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ウォーキングの「グループわらじ」活動紹介

主に宮城県内で、楽しく歩いて自然に親しむをテーマに、毎月一回徒歩定例会を実施中。2024年6月で600回を数えました。

みちのく潮風トレイル番外編「森は海の恋人 畠山重篤さん追悼」大島~唐桑半島

2025-05-07 00:00:00 | みちのく潮風トレイル

みちのく潮風トレイル番外編「森は海の恋人 畠山重篤さん追悼」大島~唐桑半島

今回は全くの番外編として、2025年4月3日に亡くなられた「森は海の恋人 代表畠山重篤さん」に因んで、みちのく潮風トレイルの中で「舞根(もうね)浜」を通って、気仙沼大島(亀山)~舞根~唐桑半島(御埼神社)の部分を歩いた2023年3月31日のトレイルウォークを報告します。なお、歩いた時に畠山さんの事は存じ上げておりましたが、実際に歩いた舞根浜の場所との関係を理解しておらず、そのために舞根浜の写真は標識のみであることを告白して予めお詫びしておきます。

参考:「森は海の恋人」という言葉は、畠山重篤(はたけやま しげあつ2025/4/3没)さんが提唱しました。

この言葉の意味は、豊かな森が育む水が川を通じて海に流れ込み、海を豊かにしてくれるという、森と海の深い繋がりを表しています。

具体的には、

 * 森の落ち葉や有機物が分解され、栄養豊富な水となって川に流れ込みます。

 * その栄養が海に運ばれ、プランクトンなどの海の生き物の成長を助けます。

 * プランクトンが増えることで、それを食べる魚介類も豊かになり、ひいては漁業の発展にも繋がります。

畠山さんは、牡蠣の養殖業を営む中で、上流の森の重要性に気づき、長年にわたり植林活動などを行ってきました。「森は海の恋人」という言葉は、その経験と信念から生まれた、自然の恵みと循環を表す象徴的なメッセージと言えるでしょう。

さて、仙台から柳津までJR東北本線、石巻線、気仙沼線を乗継ぎ、BRTに乗換えて気仙沼へ。さらに宮城交通バス(正式には子会社のミヤコーバス)で新王平へ。始発を繋いでもお昼近かったです。そこから小田の浜、休暇村を経て、亀山へ。カモシカが迎えてくれました。

それから山を下りに下ります。途中、三陸自動車道の通称鼎(かなえ)大橋が先日歩いた安波山をバックに良く見えます。

県道218号線に出ると、通称ツルカメ大橋で本土へ出ます。その後唐桑方向に行くのですが、その分岐は少しトリッキーなのでテープ標識に要注意。その後は下からツルカメ大橋を眺める事になります。

ここからが長い、途中の集落に大きなツバキがありました。

気を和ませる暇もなくグングン上ります。舗装道路ですが、車はほとんど通りません。飽きた頃、観音像があります。

そして、九九鳴き浜への分岐があります。

潮風トレイルの標識もあってほっとします。標識があるという事は、踏破者は当然寄って行く事が推奨されていると言う話もありますが、私はパスしてしまいました。(ふるさと緑の道に関しては別の機会に)

さて、海へ下りて行くと、今回の主題の舞根浜へ出ます。なるほど防波堤などはありません。

手元の日経新聞2019年3月10日付の文化欄によれば、震災で80cmほど沈下した耕作放棄地に潮が入り込み、プランクトンや小魚が再生しているとの事。震災前に「森は海の恋人」として川の上流に落葉広葉樹の植樹を続けた事が身を結んだ。(牡鹿半島付近では沈下した土地は徐々に隆起しているそうで、今後の事は少し心配)

その後は海沿いを一路唐桑へ。半島付け根の早馬(はやま)神社へ。

牡蛎小屋などを見て歩くと、鮪立(しびたて)に三陸地方鰹一本釣り発祥の地の碑がある。

さらに一生懸命歩くと、半島突端の御崎(おさき)に到着。

もう夕暮れ、早々に唐桑ユースホステル(YH)を目指して歩く。50年振りのYHは息子さん(と言っても私より年上)の代になって、同宿の方とも一緒になって思い出話等大変賑やかな夕食であった。翌日は陸前高田まで歩いたが、なかなか苦しかったことを表明しておきます。 (TK)


