としちゃん&VTR250

のんびり、ドキドキ、ブランク10年のリターンライダーの日記

東北からのメール 1998年

2018-10-05 15:00:00 | 日記
98年 東北からのメール


4月 7日 水曜日

 寒いです。連日冷たい雨が降っています。今にも雪になりそうです。やっぱり北国ですね。

その割に昨日ゴキブリを見ました。数年振りだったので、そういえばこういうのがいたんだという感じでした。久しぶりに、ゴキブリに気を使う生活のようです。

やっと周りの道がわかってきました。通勤道路は毎日少しずつ最短コースに近づいています。
今のところ明るいうちに帰って、コンビニで買いものをして、走って、弁当を食べて、と高知と同じ生活になってきました。

今日は衛星放送で松坂投手の初登板を見ていました。すばらしいピッチングでした。衛星が見られてやっぱり良かったです。

4月14日 水曜日

 引っ越しの挨拶状を少しずつ書いています。
こちらもやっと桜が五分咲きになりました。15日はお花見です。

今のところ忙しくないので、毎日早く帰って、走って、弁当を食べて、野球を見て、と高知と変わらない生活です。
特にこの土日は雨ということもあって、走り以外、外に出なかったので、全国どこにいても一緒です。(笑)

4月15日 木曜日

 桜が満開です。花見は明日になりました。
夜は寒そう。雨が降ると室内になるのでその方がいいかな。

 多賀城での走行距離が100kmを超えました。

4月19日 月曜日

 昨日(日曜日)は、多賀城へ行ってきました。行かなくても住んでるじゃないかと言 われそうですが、市の名前ではなくて、奈良時代に朝廷が東北地方を治めるために 作った、あの多賀城跡です。

多賀城は外郭が塀で囲まれた約900m四方もの広大な所だったそうで、塀の跡の一 部分が保存されています。
中央の小高い丘に政庁跡が残っています。復元図から想像すると、外郭の南外門から まっすぐ伸びた幅10m以上もある道を進んでいくと、見上げる前方に高さ10m近 い南門が見えて来ます。南門を入ると100m四方もある塀で囲まれた敷地内に、正 殿、脇殿、後殿などの建物があります。正殿前には、石敷の広場があります。振り返る と仙台平野が一望出来ます。

今は、南門前の道数十mと、100m四方の外周と建物 の基礎だけが再現されていますが、言葉では言い表せないその壮大さが実感できま す。

まだ竪穴式住居に住んでいたろう当地の人にとっては目を見張るものだったことで しょう。驚きとともに南からやって来た人の力の大きさを感じたことでしょう。
今は政庁跡も桜が満開でした。

4月21日 水曜日

 昨日はこちらへ来て初めて暖かいと感じました。
でも、今日はまた寒いです。

昨日は塩竃神社に寄って帰りました。
東北一宮というだけあって、広くてりっぱな神社でした。
桜が満開でした。特に参道入り口は、一面に淡いピンクと濃いピンクの桜が混じり、 さらに日本庭園の向こう遠くに小島の浮かぶ塩竃湾が見え、見事な景色でした。

平安時代からあるという塩竃桜は思わぬ小さな木でした。残念ながら、35~50枚 もの花びらをもつという花は、5月上旬に咲くということで、まだ蕾が少し膨らみ始 めたところでした。
他には、狛犬の数の多さと、山門の一つに両側に鹿(もちろん彫り物)が座っている ものがあったことが記憶に残っています。

5月 5日 水曜日

 こちらも新聞のチラシが多いです。5月2日は一週間分の新聞とチラシを見ていると 夜になっていました。

 5月5日は天気が良かったので、さすがに午後は出かけました。といっても、多賀城 市内を自転車で回っただけです。

感想①

多賀城市は豊かです。スポーツ、文化施設がいろいろありましたが、特に市民会館と 博物館は新しくて、百万都市級のりっぱなものです。

仙台港多賀城地区に工場地帯があって税収が多いためとのこと(?)。近隣自治体の 吸収を進めた仙台市と合併しなかったのも、市の財政が豊かだからと聞いていました が、実感しました。

感想②

名所、旧跡が沢山あります。多賀城跡、多賀城碑、廃寺跡、陸奥総社宮、1haのあ やめ園、加瀬沼(といっても湖ですね)。
特に奈良、平安時代まで東北地方の中心 だっただけあって、遺跡、史跡が多いです。まさに史都多賀城ですね。
しかし遺跡が あり過ぎて、何百m四方もの範囲で発掘中の田んぼもありましたが、あんなに田んぼ が使えなくなって大丈夫なんでしょうか。

