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とりあえず西洋絵画から始めて、現代日本作家まで

金環蝕

2011-09-20 | 映画など

 

 

 

前科4犯の悪徳金貸しが、マッチポンプの爆弾男と、ツルんで

政権の中枢を、強請(ゆす)る。

 

これを現在の日本に当てはめれば、

米欧支那などの、金貸しとか独裁政権が、日本に核兵器という、匕首(あいくち)を突きつけて

日本の優れた工業科学技術を、安く海外にダダ漏れさせろ。

 

このように、脅している。

それで、ときたま 「鳥インフル」 などの、チョットした脅しをかけたりもしている。

 

 

  見えない医療事故  傷害致死事件の予兆

 

 

 『金環蝕』(きんかんしょく)は、1966年(昭和41年)に発表された石川達三の日本の小説、およびそれを原作とした山本薩夫監督による1975年(昭和50年)製作・公開の日本の映画である。


小説『金環蝕』の初出はサンデー毎日の連載で、1966年に単行本として刊行された。九頭竜川ダム汚職事件をモデルに、保守政党の総裁選挙に端を発した汚職事件を描いた。

映画『金環蝕』はこれを原作とし、大映映画(当時の大映の製作子会社)が製作、東宝が配給し1975年9月6日に公開された[1]。
(金環蝕 (石川達三) - Wikipedia)

 

 

ストーリー[編集]

昭和39年夏、与党・民政党の総裁選挙が行なわれ、現総裁にして内閣総理大臣の寺田政臣と最大派閥の領袖・酒井和明の一騎打ちとなった。数で劣る寺田総理が率いる寺田派は党内切っての実力者で副総理・広野大悟の派閥と協調して必勝を図った。その段階において両陣営とも票集めに10億円以上の実弾を投入した。中には広野派の神谷直吉代議士のように両陣営からちゃっかり戴く者もいた。激烈な選挙は僅差で寺田の三選で幕を閉じた。

それから数日後、金融業を営む石原参吉の元に内閣官房の西尾貞一郎が訪れ、星野康雄官房長官(寺田派)の名刺を持参したうえで秘密裏に資金を用立てて欲しいと告げる。ところが石原はこの申し出を断るものの星野の名刺を持ち去る。金融王として裏の世界を渡り歩いた石原は直感的に星野の周辺に何らかの疑惑があることを思いつき、星野の周辺を洗い出し始めた。その過程で寺田総理の郷里・九州の福流川ダム建設を目論む竹田建設と発注元の電力開発株式会社(小説では電力建設株式会社)若松圭吉副総裁の一派の談合と汚職の存在が浮かび上がる。

そして竹田建設は寺田派の有力献金企業であった。青山組への受注を目論む財部賢三総裁が唯一のネックとなった竹田建設は若松副総裁を中心に財部追い落としを図り電力開発の所轄官庁である通産省の大川大臣により引導を渡され数日後に辞任する。その結果、新総裁に技術畑の松尾芳之助が就任。一気に流れは竹田建設へと流れ、談合の末に福龍川ダム工事を受注する。ここに竹田建設・電力開発・寺田派の汚職構図が完成する。

受注を手放しで喜んだ竹田建設は星野官房長官を通じて多額の賄賂を寺田に渡す。


映画[編集]

スタッフ[編集]
製作:徳間康快、伊藤武郎
監督:山本薩夫
脚本:田坂啓
撮影:小林節雄
音楽:佐藤勝
美術:間野重雄、今井高司

キャスト[編集]
星野康雄(官房長官):仲代達矢 - 黒金泰美がモデル
寺田峯子(首相夫人):京マチ子 - 池田勇人夫人・池田満枝がモデル
神谷直吉(陣笠代議士):三國連太郎 - 田中彰治がモデル
石原参吉(金融王):宇野重吉 - 森脇将光がモデル
萩乃(石原金融王の妾):中村玉緒
古垣常太郎(日本政治新聞社社長):高橋悦史 - 倉地武雄(言論時代社社長)がモデル
吉千代(星野官房長官の女):安田道代(現・大楠道代)
朝倉節三(竹田建設専務):西村晃 - 渡辺喜三郎(鹿島建設副社長)がモデル
寺田政臣(首相):久米明 - 池田勇人がモデル
酒井和明(後継首相):神田隆 - 佐藤栄作がモデル
大川吉太郎(通産大臣):北村和夫
神原孝(法務大臣):大滝秀治 - 高橋等がモデル
斎藤荘造(幹事長):中谷一郎 - 田中角栄がモデル
広野大悟(副総理):河村弘二 - 河野一郎がモデル
早川義信(衆議院決算委員長):嵯峨善兵
黒尾重次郎(寺田派幹部):外野村晋 - 前尾繁三郎がモデル
平川光正(寺田派幹部):山本武 - 大平正芳がモデル

 

 

 

 

 

 

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