ワカキコースケのブログ(仮)

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太陽にパンフ!パンフ!(EPOの曲のもじりなのだが、それがすでに分かりずらい)

2013-07-01 14:54:18 | 日記


映画ライターのなかには、ある気に入った新作映画について「応援する」とわざわざ書く人達がいる。
これが僕は、実はどうもよく分からない。
どうしてその気持ちを、文章でしっかり組み立てようとしないのか。「応援する」はむしろNGワードにして、読み手と映画の間の回路を地道に綴ることが、物書きの役割ではありませんか、と思うからだ。応援は観客にして頂くものであって、我々がすることではないでしょう。


とはいえ、これは文章についての話。
興行で苦戦するかもしれないインディーズ映画と縁がある場合は、そうは書かないだけで、こっそりなにがしかの応援は時々している。

現在、池袋シネマ・ロサで公開中の『風切羽~かざきりば~』のパンフレットに寄稿した。http://www.kazakiriba.com/
「この話題にかこつけてブログでなにか書くから、早く送ってくれ」と入手を急かした。認知が行き届いていなければあんまり気の毒だ、せめて自分のブログでタイトルを覚えてもらうぐらいは、と焦ったのだ。
しかし、届いた時には映画の存在はもうけっこう広まっていた。興行もなかなか手応えがあるらしい。急かして悪いことをしてしまったし、ああ、これで応援しなくても済む、とホッともした。

なんでここまで「応援」系ライターさん達と逆の、ひねくれた物言いになっているかというと、理由は単純で、昔、ボクシング界の「名伯楽」と呼ばれたトレーナー、エディ・タウンゼントの言葉をどこかで読んでいたく感動したのだ。
「勝ったボーイはね、会長さんや後援者が抱きしめるの。負けたボーイは、ボクが抱きしめるの」

どうです、シビレるでしょう? エディさんは世界チャンピオンを何人も育てた実績以上に、こういう言葉がポンッと出た人だから、今でも尊敬されている。要はエディさんみたいな大人になりたい、と思っている努力の一環なのだ。ちゃんとお客さんとつながって一人歩きし始めた映画なら、ワカキの「応援」はジャマになるのでさっと距離をとりたい、ということ。

『風切羽~かざきりば~』について思ったことは、大体、3,100文字強の作品評のなかで書いている。クリティックのページは僕ひとりなので、責任は感じる。
それでも、若い主演2人のここでしか読めないインタビュー(えッ、演じていたのはこの2人だったっけ、と一瞬写真を見てとまどうほど現在の秋月三佳さんと戸塚純貴さんはキラキラしている。映画が捉えていたのは孵化直前の姿だったのだ!)があり、構想のきっかけになった私的エピソードを語る小澤雅人の監督ノートがあり、そしてシナリオ採録があり、と充実した内容。

僕自身は、映画のパンフレットはあまり買わないほうだ。金銭的理由はもちろんあるし、数年前から目立つ、公式サイトと画像もテキストも同じ、というイージーな作りにイヤになったこともある。
「記念品」とはいえ、ここでしか読めない付加価値があるなど、1冊のブックレットとしての独自性がなければ、パンフレットは発行する意味がなくなると思っている。
そこを購入の価値基準にした場合、『風切羽~かざきりば~』は。買ってもらってよいと思います……!


映画ライターを始めた2007年頃は、パンフレットへの寄稿なんて夢のまた夢だった。
それが今年は、春に、
『長嶺ヤス子 裸足のフラメンコ』  http://hadashinoflamenco.com/
の作品評(縦書きで、活版のような古風な味のフォントをすごく気に入っている)があり、

それから現在、横浜のジャック&ベティで公開中の、
『女生徒 1936』  http://jyoseito.jp/
の短文コメント(こちらもデザインとイラストがかわいらしくて、とても丁寧)がありと、

半年で3冊に関わらせて頂いた。ありがたい話である。そして3冊とも、公式サイトとは別の情報を持つ表現であることをちゃんと追及しているのがうれしい。こういうパンフレットなら僕も今後、ケチらずにちゃんと購入するようにせねば。



