に空照和尚が百日修業されたという洞窟で、見岳名の信者がセメント・砂を担ぎ上げ一日で完成させたという「一夜大師」が人知れず座されています。
ONE MORE THING
この前(11月3日)、父と子供3人を連れて、島原半島の「温泉神社」を探して一周約100kmのドライブをしてきました。温泉山の末社として、半島には現在も12~15の温泉神社が名を残し現存しています。まだ全ては確認できていませんが当時の温泉山の繁栄が想像できます・・。
地図については、インターネットのグーグルマップが便利で、これでおよその位置を確認しプリントして利用しています。
1994年11月6日の、当時の「雲仙公園ビジターセンター」歴史散策ガイドで訪ねた「空照像・一夜大師」へ12年ぶりに辿り着きました。
高岩山中にあり、2年程前から探していましたが、やっと見つけることができました。(現在は、ほぼ全山植林状態で悲惨な山になっています。)以下「西有家町郷土史」より抜粋
「大正11年、島原大地震のときに龍泉寺の裏の麦畑に避難した。その年は豊作で、この地は霊地であるとうわさが流れた。当時南有馬村で病気を霊験で治すという空照さん(真言宗の僧)にお願いして、町内を中心に高岩さんを霊地に八十八ヶ所巡りを設定した。空照さんは、八十八ヶ所霊場を祈願し行基洞で二十一日間業をしたという。」
一夜大師は、空照像からわずかに登り(戻り)分岐口から右方向へ、わずかに登ると巨大な岩(びわの口と呼ばれる岩)が眼前に現れます。これが昭和6年に空照和尚が百日修業されたという洞窟で、見岳名の信者がセメント・砂を担ぎ上げ一日で完成させたという「一夜大師」が人知れず座されています。
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この前(11月3日)、父と子供3人を連れて、島原半島の「温泉神社」を探して一周約100kmのドライブをしてきました。温泉山の末社として、半島には現在も12~15の温泉神社が名を残し現存しています。まだ全ては確認できていませんが当時の温泉山の繁栄が想像できます・・。
地図については、インターネットのグーグルマップが便利で、これでおよその位置を確認しプリントして利用しています。
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