みちのく潮風トレイル【山火事復興応援】綾里編(その2/2)、綾里駅~綾里崎/綾里灯台~立石山~田浜~綾里駅~恋し浜駅

2025-04-02 00:00:00 | みちのく潮風トレイル

みちのく潮風トレイル【山火事復興応援】綾里編(その2/2)、綾里駅~綾里崎/綾里灯台~立石山~田浜~綾里駅~恋し浜駅

大船渡市の山火事復興応援として、2023年5月に綾里峠(大船渡・盛駅~綾里駅、北上11.2キロ)と綾里岬(綾里駅~綾里岬駅~綾里、時計回り/南下14.05キロ+綾里駅~恋し浜6.4キロ)を歩いた報告をしています。今回は後半の綾里崎です。

前日はまた三陸駅前の「潮目」に泊まらせていただいたので、まず三陸鉄道(三鉄)で三陸駅から綾里駅へ移動して、駅前からスタートです。今回は南下(SOBO)になります。林道を岬の方向に進みます。ほぼ平らな道が続きます。

途中で尾崎山神社の脇道(下り道)へ入ってみました。うっそうとして人気のない所ですが、まっすぐ抜けると急な上り坂でMCTコースに抜けることができました。

その後、岬の手前で、今日も見事な朴の花に出会いました。

綾里崎の看板に到着です。ここで、コースからは外れますが、推薦に従って綾里灯台へ向かいます。

クマのにおいがプンプンとする山道を下ります。4人いましたから大丈夫ですが、1人だったら気をつけてください!灯台の敷地は塀に囲われています。ここでキャンプしたつわものもいたそうです。

灯台の先は綾里崎になっています。崖から落ちない様に!

もと来た道を戻ります。今度は、立石山を目指して登ります。途中見事なクリンソウを見ることができました。

マルバダケブキ(丸葉岳蕗だと思います)とシダの群生地を歩きます。正面に四阿が見えます。(ここが展望広場?)

四阿のあたりにこの標識です。

少し進むと藤二大明神があります。案内図によると500mの所に駐車場がありますが、気象庁大気環境観測所近くのものと思われます。以前はこの観測所から、定期的にラジオゾンデを飛ばして高層気象を観測していました。今回の山火事の影響が心配です。

大明神を過ぎると、もう逃げ道は無くなり、立石山を越えて田浜へ下ります。途中は植林が行われ、とげのある草がたくさん生えていました。田浜は今回の山火事で最初に避難命令が出た場所だったと思います。

田浜からは海沿いを一路、綾里の集落へ向かいました。綾里小を過ぎて、綾里峠から下りて来た道と合流します。そこから右折して綾里駅を目指します。

ここからは北上(NOBO)です。 綾里駅から北上を始めてすぐに、明治三陸大津波伝承碑があります。ここは2方向から来た津波が重畳するという珍しい現象で38.2mという大変高い波高を記録した所です。東日本大震災では、以前に報告した重茂半島の姉吉地区の40.5mがあり、こちらは谷が急に狭まって津波が高い所まで来ました。なお、東日本大震災の最高遡上高(無人地区)としては女川の無人島で43.3mという記録があります。

峠に出て、北を望むと小石浜漁港と越喜来湾が見えます。

この辺から越喜来地区に入ります。入り口にオブジェが。また所々に色付けされた小石などあり、気持ちを和ませてくれます。「潮目」の和一さんに感謝!

やがて三陸鉄道恋し浜駅に着きます。駅の下にはピンク色のポストがあります。(この「恋し浜」は「小石浜」から改名したものです。ナイス!)