せっかくなので、このまま徒然の閑話として、パンフレットのおはなしを。

昔は、ほとんど独自の情報なんて載っていなかろうと、掲載スチールをとくとくと眺めるだけでも貴重な存在だった。
だが、今でも手元に置いてあるパンフレットにはやはり読み物としての魅力はある。

例えば、オールタイム・ベストの1本、『翔んだカップル』(1980)。
当時は、丸ゴシックを選ぶこと、それ自体がものすごくポップなアプローチだった。スーパーアイドル・薬師丸ひろ子のほとんどミニ写真集の感(スチールマンはかつて東映で高倉健を手掛けた人ナノダ)がありつつ、新人監督・相米慎二の文章が読めるのは、かなり貴重ではないか。原作者・柳沢きみおと飲んだ話などを、含羞とつっぱりがまざってねじれるように書いたナイーブな文章を読むと、ああ、相米も1970年代の新しい日本文学を通過した人なのだとジーンとなる。中上健次というより、高橋三千綱、立松和平の優しさ。

逆に今、手元にない『伝説巨神イデオン 接触篇/発動篇』(1982)。
友人がひどく欲しがったので、エイッとただで譲ったのだが、このパンフレットに関しては、いまだに時たま思い出しては、身を切られるような未練を覚える。どこかで中古品を買い直せばいいのだが、そういうことではない、とも分かっている。ここらへんがパンフレットの「記念品」としての存在感なのだろう。

一方で、見てないのに暗記するほど眺め倒したのが『ジョーズ2』(1978)。
見に行った年長のいとこが、おみやげにくれたのだ。 当時は、見ていない子にパンフをあげても/もらっても……という発想はお互いにない、素朴な状態だった。高校生になってからようやく見たが、パンフレットから妄想し続けた時間の総量には勝てなかった。それでも監督は『ある日どこかで』『スーパー・ガール』のヤノット・シュワルツなので、いずれ改めて再見したいと思っている。


……ここまで書いて気づいた。パンフレットのみに絞って書くのも、おもしろくて、ちょっとマズいぞ。止まらなくなってしまう。
先述の公式サイトと同じ内容でシラけた、または、情報量がすごくておっつかない、などの理由で途中までしか目を通していないパンフレットがたくさんあるのだが、切り口が見つかれば少しは片づけられそうだ。
以下、最近読んでメモが残っているものを中心に何冊か挙げておく。


『9月11日』(2010)
大宮浩一監督のドキュメンタリー。今思えば、これは立派にシネ・トラクト(壁新聞映画/映画ビラ)の方法論の援用。
思い出したが、これを読んで〈パンフレットの書評〉ってあったほうがいいんじゃないか、といったん考えたことがあるのだった。トークの採録に、副読本としての価値がしっかりある。

『アウトレイジ』(2010)
見た後しばらくしてから、チンピラの利用が総長の首のすげかえまで波及する組織構造の映画だと気がつき、変則的ながら武/たけしと深作欣二は精神的にやはりつながっていると思った。それでよくよく読んでみたら、そこは高橋源一郎がすでに明確に指摘していたのだった。曰く、国家が最大の暴力装置。うーむ。さすが。総長の家のロケセットになった旅館。ここの一面広告が最後のページ=オチになっていて、笑った。編集者が知っている人なので、冴えたギャグですね! と感心したメールを送ったのだが、これに関しては特に返事はなかった。

これは演劇だが、
『ゴドーを待ちながら』(2011)
観劇オンチにはいささか敷居の高い新国立劇場だけれど、そのぶんパンフレットはさすが。ベケットの年譜、今までの上演記録と前衛演劇の国内受容史、スタッフの鼎談など盛りだくさん。ベケットはノルマンディーで本物の廃墟を見ている、という研究者の指摘が強烈。読み応えあった。
今回の演出がどれだけ鋭い、乾いたものだったかどうかは、カンのレベルでは微妙。ただ、演劇がまとうあらゆる意味のゼロ地点、について触れたことは良かった。東日本大震災の1ヶ月後に、余震のなかで見たゴドーは、頭でつくられた前衛ではなかった。

『劇場版神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ』(2011)
全体にカラフルで、センスがよくて、とにかく「応援」している。パンフレットは、それでいいのだ。僕がすごくこの映画が好きならば、すごくいいパンフレットだと思う。映画とシンクロし、心中することにエネルギーを注いでいるところにはとても好感を持つ。編集をしている直井卓俊氏が多くの人に信頼されているのは、きっとそこなんだろうと思われる。

