ビスケットのあれこれ

ビジュアル言語ビスケット(Viscuit)に関するあれこれを書いてゆきます.

携帯電話を学校に持ち込むな,の議論

2010-06-01 05:49:02 | 1
昨晩は,広島でワークショップ関係者との宴会.そこで偉そうなことをまた言ってしまったのだが.

広島県は,高校でも携帯電話は学校へ持ち込み禁止なのだそうだ.高校でも禁止というのは,やりすぎだと思うが.

議論をしてて,自分がどういう立場なのかということにはっきりと気づいた.僕は,技術が大好きで,すべての人がその技術を安心して使えるようになって欲しいと思っている.いまのように,「学校で禁止すべき」「禁止すべきでない」という真っ二つに意見が割れるような状況では,なぜ「禁止すべき」という意見がでてくるのか,の方に興味がある.そして,最終的にはみんなが合意できるところはどこなのかを,技術で解決したい.

僕が理想とする携帯電話は.

幼稚園児は,自分の親にしかかけられないし,かかってこない.

小学校低学年は,クラスの友達や先生にはかけられるけど,いつどのような内容の会話が行われたのかは,親や先生が見守れるようなもの.これは監視のように感じるかもしれないけど,そうではなくて,子ども部屋にこもって遊ぶのじゃなくて,大人が見ている範囲で遊びなさいといっているようなもの.

小学校中学年では,何か問題があったら,大人が内容を知ることができるけれど,積極的には見ない.子ども部屋で遊んでもいいけど,鍵はかけるなってこと.

学年があがるにしたがって,子どものプライバシーを尊重しつつ,いざというときは,大人が助けられる体制はつくる.鍵はかかるけど,万一のときは鍵をこじ開けられることだけはできるようにしておく.

上の議論で,メールなのか電話なのかというのをあいまいにしていたが,文字のコミュニケーションの難しさ,というのは,これとは別に,それぞれの学年できちっと教える必要がある.感情を込めて読んだ文が,文字だけを伝えた場合,その感情がどれだけ違って解釈されるのか,ということ.学年があがるにしたがって,どうすれば誤解されにくい文が書けるようになるのか,ということをきちっと教える必要がある.

高校生くらいの子達には,メールを何分以内に返事を書かなければいけない,という怖いルールがあると聞いたことがあるが,これも,正しいコミュニケーションを手順を追って教育してこなかったせいだと思う.大人だと,それはやばいと思って,どこかで制止することができるが,高校生のような中途半端な能力しかないから,止めることができない.破綻するルールとはどういうものかを教える必要がある.

話を戻して,子どもの発達に応じて,能力が増す電話であるが,この能力を変更するのは親の仕事である.親が設定して制約を解除する.機械おんちの親であっても,この設定解除がどんな結果につながるのかをちゃんと理解して操作できるようにする必要がある.これは技術側の問題と,親も含めたリテラシー教育の問題でもある.