この辺りまで火が迫ったと聞きました。復興を応援いたします。

今回はここで終わりましたが、(北上の場合)この後、甫嶺駅そして「潮目」のある三陸駅へ進みます。(TK)  


みちのく潮風トレイル【山火事復興応援】綾里編(その1/2)、大船渡・盛駅~赤崎駅~綾里峠~不動滝~綾里駅

2025-03-29 22:11:05 | みちのく潮風トレイル

みちのく潮風トレイル【山火事復興応援】綾里編(その1/2)、大船渡・盛駅~赤崎駅~綾里峠~不動滝~綾里駅

今回は大船渡市の山火事復興応援として、2023年5月に綾里峠(大船渡・盛駅~綾里駅、北上11.2キロ)と綾里岬(綾里駅~綾里岬駅~綾里、時計回り/南下14.05キロ+綾里駅~恋し浜6.4キロ)を歩いた報告をします。まずは前半の綾里峠です。

その前日は三陸駅前の「潮目」に泊まらせていただいたので、まず三陸鉄道(三鉄)で三陸駅から大船渡・盛駅へ移動して、駅前からスタートです。

参考までに盛駅には、東北本線/東北新幹線一ノ関駅から大船渡線で気仙沼駅へ。気仙沼駅からBRT(バス高速輸送システム)の盛行きで行けます。宮城県からは、東北新幹線古川駅から陸羽東線、または仙台駅から東北本線で小牛田駅、さらに石巻線で前谷地駅、そこから柳津駅までは気仙沼線、そして気仙沼まで気仙沼線BRTになります。時間によっては、前谷地駅から直接気仙沼駅行きのBRT(柳津駅を通ります)が出ています。分かりにくいですが、BRT区間もJR東日本ですので、全国のJR駅で切符購入できますよ!

5月末はつつじのシーズンという事で、歩き始めると左手に五葉山の上の部分がツツジ色になっているのが見えました。

太平洋セメントの工場の前(中?)を通って赤崎駅へ進みます。

赤崎駅前では観音堂をみます。

綾里峠への登り道が始まります。

赤崎側は一丁目から、十丁目(峠)までの標識があります。

ちょっと厳しい登りがつづきますが、足が前に出ている限りは、やがて峠に着きます。峠はこの説明書きの通りで、写真の風景です。(人の写らない写真を撮り忘れました!)

下りは楽々。巨大な朴の花を見ることが出来ました。

ほぼ下りきった所を左に行くと、不動滝があります。ちょっとコースを外れますがお勧めです。

不動滝の脇には東屋(あずまや、四阿とも書く)が有志によって建てられました。この後、綾里の街に向かう途中にこの建設に関わった方のお宅の前を通ります。この四阿が気がかりです、滝のそばだから残ったかな?分かり次第報告したいと思います。

三鉄と並行して歩く部分があります。運よく通りかかりました。

綾里の駅に着きました。

駅前の標識です。綾里駅前の集落から見て、南西の赤崎町の部分と南東の綾里半島が山火事に遭ってしまいました。みちのく潮風トレイルは現在、盛駅と三陸駅の間を通行止めとして、三鉄での移動になっております。

再び三鉄に乗って、三陸駅へ戻り快適な「潮目」に泊まります。(続く) (TK)


みちのく潮風トレイル重茂半島編(その3/3)、姉吉キャンプ場~石浜~寒風峠~寺地越~浜川目~山田~船越駅

2024-08-14 00:00:00 | みちのく潮風トレイル

みちのく潮風トレイル重茂半島編(その3/3)、姉吉キャンプ場(NOBO766.30キロ)~石浜~寒風峠~寺地越~浜川目~山田~船越半島入口(NOBO738.62キロ)~船越駅

重茂半島の第1回は北の方、重茂半島入り口の津軽石から月山、音部漁港(泊)、第2回は音部漁港から重茂漁港、種刺海岸、魹ヶ崎、姉吉キャンプ場までを報告しました(合わせて30.83キロ)。今回は昨年11月4日と今年4月19日に個人的な仲間と歩いたみちのく潮風トレイル(MCT)の岩手県の重茂半島の部分を報告します。私のMCTはNOBO北行を原則としておりますが、今回は全部SOBO南行です

