ウォーキングの「グループわらじ」活動紹介

主に宮城県内で、楽しく歩いて自然に親しむをテーマに、毎月一回徒歩定例会を実施中。2023年1月で583回を数えました。

グループわらじ 第581回徒歩定例会 天然の桟橋馬の背と紅葉の低山歩き

2022-11-23 21:16:49 | グループわらじ徒歩定例会

 仙台からの電車で新装なった松島海岸駅に到着、既に石巻から1人到着している。合計26人。

 駅前でミーティング、準備運動の後まずは西行戻しの松へ向かう。まだ元気なので坂をぐんぐんと上る。丘を回り込んで目当ての西行戻しの松へ。「いわれ」は写真をご参照あれ。西行が来ていないと思われている方もいるらしいけど、「来たけど歌を作らなかった」という解釈になります。従って芭蕉も、、、。

 丘に登って、更に白衣観音へ。こちらは松島湾の富山方向の眺めが素晴らしい。先日歩いた仙石線旧線歩きの方向、陸前大塚駅の先の東名駅への新線部分の白い斜めの陸橋がちょっと目障りかな?記念写真。

 次いで坂を下って東北本線、仙石線、国道45号線を渡り水族館から新設なった松島離宮の前を通って、雄島の対岸に到着。芭蕉が塩釜から着いたのがこの「雄島の磯」(これを松島の別称と取れば泊った久之助宿(舟宿)の前に着いたとも考えられる、「雄島が磯」とも言うがこちらは歌枕)。舟橋→土橋→木橋→コンクリート橋と変わった渡月橋を渡って、島内へ。まずは「奥の細道」の標柱の前で本文中の松島の句について説明。「松島や鶴に身をかれほとゝぎす」は曾良の作で芭蕉の句は本文中に無い。実際には芭蕉は「島々や千々に砕けて夏の海」と言う句を作っているが割愛された(月夜に感動のあまり寝付かれずに西行同様句作を断念した、しかし当日は満月ではなかったとも)。良く聞く「松島やああ松島や松島や」は江戸時代の狂歌。次に頼賢の碑。1285年から22年間島から一歩も出ずに修行したという。海には双子島(くじら嶋と亀島)が見える。座禅堂、曾良の先ほどの句と、芭蕉の「朝よさを誰まつしまぞ片心」の出立以前に読んだ無季句の句碑が並んで立つ、松吟庵跡、芭蕉翁奥の細道序並句碑等を見た。(写真は7月の下見時、クリックで拡大)

   

 松島公園にてトイレ休憩の後、国道を双観山へ向かう。ここはまだ歩道が有って歩きやすい。双観山への上り路の紅葉が美しい(写真参照)。正午前だが昼食休憩。

 午後は双観山の裾を歩き、扇浜でSAPのイベントと出会う。国道に出て松島方向に400m程戻って松島四大観の一つ「幽観」の扇谷に入る。少しの登りを経て、上は紅葉の真っ盛り。今日一番の紅葉に心が躍る。四阿から見る扇型の湾の景色に、なるほどと頷く。裏側を回って紅葉の前で記念写真。

 今度は浜田/塩釜方向に1キロ程、歩道が無い国道の右側を慎重に歩く。馬の背方向へ分かれてほっと一息。駐車場を経て、馬の背へ。確かに馬の背がすっと伸びたような不思議な景色だ。利府町からの注意に従い、手前でストップ。戻って、今度は子馬へ。こちらも狭いが特に狭隘な部分は無く、休憩を取る。それでも何か滑り落ちそうで落ち着かない。向かいの馬の背の全景が良く見える。(写真は9月の下見時、クリックで拡大)

  

 再び戻って、ゴールへ向け最終ステージ。途中、瑞鳳ヶ丘、田里律庵(浜田洞窟=縄文遺跡)があるが素通り。細い車道だが車の通行はほとんど無く、紅葉の中を順調に歩いて予定より30分程早く陸前浜田駅に到着した。ミーティングも早々に切り上げて予定より早い電車に乗る。歩行約13キロ、実に楽しい晩秋のウォーキングだった。

 


みちのく潮風トレイルハイキング、中野栄駅~本塩釜駅

2022-11-04 18:21:53 | みちのく潮風トレイル

中野栄駅~本塩釜駅

名取のトレイルセンターから太平洋岸を一気に仙石線中野栄駅まで北上して来ると、次は多賀城を巡り、塩釜(正式には鹽竈、町は塩竈市)神社を見て、松島湾に出る。トレイルセンター主催の数珠繋ぎハイキングに参加出来なかったので、次の浦戸諸島を仲間と歩く前に自分で歩く事とした。今回は個人歩きの分をレポートします。

