ビスケットのあれこれ

ビジュアル言語ビスケット(Viscuit)に関するあれこれを書いてゆきます.

デジタル化で教育は変わるべきか

2010-10-05 07:06:24 | 1
変わるべきではない理由.

個々の人間の本質的な性質は何千年も前からほとんど変わっていない.日本人の食生活が変化したので,子どもの体格は変わってきたらしいが,その程度.脳に関しては何にも変わっていない.ギリシャ時代のお話や落語とか,現代でも通じる.少なくとも,生まれたての子どもへの接し方は何にも変わらない.暖かく抱きしめてあげるという,人間の遺伝子に組み込まれたやりかたをやればいい.

科学技術の進歩は,基本的なものを変化させるというよりは,むしろ基本から外れざるを得ないケースでもうまく行くために使われているし,そうすべき.昔だとあきらめていたような子どももあきらめずにすむ.死産が減ったとか,障害がある子どもの教育とか.そういうのは変わる.

変わるべき理由.

こっちは言うまでもなく,社会が変わるから,それに対応すべき,という話.確実なのは,専門学校の教育.社会のニーズに常に対応しなければならない.大学は議論の分かれるところ.大学が出口であると考えるなら,やはり社会の変化に追従すべきだけど,専門的な学問の入り口であると考えるなら,学問の大きな流れなんてそんなに激しくは変化するわけないんだから(量子力学や相対性理論が見つかったとしても,ニュートン力学が否定されたわけではないのだから),入り口としては変わらない.でも,学問は発展しているので,それにどうやって対応しているかというと,4年では終わらなくって,修士課程とか博士課程とか,勉強する期間が長くするのが一番まっとうな方法.間違っているのは,4年間というのに無理やり詰め込んで,学問の入り方をはしょってしまうこと.

たとえば,僕の経験から言うと,僕がコンピュータを触ってた頃はオブジェクト指向は無かった.自分の勉強が進むのと同時くらいに日本にも入ってきてブームになった.だから勉強と,学会発表がまったく同時だった.学会もちゃんと機能してて,学生でも教授と対等に議論できた.でも,今はそうじゃないから,それこそオブジェクト指向が教科書で教えるようになってきて.そこで何が違うかというと,オブジェクト指向にも普遍的な部分とそうじゃない部分があるのに,それが知識として固定化されると,そうじゃない部分を変化させる力が出てこないということ.それから勉強してても面白くないよね.

でも,学問として間違った発展をしたこともあるから,そういうのは(本当はそういう間違えもちゃんと体で覚えた方がいいから丁寧に教えたいけど)軽くやれるとして,20年かけて発展したことを20年かけなきゃ教えられないと言うわけではないだろうけど.でも6年くらいはかかるかも.理想は歴史のとおりに,成功も失敗も丁寧に教える.

なので,大学の教育でさえも,無条件で変わるべきだとは言えないということ.でもまあ,大学は変わるんでしょう.

22歳でここまでというのが時代とともに変化して,生まれたての子どもは変わらない.となると,全体的にストレスを最小にするには,ちょっとずつ前倒しすることになるのだと思う.これは無理な話ではなく,立命館小学校で聞いたところ,小中高で一貫でやると高校最後は1年分くらい余るのだそうだ.この年齢での1年の余裕は非常に大きいと思う.

現実的には大学入試が変わらないから,高校までは変えようがなくって,大学の4年間であわてて詰め込む.そうしちゃうと学問は面白くなくなるし,世の中を変化させる力にならない.なぜ勉強するかとかそういったことを自分で理解できないまま大学をすごして,世に出てしまって,後悔する.

立命館小学校の作戦は,大学の4年間を最大限活用できるすばらしいものだと思う.余った1年で何を勉強すべきか自分の頭を整理できる.一貫校じゃない高校生でも少しは工夫できる.ちょっとでもいい大学に入りたいということで,受験科目だけを集中して勉強したいだろうけれど,その先の大学4年間を無駄にしないための,無駄な時間も大切にしよう.

同じ事が小学生にも言えて,たとえば,今の小学生は塾ばかりで遊ぶ暇がない,と言われているけど,学校と塾とで同じことを勉強しているのは無駄で,強いて塾に行く必要があるとしたら学校ではやらないこと,世の中にどういう風に関わってゆくのかを小学生なりに考えるきっかけになるようなことをやるべき.そうするとその先の教科の勉強が急に生き生きとしてくる.学校で習う前に,その必要性を感じられるのが理想的.本当はそれも学校の先生がやるべきだと思うけど,この部分は能力差が激しいので,先生全員は無理.だからお金を出して別にやる意味がある.そこは競争にさらされる.(ビスケットのワークショップに参加した小2の親から,「うちの子が初めて将来なりたい職業を言ったんですよ」といううれしい感想をもらった.ワークショップの効果の一つだと思う)


デジタル教科書議論

大学はすぐにでも変えるべき.あたりまえ.大学生に一人1台のPCを義務付けていないなんて,いまどきの大学としては恥ずかしい.こんな大学は行くだけ無駄.

次に,受験を変えるべき.受験が変わらないと,そこから下が全部かわらない.大学は学問の入門だとするなら,コンピュータ操作は必須なんだから,それを入試に入れるのは当然.英語と同じくらい重要.

僕はコンピュータの操作法を教えるだけじゃなくて,基本原理についてもちゃんと教えるべきだと思う.それがプログラミング教育を必須にすべきという理由だけど.基本原理を知ってから操作法を覚えた方が覚えやすいしやる気が出る.この話はまた別に書く.

受験が変わったら,高校も必然的に変わる.僕は高校生くらいからPCは必須だと思っているけど.PCには誘惑も多いので,理想的な使い方を学校で教えた方がいい.高校生のいる家庭ではブロードバンドも必須.これを入学の条件にしてもいい.高校授業無償化の流れで,高校生のいる全家庭にネットとPCを国が用意する.

中学は一人1台というのは早過ぎると思う.子どもから大人に変化する大事な時期だから,高校生になってPCでひとり立ちできるようにするために,その準備を中学でやる.家族で共有くらいのPC.一人部屋がもらえるけど,鍵はかけられないぐらい.万一のときは親が介入できるけど,普段は子どもを尊重する.子どものメール
はみないけど,見ようと思えば見れる.この距離感が大事.こういう距離感を調整できないツールは不完全で危険なので中学生には触らせない.

小学生は,家族でテレビを見るような感じで,家族でPCを触る.メールを一緒に打ったりとか.

こういうのは,子どもの成長や家庭の環境で変わるので,親が責任をもって調整する.

デジタル教科書で,一方通行の授業ではなくて,体験型の双方向の授業に変わるというけど,これはデジタル機器がもっともやりにくいこと.机を向かい合わせに配置して,模造紙でグループ学習をする方がずっといい.マルチメディアというけれど,プロジェクターや教室にあるTVで十分.個人の画面で見る必要があるのは,目の悪い子とか,学習障害で気が散りやすいとか.

小学生には,百科事典の分厚さを体感して欲しい.デジタル化すると検索に便利だけど,知識の量に対する直感が身につかない.量の直感が身についた後で,デジタル検索に触れさせる.

僕は小学校にデジタル教科書導入は議論が必要だと思う.確実に必要な大学高校あたりはすぐにやる.