[歩き方の概略]姉吉キャンプ場から石浜を通って寒風峠と寺地越を歩いて、山田町の浜川目に出ます。あとは山田の市街地を越え、一寸内陸に入って船越半島入口までを報告します(27.68キロ)。前回より距離は長く、実際には1日で歩く事は難しいと思います。が、コース説明的には、船越半島とつなぐ必要がありますので、ご了承ください。(船越半島の北の入り口から重茂半島を経て津軽石まで58.51キロ、更に宮古まで7.8キロ)

今回関連では、姉吉キャンプ場、浜川目(コース入口または公民館)、陸中山田駅前のびはん駐車場(スーパーの前だが町営駐車場でトレイル歩きの駐車可)、岩手船越駅前(道の駅の方は工事中で駐車場が少なく長時間駐車不可)に駐車しました。山田では、うみねこ温泉湯らっくすにお世話になっています。

まず、姉吉キャンプ場からスタートです。すぐに狭い谷間を上ります。

しばらく行くと今回の震災の津波到達碑。津波遡上高40.5m、有人地点で国内最高。

直ぐ上に明治と昭和の津波碑です。上部には「ここより下に家を建てるな」

下部には「明治29年にも昭和8年にも、津波は来た。生存者はそれぞれ2名、4名しかいなかった」と理由を明快に述べている。津波は3回とも見事に、同じ高さまで来たようだ。

しばらくバス道路を行きます。朝のバスは新聞運搬を兼ねていました。バス停ごとに新聞の束を置いて行きます。そう言えば郵便屋さんが新聞を運ぶ地域もありましたよね。石浜漁港です。ここまで宮古からバスが来ます。

11月4日の秋でしたので、紅葉がきれいな部分を探して写しました。

寒風峠を越えて川代に出ると、ここが宮古市と山田町の境界。再度山を登り寺地越えです。山に霧が出て幻想的な風景。鎖場もありました(滑落注意)。

最後にこの階段を下りると、浜川目に出ます。

こちらは山田駅前からのバスです。この傍に広場があります。

海岸沿いを歩きます。大沢弁財天。

次に、大沢の臥龍梅、一般開放されており、説明板があります。

段々と山田の市街地に近づきます。漁港の所には防波堤の海側に旧道が。以前はこんなに海辺を走っていたのですね。

山田駅前のスーパーびはんオールです。この駐車場は町営で、買い物だけでなくトレイル歩きにも利用できます。

駐車場横のラーメン屋さんでおいしいラーメンをいただきました。次いで駅を過ぎて温泉です。今回は泊っていませんが、鯨山・船越半島歩きの時に2泊しました。壺湯がユニークですが、浴室は二つあり男女で日替わりなので、二日泊まらないと確実には入れません!

織笠から山側に入ります。龍泉寺と言う古刹があります。いるか供養塔もありました。

再び、三陸道や三鉄と交差して、海側に出ます。

折笠大橋の南側に出ますので、北側にあるジオパークの展望台には寄りません。三鉄とクロスしながら、船越半島へ向かいます。途中にビジネスホテルがあります。いつも見るどら焼き屋さんもあるのですが、まだ食べる機会がありません。バス停には見事なユリのタイルが有ります。また歩道のマンホールはホタテの印で、まるでスペインのカミーノです。(再掲になりますが気に入っているので)

船越半島の北の入り口は「鯨と海の科学館」の入り口でもあり、鯨のアーチで出迎えです。今回はここからMCTを離れ、三鉄の岩手船越駅へ向かいます。

船越駅の写真は以前にも出したので、今回は季節的に見られた駅前のお宅の見事が鯉のぼりを披露いたします。吊り方も含めて素晴らしいです。(これも再掲になりますが気に入っているので)

これで相馬から、津軽石まで繋がりました。 (TK) 


みちのく潮風トレイル重茂半島編(その2/3)、音部漁港~重茂漁港~与奈~魹ヶ崎~姉吉キャンプ場

2024-08-07 00:00:00 | みちのく潮風トレイル

重茂半島入口(NOBO797.13キロ)~月山~音部漁港~重茂漁港~魹ヶ崎~姉吉キャンプ場~寒風峠~寺地越~山田~船越半島入口(NOBO738.62キロ)、その2/3