5月11日(火)

仙台市 100万人突破記念の日に市民になろうと届が一斉に出て、一気に人口が伸びました。

夜は初めての経験の弔辞書きに頭をひねる。12日未明やっと完成。(12日の出来事参照)

5月12日(水)

朝6時半に家を出て、福島県いわき市へ出張。
映画「喜びも悲しみも幾年月」のモデルとなった元灯台職員夫人田中きよさんの葬儀告別式に参列。遺族の依頼により弔辞を述べました。 恥ずかしながら新聞に載ってしまいました。

式終了後、塩屋埼灯台へも行きました。灯台への登り口には、美空ひばり「乱れ髪」 の歌が流れる碑と「喜びも悲しみも幾年月」の碑がありました。
塩屋埼灯台は今年百 周年。秋には記念行事をします。

夜航路標識事務所職員と懇親会。
2次会はカラオケ。 CDで聞いていた天童よしみ「夢・恋歌」を練習するも難しくて歌えず、あきらめる。「乱れ髪」に切り替え練習。なんとかごまかせる。

5月13日(木)

朝7時にホテルを出て、各駅停車で5時間かけて帰塩。
午後本庁次長の2本部視察を受ける。 夜は懇親会。2次会はまたまたカラオケ。
さっそく昨日練習した「乱れ髪」を歌う。 百周年灯台の歌ということで一応好評。

5月14日(金)

私の机にもパソコンが来ました。
但し、インターネットにはまだつながっていません。

5月15日(土)

朝8時半から宿舎の掃除(草刈り)。刈り甲斐のある草の量でした。
掃除は、平日実施で奥さんの仕事と思ったのは甘かった。 単身者は勿論、家族持ちは夫婦そろっての参加でした。

午後、明日に備え久しぶりにゴルフの打ちっ放しに。
ひどい。ほとんどまともに当たらない。 でも明日の今日ではどうしようもない。あきらめて帰る。
しかし自動で土曜日でも1球10円しないのは安い。

5月16日(日)

一日中雨。しかも寒い。おとといまで快晴の夏日だったのが嘘のよう。

7時にゴルフに出発。予想通りひどかった。 16人中最下位。また真面目に練習してみよう。環境には恵まれている。

雨で仙台青葉まつりは中止。すずめ踊り、山鉾巡行、武者行列などが行われるはず だったが、来年までお預け。

6月13日 日曜日

 今日は、青葉城址へ行ってきました。初めてです。バスで行ったので、途中東北大学も通りました。一山全部大学という感じでやっぱり広いですね。工学部だけ でも停留所が3つありました。理学部と薬学部は隣同士ですね。

青葉城址はその名のとおりで、今でも騎馬像以外特に珍しいものはありません。

 その後、瑞凰殿という伊達政宗のお墓へ行きました。東照宮のような豪華絢爛た る建物です。遺骨は保存状態が良く、調査の結果、政宗は身長159.4cm( 当時の中背)、B型で、細面で鼻筋の通ったハンサムだったそうです。ここまで は、資料館の知識。

 ここからは団体客案内のガイドさんの話。正室1人、側室6 人、子供は10男4女。2代忠宗は側室の子で、正室の子供が後で出来たために 、愛媛宇和島の城主として外に出したそうです。

一人の男の人が「ゆっくり見ていって下さい。」と去って行った後で、おばさん たちが、「上品ねえ。やっぱり御殿様ねえ。」と言っていました。そこだけしか 見ていないのでよくわかりませんが、17代目に偶然あったのかも。

6月20日 日曜日

 先日、生まれて初めて交通事故にあいました。国道45号を自転車で出勤中です。

横道からじわじわ出てくる車が見えていましたが、ゆっくり通り過ぎようとしたところ、後車輪にぶつかられました。ぶつかるとおばさんもさすがに自転車がいたのに気が付いたのか、びっくりして謝っていました。その時はなんともないと思ったけど、後輪が曲がっていました。かわいそうな自転車。

前が確認できない所は必ず止まり、前が見えていれば飛んででも避けられると自信をもって走っていましたが、甘かったです。オバサンおそるべしというやつですね。以後、横道のある道路は避けて通勤することにしています。

自動車にぶつかられたのはもう3週間ほど前です。触った程度なので何ともありません。心配要りません。

 明日から23日(水)まで、出張に行って来ます。秋田、山形県の海岸沿いを見てきます。
21日は男鹿(秋田県)、22日は酒田(山形県)に泊まります。 

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