憂太郎の教育Blog

教育に関する出来事を綴っています

うつのつぶやき

2011-06-05 21:25:50 | フラグメンツ(学校の風景)
 菅直人首相が辞意を表明しながら、まだ首相に居座ろうとしたことは、私には意外だった。
 ひとたび辞めると宣言すれば、糸がプッツリと切れたようにやる気を無くすものだと思っていたし、そのうえ、ここ最近の1年ほどで辞めてしまうわが国の歴代総理の醜態をみてもそうだと思っていた。だから、一両日中にでも政権を投げ出すだろうと予想していた。
 しかし、違った。菅氏は、辞めると言いながら、なお総理の座に居座ろうとしている。この強靱な精神力というか、執着心というのは、それはそれで立派なものだろうと思う。ただし、だからといって菅氏がそのまま首相に居座るのは、わが国の国益には何も良いことがないので、早く辞めた方がいいだろうとは思うけれども。

 菅首相は一部報道にもある通り、うつ的な病状を患っているのは、氏の言行を知る限りその通りだろう。私が興味を覚えるのは、そんな心の病になっているのにもかかわらず、いまだ総理の座に執着したがるということだ。投げ出した方が楽になるのに、どうして執着するのだろうか。
 うつ的な症状の典型として、「決断ができない」ということと、「見通しを持てない」というものがある。簡単な仕事でもダラダラして片づけられなかったり、些細なことにクヨクヨして長期的な展望を持てなかったりするという症状だ。
 菅氏も心の病を患っているのであれば、当然そういう症状はでているハズである。しかし、一国のリーダーである以上、常に「決断をする」「見通しを持つ」場に身を置いているのに、どうやって症状をやり過ごしているのか、私のような一般人にとって、そこが謎である。
 もしかしたら、総理の座に対する執着心が高じてしまっているから、辞めるという決断ができないでいるということなのか。あるいは、長期的な展望が持てずにいるから、現状維持を求めて、ただ一日をやり過ごしているということなのか。もし、そうであるならば、菅氏は総理に居座り続ける限り、病状は悪化し続けると思うのだが、どうなのだろう。

 私も職業柄、これまでにうつ的な同僚を何人も見てきた。
 ある同僚は、学級が崩壊の最中に、「○○が、××の態度をとっているのは、△△の理由なんだな」とか「私に対して、あのように言ってきたということは、つまりは、こういう気持ちなんだな」とか、しきりに生徒の分析を職員室で誰に話すことなく、ただブツブツとつぶやいていた。
 つまり、些細な出来事に彼の精神がはまりこんでしまっていたのだ。そして、分析することで、学級経営上の隘路から脱しようともがいていたわけだ。しかし、分析をしたところで、教師がアクションを起さなければ意味がない。それはそうなのだが、うつ的な病状がでてきているから、自己決定をして行動に移すことができないのだった。だから、彼は、結局のところ職員室で、ずーっとつぶやき続けるということになってしまっていた。
 あのつぶやきは、自分の気持ちが折れまいとする悲しいまでの振る舞いには違いないのだけど、ハタで見て、やはり、その姿は病的だった。
 私は、彼の痛ましい姿を見てから、生徒の分析はしたところで、行動に移さないことには意味がないという、当たり前のことを確認した。そして、気持ちがしんどいときには、行動に移すことは難しいということも確認し、であるなら、そういう時は、できるだけ生徒の分析はやめようと思った。
 ただ、教師である以上、そうした意味のない分析をついついしてしまうことがある。そういう時、私は、あの同僚を思い出す。そして、私自身、気持ちが疲れていないかどうか、生徒ではなく自己の分析を誰に話すこともなくブツブツとつぶやくのだった。