まずは仙石線中野栄駅。駅前のトレイル看板の後ろは焼肉キング、この駅はいつも焼肉の匂いのイメージだがさすがに朝は匂わない

まずは育英学園の方向に行く、電車に乗っていた学生の姿は見えない、駅から直接線路の北に出て歩くようだ。トレイルは45号線から左折し、踏切を渡って、高校脇のファミマの角を東へ。松島蒲鉾の工場にスタンプがあるようだが営業時間は9時半から17時半、残念!公園にトイレ。八幡小学校を過ぎて貨物線を渡り、仙石線の下を潜って、砂押川の堤防に出る。青空にマンション群。

堤防から離れるとすぐに末の松山、見事な松の木がある。

次は曲がってすぐ下に興井(おきのい、私的には「沖の石」がなじみ)。紅葉と紫式部の実の色のコントラストが美しい。

トイレのある駐車場を過ぎて大きな道に出て橋を渡ると右手に仙石線多賀城駅。最近高架になったばかりで駅舎も多賀城政庁の奈良時代の雰囲気?の配色。

駅を潜って過ぎると左手に蔦屋が運営する図書館、増築中の市役所の脇を北上して市民会館へ。ここには国司として赴任して来た大伴家持の記念碑がある。令和の元号名ゆかりの碑になるのだが、令和になった時に特に訪ねた人はいなかったそうだ。

史料館の脇からもうすぐ移転する東北学院大学の周りを回ってミニストップを過ぎて、道を潜ると多賀城廃寺跡へ登る歩道となる。

写真の右手へ山茶花の森の中を登る。廃寺跡の入り口に男女別の建物のトイレがある。この後は多賀神社の前を通って、東北歴史博物館の西側を駐車場から回り込む様にして、東北本線国府多賀城駅に着く。ここは高架を越える。下りた所に観光案内所だが人はいない。駅前には扇畑忠雄先生の歌碑や多賀城の建物を模した時計台。

駅から館前遺跡の中を通って、多賀城政庁跡へ入って行く。公園化の整備が行われており手入れがとても良い。アヤメ園の辺りから「壺の碑」の標識があり、階段を登る。鞘堂の中に有名な碑がある。本当に芭蕉と同じ碑を見ているのだろうか?古い物を見るといつもそう思ってしまう。隣に大きなテントの様な建物があり、外郭南門の復元が行われている模様(本件未確認)。

道を渡って、政庁跡へ上る道が整備されている。トイレの横の事務所でスタンプを押す。「多賀城跡」と書かれた「日本100名城」の「7多賀城」スタンプだった。なるほど「多賀城」もお城だ。ずっと仙台に住んでこの概念は無かった。大和の国の最北端の出城だったのだ。ここが原住民の蝦夷と大和の民との数々の攻防が行われた本丸だと思うと興味深い。

畑の中を上って行き、多賀神社へ。小さいが趣のある建物で「タガ」を奉納してある(写真で見えますか?)のが珍しい。

このすぐ脇から加瀬沼へ下る。一日に一度はこのような地道を歩くのが潮風トレイルの「お作法」だ。沼から離れて登ると総社宮の横に出る。

 この道は鹽竈神社へ通じ、古くから使われた金華山道だ。この辺は大日向という地名で歌枕の野田の玉川の源流になるらしい。東北本線を潜ると鹽竈さんのすぐ前の道に出る(右手南側が東北本線塩釜駅方向0.85km)。

表参道から神社へ参る。港まつりの神輿が上り下りするのはこの階段で、危ない感が満載だ。

ちょうど七五三の季節で着飾った親子が数組。

本殿の左右に芭蕉も記した文治灯籠、林子平ゆかりの日時計(ちょうど12時)。参道には、ご神木や塩釜桜、蝋梅、四季桜と珍しい物がたくさん、志波彦神社と続いて、博物館の横から東参道(裏坂)を下る。下りきった所に芭蕉止宿の地の標識。

道を渡って、懐かしの駄菓子屋さん「やまだ屋」の前を通って、3階建て木造のゑびやの角を曲がると御釜神社の前に出る。時間があったら是非四口の神釜を見ていただきたい。中には藤鞭社などがある。

本塩釜駅に向かう途中にどうしても立ち寄りたくなる浦霞のお店に寄ってから、ゴールの駅に向かった。まずはお疲れ様!近くにある、第二の職場の先輩と行ったホルモン屋さんが懐かしい!