『僕達急行 A列車で行こう』 (2012)
これもカラフルでたのしく読めるパンフレット。取り仕切っている相田冬二氏の、森田芳光への丁寧な敬慕が伝わる。それに加えて、列車紹介のページが入門編的な良さ。ただこの前に、大宮の鉄道博物館で同形の車両を見たりしていることにさっぱり気づかなかった。自分には鉄道マニアになる素養は無い。
僕自身は、映画のポイントは鉄道趣味の部分ではないのだ、と考えるので、もしも見た後にすぐに読んだら、パンフレットに引きずられたかも……という気持ちもある。

『はちみつ色のユン』(2012)
実は萩野亮の文章はまだちょっと苦手なところがあるのだけど、ラストが鉛筆画という指摘は、教えられるヒントだった。社会評論家・芹沢俊介の、里子と里親の関係についてのスタンダードな解説も。すごいのはプロダクションノートの資料。アニメって、時間と手間がこんなにかかるんだ……と改めて。

『ホーリー・モータース』
(2013)
すでにこのブログで触れている。パンフレットを買わせる映画はやはり、力があると当たり前の結論になる。デザインがすごくいい。大半のパンフレットの読了を途中でストップさせる一因でもある、衒学的な文章がひとつもなかった。これはラッキーだった。



そして、最も直近で買い(なにしろ今日、7月1日)、電車の中ですぐに読み終わったのが、
『燃える仏像人間』 (2013)
http://moebutsu.net/

とにかく、マネをしたい! こんな風にやれたら! とウズウズ、ウズウズした。レイ・ハリーハウゼンをめざして紙粘土で怪獣のポーズを何パターンも作り、コマ撮りをつなげたら5秒も持たなかった中二の秋の蹉跌以来、演出をしたいとほとんど思わずに来たのに。
子どもの頃に『妖怪伝 猫目小僧』を見て怖くて吐きそうになった。今はフライシャー兄弟の、1930年代の短編(ミニチュアで作られた墓場のジオラマのあいだをセル画のベティさんがセクシーに歩いたりする)の不気味さが、不気味ゆえに大好き。『燃える仏像人間』はこれに連なる。ゲキメーション/画ニメーションは、僕の底の底の部分を掻き立てるのだ。

パンフレットのなかで監督・宇治茶は、作画と撮影の工夫について、秘伝に近いことをペロッと書いている。だが、これだけの枚数をひとりではとても描けない。常人には実践できない点ではやはり秘伝は秘伝のままである。せめて、オレもやりたい、と少しの間でも夢を見させてくれてありがとうと言いたい。いずれ、スチール1枚だけでも自作イラストでパクらせてください。
また、実相寺昭雄へのオマージュなのです、ともストレートに書いてあり、そこでようやく、あ、『京都買います』だった! と気づいてゾクゾクした。
パンフレットは「図鑑」と称して、全キャラクターが解説されているのだが、一瞬しか出てこない仏像人間にも出自や性格がしっかり書かれているのがおもしろい。監督はそれだけキャラクターを掘り下げていたのか。テキストのクレジットは欲しかったと注文つけたくなるほど感心はするが、特に知ったところでどうにもならない内容なのがすごい。
100%パーセント無駄な知識を仕入れる、このタマラン感じは、ジャバ・ザ・ハットには実は別れた奥さんがいるとかそんな内容ばっかりだったディアゴスティーニの「スター・ウォーズ ファクト・ファイル」以来だ。さらに遡ると……。
そう、『燃える仏像人間』は、本編が実相時へのオマージュなら、パンフレットは「怪獣博士」大伴昌司へのオマージュなのだ。映画を補完しながら独自の書物としても自律する、パンフレットの理想形ではないか。


公開中の『風切羽~かざきりば~』、よろしくお願いします、パンフレットにも書いております、とだけアナウンスするつもりで始めたら、途中で止まらなくなり、ついには限りなくオタクに近い本性を自ら露見させてしまった。最後まで読んでくださった方、今回は(今回も、かな)なんだかすみません……。おつかれさまでした。

 


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