ビスケットのあれこれ

ビジュアル言語ビスケット(Viscuit)に関するあれこれを書いてゆきます.

僕もデジタル教科書について考えてみた

2010-05-31 08:05:01 | 1
学習指導要領との関係はどうなるのか?ここを変えないで教科書だけデジタルって話に行くのだろうか.それとも,デジタル化を反対している人たち(毛嫌いしている人たち)まで話を広げると,決まるものも決まらなくなるので,とりあえず教える内容は変えませんよ,という戦略なのか.


僕が中学のときにLL教室というのがあって,英語の先生がそれを熱心に使われてらして,公開授業で,多くの先生方に見られてしまった.で,どうしていまやられていないんだろう.まあ英語は自分の発音がどうこう,なんて実は重要じゃないから,つまりLL教室自体が幻想だったのだと思うけど.

デジタル教科書も,なんか幻想になってしまわないかどうか.僕は派手な変革よりも,確実な1歩を積み重ねてゆくのがいいと思う.


それから教育について思うのは,親の存在.

結局,子どもがどんな大人になるのか,ということの全責任は親にある.学校の先生も数年は一緒に考えてくれるかもしれないけど,あれだけ大勢の子どもをいっせいに見るのだから,限界もある.どんなにぐれても,出来がわるくても,親は最後まで子どもの面倒を見る.

評判の悪い子ども手当てだけれど,その全責任がある親にゆだねる,という点で非常にいい制度だと思っている.そんなにiPadを子どもに使わせたければ,子ども手当て数か月分で買えるのだから買ってあげればいい.その先も,毎月コンテンツを増やせられる.他人の子どものことは,大きなお世話かもしれない.

制度として上から押し付けるってのは,やる方からするとやりやすいのかもしれないけど.やっぱり一人一人の親を説得して,きちんと納得してもらって導入ってのが本来の方向なんじゃないかなぁ.一人一人の親を説得できないようなものはいらんよ.親をどう説得するか,という問題から逃げるべきではない.

あと,学年の問題.どの学年から必要なのか.
確実な一歩というのだったら,上から考えるのがいいかもしれない.

自明なのは大学.いまどきの大学,どんな専攻であろうとも,ノートPCは一人1台持っているべきだと思う.大学側では最低スペックを指定する.iPadがここに含まれるかどうかは,大学が決めればいい.

高校.ここが一番難しいのかも.いろんな高校でレベル差がありすぎる.センター試験がPC持込可の科目がでてきたりしたら(調べる能力のテストとか)すぐに採用されるかもしれない.逆に職業高校だったらもっとバリバリPCを教えているだろうね.じゃあ,やっぱり簡単か.高校も必須.

中学.うーん.個人のPCがいるかどうか疑問.この話は,完全に個人の家庭の問題になってしまうので,僕の家の子育てのことしか話せないけど.うちの子には小さいうちから親のPCは比較的自由に触らせていたし,自分のメールアドレスも小5くらいからあたえていたけど.PCは親のいるところじゃないと触ってはいけなかった.携帯は持たせていない.携帯と個人PCは高校に入ってから与えた.アルバイトも高校に入ってから自由にやらせている.

いろんな考えの家庭があると思う.これは情報交換はするけど,議論をするべきことではない.どういう子どもに育てるのかの最終的な責任は親にあるのだから.
個人がPCを持つことがどういうことになるのか,ということを各親がきちんと理解した上で,各家庭の考え方でルールを決めればいい.

逆に学校は,ルールが厳しめの家庭にあわせてやってほしい.学校の勝手で,家庭のルールが緩ませられるのはまずい.

たとえば,子どものメールは親がどこまで監視するべきなのか.これは,子ども部屋に鍵をかけられるようにするかどうか,ということと似ていると思う.鍵はかけないけど,部屋に勝手に入ったりしないよ.みたいな距離感というか.子どもが小さいうちは,部屋を勝手に掃除されてもなんとも思わないし.

そもそもメールのインタフェースが,隠し事を推奨するようなものだから,親に見られる,見るのが悪い,ということになる.いま,大人が使っているメールではなくて,子どもがやりとりするためにきちんとデザインされたツールにすべき.

たとえば,twitterは個人的なやり取りでさえも,みんなに見られてしまう.見られるのが前提のインフラだ.こういうものを小さな単位から使わせて,徐々に広げてゆけばよい.

小学校低学年は,家族とのやりとり.
中学年は,クラスとのやりとり.
高学年は,同じ学年や,姉妹校とのやりとり.こんな感じで広げてゆく.
しかし,その範囲に属している人たちの会話は,twitterのように全員に筒抜けになっている.これだと,子どものコミュニケーション能力の発達と一緒にリテラシーもあげられる.

話がずれるが,コンピュータはエンピツを削るナイフのようなものだ,という議論がある.危険だから触らせないというのではなくて,きちんと使い方を教えれば安全,という説.僕はこれには賛成できなくて.というのは,今のコンピュータはエンピツを削るナイフのようなちょっと危険なものなんかではなくて,柄のないナイフだから.まずは柄のあるナイフから使わせようよ.それもペーパーナイフくらいのやつ.今のメールって,大昔に使われてたメールからまったく進歩していないんだよ.だからスパムもいっぱいくるし.mixiのメッセージとかtwitterのようにもうちょっと安全なものがいい.

小学生にコンピュータ.
僕は個人のものは要らないと思う.リコーダーは衛生的な問題で個人で購入するけれど,太鼓とか,跳び箱とかはみんなで使っているし.コンピュータ教室というのはすでに導入されているから,しいて進めるとすれば,教室に数台ある,ってところかなぁ.まずはそれを授業で活用できるかどうか.

いらないという強い理由のひとつは,親の問題もある.子どもがコンピュータ内でなにをやっているのか,親がきちんと監視できない.それは怖い.まだまだ,家庭でPCを自由に使えている親は少ない.

親と一緒に使い方を覚える的な普及のさせ方をするべき.だから,子どもに1台というよりは,親子で1台というのがいいんじゃないかな.所有権はまずは親に与えて,そこから徐々に子どもが使う時間を増やしてゆく.

そういえば,母子手帳ってそんな感じだよね.妊娠したら,母親教室父親教室に行って,母子手帳もらって.生まれてからは,母子手帳が重要な情報集約ツールとなって,医者やいろんな人たちがそれを中心に子育てする.

子どもが小学校に入ったら,親子PCというのが各家庭に配られる.すべての親がPCの使い方を学ぶ必要があって,それを通じて,先生とやりとりが行われる.その連携の上で子どもを徐々にPCに浸らせる.

あ,PCって書いたけど,もちろんiPadでもいいです.でも親子PCというのは別にデザインした方がいいかも.

その他は,いろんな人たちがしゃべっているので.僕も大体同じような意見です.

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