goo blog サービス終了のお知らせ 

憂太郎の教育Blog

教育に関する出来事を綴っています

泣く女子生徒

2007-01-19 21:46:16 | フラグメンツ(学校の風景)
 女子生徒を相手に生徒指導や教育相談をやっていると,女子生徒が泣き出すことがある。
 まあ,教師を11年もやれば,よくあることとまではいかないけれど,ままあることで,さほど驚くことでもない。
 私の覚えているなかで,はじめてその場面に遭遇したのは,新卒3年目のとき。泣き出した女子生徒は,顧問をしていた部活動の部長であった。夏の日,多分,夏休み中の午後だったかな,ひどく浮かない顔をしていた部長に声をかけたら,それをきっかけにシクシク泣き始めた。泣きながら話すには,他の部員を引っ張って行けなくてつらいということだった。
 当時の私は,とにかく生徒が私の対面で泣き始めるという場面というのは,はじめてのことだったから,オロオロしたというのが正直なところ。えーと,これは,一体どうすればいいのかしらと,泣いている女子生徒を前にして考えていた。とにかく,何かなぐさめの言葉をかけたことは覚えているが,今にして思うと,ひどく頓珍漢なことを女子生徒に言ったのだろうと思う。
 そういう新卒のころの経験から今日に至る中で,何度か泣き出す生徒を相手してきているわけで,今さらオロオロすることもなくなった。
 今だったら,指導の最中にせよ女子生徒が泣き出したときは,とりあえず存分に泣かしてやるしかないと思う。こちらとしては,そこで指導にタイムがかかったようなものである。気持ちが落ち着くまで放っておくしかない。あとは,生徒や状況に応じて,適当なことを言って,泣き止ませるということである。そして,指導の再開となる。
 ただ,私の対面で泣き出す生徒というのは,指導のしやすい生徒ということがいえる。人間,泣き出すというのは,そこで気持ちは無防備になる。そういう無防備にしても,こいつの前なら身の危険はないと思うから泣くわけであり,そういう意味では,私を信頼しているということがいえる。人間,見ず知らずの人間や,嫌いな人間の前で,おいそれと泣き出すことはない。
 また,泣くというのは,甘えの証拠でもある。つまり,私の前で泣き出すと言うのは,私に甘えているということだ。なぐさめの言葉を具体的に期待してはいないにせよ,泣くことによって,何らかの優しさを与えられると思うから泣くわけである。そういう意味では,私に依存しているわけであり,こういう生徒は指導しやすいのである。
 であるから,生徒指導の場面では,必要に応じて泣かしてやろうかと思いつつ指導を入れる場合もある。ただ,こっちが強く出て泣かすわけではない。男子生徒の場合は,何も問題は無いが,女子生徒にそういうことをやってはいけない。そうではなくて,おだやかな雰囲気のなかで,あくまでも女子生徒が,みずからの感情によって泣き出すというのが鉄則なのである。ここら辺りというのは,まさにケースバイケースであり,生徒によって指導のし方は当然違っていくものである。
 いずれにせよ,生徒が私の前で泣くと言うのは,私にとっては指導が通りやすいので,よいことである。もう,オロオロなんてしない。強いて言えば,シメシメかな。この生徒は,指導がしやすいなあ,という感じだろうか。
 ところで,この前,ある女子生徒と教育相談をした。
 相談の最中,その生徒はシクシクと泣き出した。
 話題は,親のこと。
 このとき,私は,ちょっとムカツいてしまった。
 どうしてかというと,こうだ。
 この生徒は,泣くことによって,カタルシスを得たのだ。もちろん,人間,泣くと言うのは,そういう意味では大切なこと。で,生徒は,悲しいドラマを観たように,私の前で泣いたのだ。泣き終えた生徒は,スッキリした表情。それに,気づいた私は,私との相談の時間を自分のカタルシスに使うんじゃねえよなあという気になった。つまり,この生徒は,私を利用して,勝手に泣いてスッキリしたのである。
 そのことに,相談後に気がついて,ちょっとムカツいたのであった。
 まあ,いいんだけど…。
 教師11年目にして,オロオロから,シメシメ,そして,ちょっとムカ,になっていくのであった。