ウォーキングの「グループわらじ」活動紹介

主に宮城県内で、楽しく歩いて自然に親しむをテーマに、毎月一回徒歩定例会を実施中。2024年6月で600回を数えました。

グループわらじ 第572回徒歩例会報告 旧仙石線と野蒜堤防を歩く

2022-07-19 21:50:41 | グループわらじ徒歩定例会

旧仙石線と野蒜堤防を歩く
2022年2月27日(日)晴 15.4km 参加者:会員21名 一般3名

 何事もスピードと効率が求められる今の世、時の流れもその歩を速め、日々の出来事は車窓の風景のように次々と後ろに流されて、ついには記憶の外に押し出されてしまうのだろうか。しかし2011年3月11日だけは忘れる事は出来なし、忘れてはならない出来事だ。夢にすら思わなかった大地震・大津波の大惨事、それに伴う原発事故。あれから10年余りを経て、改めてしっかりと向き合おうと思う。当会では昨年より被災地を訪ねている。今回は津波被害をうけ、路線を山の手に移した仙石線の新東名駅・新野蒜駅と旧線路跡を歩いた。
 仙石線は仙台と石巻を結ぶ路線だ。塩釜を過ぎると風景は一転して、キラキラと光る海と、緑の松並みが美しい路線だった。今にして思えば、津波に対する備えが無かったのは事実だが、その事に不安を抱く人はいなかった。津波は松林をなぎ倒し、人家を飲み込み、多くの人の命を奪って行った。その中で、地震で止まった電車を乗客の機転で駅には戻させず、高台に移動させて難を逃れたのは、奇跡を言っていいだろう。海岸に近い部分の路線は、民家と共に高台に移った。旧路線は整備され、自転車道になっている。
 陸前大塚駅から歩きだす。ここは海が目の前に広がるが、被害は少なかったようだ。はじめに山の上の五十鈴神社を詣でた。この神の御加護があったのだろう。戻って旧東名駅に向かう。海外に沿って伸びていた路線は、今は高いコンクリートの堤防で守られている。つづいて貞山堀に沿って進み東名駅跡に着いた。駅舎は残っていない。民家も数軒は残っているが殆どは路線の移動と共に高台に移っている。更に進んでトンネルを抜ければ旧野蒜駅が見えて来る。駅舎はそのまま震災復興伝承館として使われている。壁に記された津波到達ラインを見上げて、改めて巨大な津波を思った。


 以前は海岸まで美しい松林がつづいていたが、その全てが失われた。津波襲来の時、私有地の高台に近所の人々を招き入れ、人命を救ったとの場所があるので訪ねた(写真)。命の峻別は何によってなされたのだろうが。ここからは8の字を描くようなルートをとった。高台に移転した新野蒜駅で昼食をとり、その後は下って又震災復興伝承館の前の貞山堀を渡って海岸に出る。野蒜海岸は海水浴場として以前は賑わっていたが、今はコンクリートの防潮堤が延々とつづく。風が強かった、遮る松林がないので歩くのも難儀する。苗木は育成中だが、再生はまだまだ先の事だろう。
 貞山堀を又渡り、旧東名の住宅地を行って、新仙石線の高架横の階段を上がると新東名駅である。駅前には新しい住宅が建ち並ぶ。これで津波の不安からは解放されただろうが、一方では浜辺の暮らしへの郷愁もあるだろう。しかし人は古来より自然災害との折り合いの中で再生をはかって来た。この地も又以前のような美しい松並木と暮らしを取り戻してほしい。その姿を思いうかべつつ、出発点の陸前大塚駅に戻って今回の例会を終えた。

※見出し画像は陸前大塚駅付近の堤防のブロックです。