今回は4月21日に個人的な仲間と歩いたみちのく潮風トレイル(MCT)の岩手県の重茂半島の部分を報告します。前回は北の方、重茂半島入り口の津軽石から月山を登って、音部漁港に下って来るまでを報告しました(15.96キロ)。

今回は、音部漁港から重茂漁港を通って与奈から遊歩道に入り、魹ヶ崎を経て姉吉キャンプ場までを報告します。(14.87キロ) 前回より距離は短く、かつ月山の様な大きな登りもないので、15時にはゴールして実際には帰仙しております。

[歩き方の概略]今回は音部漁港近くの音部荘に泊まりましたので、前日に一台を姉吉キャンプ場に駐車し、出発当日は音部漁港に許可を得て駐車しました。次の姉吉~浜川目~岩手船越駅は実際には別の日に歩いております。

報告は話を簡単にするために、実際とずれていますが、南下(SOBO)で津軽石(重茂半島入口)から入り、月山、音部漁港までの第一部分(前回)。次に音部漁港から重茂漁港、本州最東端魹ヶ崎、姉吉キャンプ場(今回)、姉吉キャンプ場から寒風峠、寺地越、浜川目漁港、プラス平地部分の山田、船越半島入口(第3回)として報告し、この前報告した船越半島とつなげます。

セクションハイカーにとっては、この様にコースを自分が一日で歩ける距離に分解し(両端が鉄道の駅やバスの停留所、駐車可能な所である事)、それぞれをどう歩くかを考える事で、全体を攻略する事になります。

まず、民宿おとべ荘を出て音部漁港からスタートです。のどかな景色の中を歩きます。1時間に1回位宮古行きのバスが通ります。

鳥が巣を作っている木もあります。

民家の間を抜ける様に歩く部分もあります。バス道路に出て漁協を過ぎます。その後、重茂漁港へ向かいます。漁港の手前に鮑の種苗施設があります。ここまで音部漁港から約1時間半。

脇には種付けに使うと思われる大量のプラスチックの板がありました。7月に再度来た時には全て無くなっていて海に吊るした?後でした。鮑の養殖は大切な産業です。慰霊碑もありました。

漁港にはトイレがあり、ワカメや昆布をゆでる大量の設備もありました。さらに与奈トンネルを過ぎて、遊歩道に入ります。

遊歩道は最初は急登ですが、やがて緩やかなアップダウンの新緑の大変気持ちの良い道になりました。前を歩いている、道を整備して下さるボランティアの自然保護員の方に追いつきました。与奈から姉吉まで担当されているそうで、魹ヶ崎~姉吉間は本州の東西南北端を目指す方など歩く人が多い事、与奈~魹ヶ崎間は種刺海岸付近に道が崩壊している部分があるので注意している事を教えていただきました。

種刺海岸です。八戸の種差海岸とは字が異なります。防波堤も何もなくて本当に手付かずの海岸です。与奈の登り口から約1時間半。

与奈側から海岸に降りる所と、魹ヶ崎側の遊歩道に上る取り付きの所、特に後者が少し危ないので注意が必要です。

このままどんどん行くと長磯と言うとても海の色がきれいな入り江に出ます。人もいなくて静かな感じがうれしい。種刺海岸から45分位。

長磯を過ぎると、携帯のアンテナの脇を通って、魹ヶ崎灯台に出ます。横に四阿(あずまや)があり、海が180度以上広がっています。時間にはフェリーも見えます。この四阿に野宿する方もいます。また敷地内には循環式のトイレもあります。ただし飲み水はありませんので、持参が必要です。

灯台の南側には、本州最東端の石碑があります。右下に映画「喜びも悲しみも幾年月」の説明もあります。

さて、ここから姉吉キャンプ場までは先日事前PRのためにUPした、グループわらじの10月の宿泊行事の一日めの紹介と同じですので、省略いたします。下記の写真の様な新緑の中の道を歩きました。4つの沢を越え、最高点を越えて、津波の痕跡を見ながら下ります。

姉吉漁港に出ます。更に200メートルほど歩くと、車を止めた姉吉キャンプ場の駐車場に着きます。お疲れさまでした。魹ヶ崎から1時間強。  (TK)