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がんばれ阿部ちゃん~『つやのよる』

2013-02-11 22:14:39 | 日記

 

『つやのよる』 監督 行定勲

2013 同作製作委員会/東映配給

 


さてさて、なにか書きたい。

サッチモのLPを聴いた、という話をするつもりだったのだが、急に気が変わり、公開中の『つやのよる』のことにする。
現在のところ、興行でいささか苦戦しているそうだ。メジャー配給の映画がヒットしようがコケようが、僕には実質なんっの関係もないのだけど、客が入らない=ダメな映画という相変わらず短絡的な陰口を、業界人が叩いているのを耳に挟むと、なにか言っておきたくなる。

もちろん、パッケージとしては弱い面があるのは確かだ。僕も映画を見る時間が作れたその日、ギリギリまで『ストロベリーナイト』を選ぶつもりだった。去年のおもしろかったドラマの劇場版で、今度はもっとスケールアップしてそうだから。で、直前になって、『つやのよる』という映画にまったくキャッチーな要素が無いことにむしろ興味を覚え、選びなおしたのだった。

『つやのよる』は、恋愛映画らしいのだが、どういう恋愛映画なのかが、宣材を見るだけではパッとつかみにくい。
タイトルから大体は、「通夜の夜」(→家族ドラマ・人間ドラマ)と連想するので、イメージが拡散してしまう。
実際に見てみれば、「つや」という名前の女性のいくつかの「夜」と、死が絡む、エスプリがずいぶん効いているのだが、見てもらえればわかる……は、宣伝部スタッフとしてはあまりカッコよくない言い訳になってしまうだろう。

行定勲監督で、阿部寛主演。共演は小泉今日子に真木よう子、大竹しのぶ、忽那汐里……と、実はかなり豪華だ。見る前に公式サイトをいちど覗いているのだから僕も分かっているはずなのだが、なのに、それでも、キャッチーではないと感じた。
これはフシギなことのようだが、だからといって、もうキャストの魅力でお客さんが入る時代じゃない、とアナリスト的に結論を急ぐのもどうかと思う。
『つやのよる』の場合、繰り返しになるが、パッケージだけではなんの映画かが、端的にわかりにくい。(別に「感動」の仕方までこまかく説明しろというのではない。食品なのか医薬品なのかは判別できるぐらいの大まかなイメージ付けのレベルの話)
ドラマ、CMなどの広告、雑誌などで活躍し、とてもステキな人たちであることは十二分に分かっているキャストが、なんの映画かよく分からないままメインビジュアルのように綺麗に並ぶと、あいにくそこでイメージが完結してしまうのだ。
映画の宣伝は、少しダサイ、セールスポイント中心主義ぐらいのほうが他分野のデザインと差別化されてよいと思っている。最近のもっともキャッチーな成功例、『アウトレイジ』の「全員悪人」じゃないけど、「この人たちがみんな、映画では別の顔を見せますよ!」という方向でブッてみせてくれてよかった。

ただ、ずっと男性的な映画会社だった東映で、「TSUBAKI」の新しいポスターかとカン違いしてしまうようなメインビジュアルが組まれた。このこと自体は、僕は尊いチャレンジだと思っている。以前の東映は、女性向けの作品(一連の宮尾登美子原作もの)ですらポスターは武骨だったのを考えると、隔世の感がある。撤退ではなく、次のための財産にして頂きたい、と東映ファンは思います。

で、ここまでは長いマクラ。書きたいのは、阿部ちゃん、がんばってるなー、である。

ショーケンと優作のあとを継げるのは、誰かいないのか。
時代背景そのものの違いがハッキリする1990年代までは、よくこんな「同時代のスター待望論」が映画好きの酒肴的話題となった。僕の周囲が推していたのは、永瀬正敏でも哀川翔でもなく、仲村トオルと阿部寛。「トオルちゃんと阿部ちゃんは、タッパがある。だからいいよね」が基本認識だった。
人気モデルから俳優になるが、しばらくは「長身で二枚目、しかし芝居は……」なために不遇だった阿部寛の基本プロフィールは、多くの人がご存知だろう。
自身が俳優としての、映画での転機だと認めている『凶銃ルガーP08』(94)を、たまたまリアルタイムで見ているのが僕の場合はラッキーだった。大藪春彦原作で、ヒトラーが自殺した時に使った銃が人から人にわたり、そのたびに持ち主の運命は狂う……というストーリー。まあ、要は「妖刀村正」伝説をバタくさく置き換えてるのだが、阿部ちゃん演じるふつうのサラリーマンが偶然ルガーを手にしておかしくなっていくようすには、「頭打ちのトレンディ俳優がイメチェンにがんばってる」以上のアブないものが出ていた。同年の、東宝の夏休み特撮もの『ヤマトタケル』でも大げさな悪役振りで孤軍奮闘していて、マイナスポイントになりかけていた「長身で二枚目」を逆手にとろうとしている気迫を感じ、すっかり「阿部ちゃん」に好感を持ったのだ。

