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『オウム事件 17年目の告白』 上祐史浩

2013-01-22 18:54:53 | 日記

 

『オウム事件17年目の告白』 上祐史浩 監修有田芳生

2012 扶桑社

 

最初のブログは、2013年に入って初めて読み終わった本から。

話題の新刊を買ってすぐ読むのなんていつ以来かな。neoneoというドキュメンタリー専門媒体に関わっており、記事づくりの参考用に購入した。買ってよかった。
リアルタイムで接した事件の真相を、当事者の言葉で知る感慨には相当なものがある。1991年に『朝まで生テレビ』に出演し、堂々と雄弁を振るう麻原彰晃を見て「オウムって意外としっかりしてるんだなー」と感心した人は、僕以外にもけっこういるでしょう。あのテレビ露出は、諸々をごまかすための戦略だった。戦時中の国民と変わりないぐらい、たやすく騙されていたと知るのは気持ちのいいことではないけど、知らないままよりずっとマシだ。

 

1995年に地下鉄サリン事件が起きた時、どうしてましたか?
僕の場合。当時、番組契約の下働きで神谷町にあったプロダクションに通っていたが、その日は寝坊していつも乗る電車に遅れた。千代田線が「原因不明の事故のため」(車内アナウンス)霞ヶ関で停まらず、日比谷で下りた。遠くでやたらと救急車のサイレンが響くなか、遅刻はぜんぶ事故のせいにしちゃおうと決め、日比谷公園のベンチでカレーパンを食い、うたた寝を決め込んだ。たたごとではなかったことは、事務所に歩き着いてから分かった。「戦後最大のテロ事件の被害者」になる可能性が自分にもあったことは、ピンとこなかった。ようやっとズシンときたのは、数年後に村上春樹の『アンダーグラウンド』を読んだときが初めてじゃないだろうか。書籍にはそういう風に、近すぎて見えにくいことに適切な距離を与えてくれる効果がある。

 

この本もそうだ。なにしろ「ああ言えば上祐」が連日テレビで弁明していた時の裏側の詳細を、上祐自身による回顧で読めるのだからものすごい。
「こいつらショッカーになりたいのか」と咄嗟に感じた直感は、ある程度は当たっていたと思う。オウム真理教の教団内の精神構造、およびハルマゲドンを起こして世界を作り直す教義に「宇宙戦艦ヤマト」や「ノストラダムスの大予言」といったディストピア観下のサブカルチャーの影響があったことはすでによく知られているが、麻原の家庭環境(兄も地方の民間療法師)などの詳細は初めて知った。藤原新也が、麻原の唱えには自然(nature)の存在が欠落している点に注目し、弱視には水俣病の影響の可能性があると指摘していたことも知り、これはけっこうな戦慄。日本中の河川と土壌と空気が今以上に汚れた、公害の時代に育った者のなかで、社会憎悪と自然無視が絡み合うのは僕にもよく分かるので。

 

父性が薄い環境で育つと強い影響に盲信しやすくなる問題も、カルト信仰の根っことしてとても納得できる。著者の上祐が、自身の生まれ育ちを内省しているのは、本書後半の白眉。かなり長い時間をかけて麻原の影響を相対化し、もっと包括的な古代思想を聖徳太子のなかに見つけることで、母親への感謝へ立ち返っていく。
麻原本人ではなく、「理想の麻原」を作り信じる。この心理プロセスも詳細に分析され、生々しい迫力だ。僕がふだん付き合いにくいと感じるタイプの人のことが、ことごとく分かる。「絶対的服従と(ちがうものへの)反攻」は、誇大自己の典型。そこには「理想の師に従う理想の自分」という秀才のエゴがある。つまり、麻原ひとりが悪いわけではなく、麻原を盲信してより過剰になった者にも責任がある。
磁力の強い対象への「計り知れない考えを持っていた」という評価・賞賛の心理も、同様にエゴであり思考停止なのだと学べる。大日本帝国陸海軍も、勝新や若松孝二のカリスマ伝説を作りたがる映画ファンも、その1点では強固につながっている。

