娼婦たち
2008-09-21 | 作品
Tunnel(1978) Paul Delvaux
ポール・デルヴォー財団蔵
(C)Paul Delvaux Foundation, Belgium
アクロコリントスの丘に建つ女神の神殿から、遠くネーデルランドにまで足を運ぶ。
謹厳なるプロテスタントの多く棲み暮らす街では、放埓な神殿巫女の素性はなにげに隠さねばならぬ。それで彼女らは、とりすました顔と、貞淑なドレスを身に纏う。
知恵を多く持つものは豊かになり、自然に生きるものは貧しいまま。
多く持てる者は着飾り、豪邸に住むこととなる。
禁忌をまもり法律に通じる。
それが人の心や生活には裏道があり、ひとはそれを幾度となく心の中で、散策したりもする。これを絵にすれば、 ポール・デルボー のような絵になるのだろうか。彼の絵があくまでも貞節を纏うのには、やはり リエージュ に住む堅実な人々の目がそうさせる。絵を観念の内に思惟すれば、いろいろと難解な事象に遭遇する。ところが、是を壁にかける装飾のための、高価な家財とみれば如何か。彼女らは金さえ購えれば、誰の内にもやってくる。まさかにも娼婦をわが家に引き入れて諾とする細君はおるまい。ところが、これが「シュールリアリズム」の格調高い絵画ともなれば、それを了諾する知的な奥方もいるのだろう。なんと言っても、別のところで書いたのだが、デルボー展を見に来るのは男性ばかりではない。美は性欲を掻き立てる、媚薬の地位をすてて、孤高の神殿にすまう神としての地位を得てしまった。芸術と言う言葉を、まるで時代劇の印籠のようにとりいだせば、ほとんどの人々は平伏するしかない。
それ故に努々 (ゆめゆめ) この女神さまのことを、娼婦だなどといってはならぬ。