その後のことはだいぶ端折る。
2006年の主演コメディ『結婚できない男』(フジ)は、間違いなくここ数年のテレビドラマの最高作のひとつで、阿部寛のいったんのピーク。自身も、ドラマはこれでまず一度やり切れた、という手ごたえがあるそうだ。(本人にインタビューをした先輩ライターに教えてもらった)
「見た目はカッコいいのに中身は幼稚」な主人公の、ニコリともしない真面目な行動がいちいち笑いを呼ぶ。このおかしさはどこから滲み出るのだろう、と放送時に感心していたら、友人のディレクターが「猫背だよ」とズバリ教えてくれた。そういえば彼も身長は180cm近くあり、時々、エレベーターや屋内で居心地が悪そうなポーズをとる。文系なので使い道の無い長身をもてあましてきた彼から見ると、『結婚できない男』の阿部ちゃんの猫背演技は、もうやめてくれ、とわき腹がくすぐったくなるぐらい絶妙なのだそうだ。

この、長身をもてあます、というポイントは出演映画のほうではあまりなかった。
演技力がしっかり定評となってからは、『姑獲鳥の夏』、『死刑台のエレベーター』などから大ヒット作『テルマエロマエ』まで、全体に、長身を活かす方向だった。『死刑台のエレベーター』では、国境なき医師団に参加して死地をくぐった経験から殺人にためらいがなくなった医師という、やはりバタくさいキャラクターをタッパを活かして演じ、〈ポスト優作〉のイメージに接近していたぐらいだ。
なので余計に、(ようやく話は戻るが)『つやのよる』の冒頭、研いだ包丁を脇に抱え、何かを思い詰めて自転車に乗る主人公の姿を見て、久々に、オーッ、阿部ちゃんが「もてあましてる」ぞと、嬉しくなったのだった。
彼が漕いでいるのは内縁の女性「つや」の自転車、つまりママチャリで、長い脚とペダルのサイズが合わないから、上半身は大きくて迫力があるのに、ペダルを漕ぐ下半身は漫画のコマ送りみたいにせわしない。動きがやたらと喜劇的なのだ。そういう見た目によって主人公の、自分以外のたくさんの男と関係を持った「つや」への狂おしい愛憎、思い込みと焦燥がビンビンと伝わるようになっている。うまい演出をするなあ、と行定勲監督をかなり見直した。

阿部寛が嫉妬に狂って長身をジタバタよじらせ、吼えたり泣いたりする姿を見るのは、いいものだ。
見ながら僕は快く妄想モードに入り、ああ、そうだ、阿部ちゃんは今後は、ミシェル・シモンのような怪優になればいいのだ、と思った。
ミシェル・シモンは、ジャン・ルノワール、マルセル・カルネ、ジャン・ヴィゴ、ジュリアン・デュヴィヴィエらの映画に出まくった、戦前のフランス映画を代表する俳優。実はハンサムな巨躯を、過剰・魁夷な方向で表現せねば休まらない芸魂がパリバリな人で、一度見たら忘れられない。知らないという人には、「ジョニー・ロットン×初期の喧嘩っぱやい寅さん」みたいなホーボー役で暴れるルノワールの『素晴らしき放浪者』(32)をオススメします。
で、ミシェル・シモンみたいになってくれたらいい、と思うということは、シモンと風貌と個性派演技が似ているという連想で、伊藤雄之助みたいな俳優になってくれたらいいなあ、という希望につながる。ポスト優作より、ポスト伊藤雄之助のほうが、長い目で見るとスケールが大きい。

ここまで、まあグダグダと書いたが、要は、去年のドラマ『ゴーイングマイホーム』が低視聴率のことばかりで話題になり、それで『つやのよる』の興行も芳しくないときて、阿部寛そのものの評価まで下がるようでは困る。これだけが言いたかった。ヒット作『テルマエロマエ』の阿部ちゃんは、阿部ちゃんのレベルからすれば、普通のアベレージだった。『つやのよる』のほうが、この俳優のヘンな、さらなる将来性を楽しめる。映画マスコミ人の本来の仕事は、そういう、数字に出ないところに目配りすることだ、と思いたい。

ミシェル・シモンなんて名前が唐突に出て来たのには、『つやのよる』が、全体に古いフランス映画のようなムード(艶笑劇であり枯れた人生観照劇であり)を持っているのに関係があるようだ。
もうじき死ぬ女とかつて関係した男たちに、ひとりずつ連絡をとっていく。男たちひとりひとりに現在の恋愛模様があり、相手の女たちそれぞれの屈託があるという「串刺しオムニバス」のつくりは、デュヴィヴィエの『舞踏会の手帖』(37)と似ていて、さらにひねっている。
ただ、そのひねりがこの映画の質的魅力であるぶん、主人公と直接関係のある女達の話ではないので、そこはやはり伝わりずらい、と話が戻ってしまうのは確か。

劇中、「男と女のことが(ひとしきりのドラマの後)、少しわかるようになった」というセリフがある。僕はそのエピソードを見て、そういう風には了解しなかったので、軽く驚き、結局は主観なのだと思った。
大体、僕は自分のことがまずワカラナイし(ついさっきまで、こんなに阿部ちゃん賛歌を連ねることになるとは想像もしていなかった)、人間自体も謎でいっぱいである。いわんや、女性なんて、ほとんど宇宙人と変わらん。なんでそこで怒るんだ?とか、理屈で考え出すと途方に暮れることばかり。だからオレはシナリオライターになかなかなれないし、嫁さんももらえないんだろうなー。
でも、ちょっとだけ抵抗してみせると。恋愛話がとても好きな、そういうことを得意そうに話したがるタイプの女性のなかにほど、なぜか、本当になぜか、(イヤ、そんな言い方をしたら男は誰だって頭にくるもんだぜ)ってことに無頓着なひとがまざっている。これはどういうことだよ、とたまに言いたい。面と向かって口にすることは生涯なさそうだけど。 

 


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