 

それにしても、麻原を憎むだけでは離れられない、相対化させていくしかない、という上祐の道程は読んでいて痛い。ドメスティックな人間関係で死にたい思いをしたことがある人には、たまらないだろう。
なので、麻原を空想虚言症、誇大自己症候群を患った人格障害と見立てるのは、よく腑に落ちる分、やや納得を急いでいる気もする。いちどは尊師と呼ばれた男にはかなりの“人たらし”だった面もあるはず。これだけいろんなことを率直に書いても、まだそこは、落ち着いて自己省察できない部分なのかな。

 

ここからは、本書から派生して育った妄想の仮説。
テレビでの登場から劇場版『Air/まごころを、君に』に至るエヴァンゲリオン旧シリーズ。あのペダンティックな難解さは、ひょっとしたら、彼らこそ悪役だった、うらっかえしのものがたりだと解釈するとスルスル解けるのではと、以前から薄々感じていた。本書を読んで、実際に仮説は可能のように思う。
つまり、碇シンドウというグルによる人類補完計画=大量ポアによるハルマゲドンの招来を阻止するためにやってくる使徒を、エヴァ=「拘束具を付けた巨神兵」が毎回排撃してしまう、という物語。
無垢の憑代=チルドレンの同期を必要とする人造神のエヴァはそれゆえにグルの教義遂行に抵抗するようになり、シンジ君やドイツ国籍のアスカもまた、実は自分達のほうがヒットラー少年団的存在であることに無意識で気付き、精神に変調をきたし、必然のように大団円は破綻する……。

 

世紀末の不安に覆われたサブカルチャーを幼い頃にもろに浴び、石原莞爾「最終戦争論」(日本がアジアのリーダーとなって欧米を破り、世界を仏教的浄土にする……中公文庫で読むことができる)に通じる麻原の誇大妄想的思想にのめりこんだ上祐は、現在、善悪・東西の二元論とは違う道しるべを聖徳太子の「和をもって尊しとなす」融和思想に求めている。だから上祐が代表をつとめる「ひかりの輪」は、固有の存在を信仰する宗教団体ではなく、宗教について学ぶ勉強会、私塾となっている。
その過程には、北一輝に影響を受けた後に袂を分かち、やはり石原と通じる「東西対抗史観」によって軍上層部のブレーンになり、戦後に丸裸になった後は晴耕雨読しながら、アジア-欧米の価値観から離れたイスラムのコーラン研究に没頭した大川周明が、重なるところがある。で、この大川周明と、エヴァ旧シリーズの碇シンドウが似ていると感じられるのがさらに面白いのだ。庵野は60年生まれ、上祐は62年生まれ。ほぼ同世代。

 

1月13日にEテレで放送された『日本人は何を考えてきたか』シリーズの第10回、「昭和維新の指導者たち~北一輝と大川周明~」は、2人の思想と時代の関わりをとても丁寧に説いてくれる番組だった。ようやく分かったところが、幾つもあった。
こういう番組を見て刺激を受けると、スルスルと、夥しい参照のひとである庵野秀明が、アニメ界を先行リードする押井守が『機動警察パトレイバー』シリーズのなかで北一輝と226事件を重要なモチーフにし強烈な成果を挙げたことを全く意識しなかったはずがない、押井が北一輝を取り上げたならば自分は石原と大川周明、と考えてもおかしくない、と妄想が働く。



そして、日本人クルーだけで地球を救う「宇宙戦艦ヤマト」の設定の安直さがナショナリストにも与えた悪影響を、改めて思う。
もっと前の子ども向け文化はもっとリベラルだった。『宇宙大戦争』から「(初代)ウルトラマン」と続く円谷特撮は、フランスやインドなど第二次世界大戦でつらい目にあった国々がリードし、日本もそれに続くパラレルの世界観をとっており、そういう夢のある形で米ソ二大国の冷戦構造を批判していた。この考えかたが、どこから切れてしまったのか。ちゃんと知っておきたいと思っている。

 


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