「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
→こちら Instagram

完璧だった!

2007-11-27 | ●介護録(~2015.2月)
日曜日の母は、パジャマのままでなかなか着替えてくれなかった。
とごにも出かけないし、構わないけど、ただ、紙パンツのことが気になって、なんとかそれだけでも替えたいと思った。
何度が母に声かけしてみるんだけど……ダメ…。
パンツはしっかりオシッコを吸収してタポタポしている。

しばらくして気がつくと、母は紙パンツを自分で脱いでノーパン。パジャマのズボンをはいただけ。
このままでは危険だ。
失敗したら困る。
……と、思っていたら、すでに失敗していた。床が濡れている。
私の心はだんだんと…だんだんと………。

「お願い、パンツ、はこうよ」
あの手この手で母に言う。いろんな方向でせめてみた。だけど母はガンとしてきかない。
最後には泣いてしまった私。
泣いて頼んだって母は聞いてくれないけど、涙が止まらない。

苦しい……。

あきらめて、寝るまでこのままかな…と覚悟して立ち直り…。しばらく時間をおいて再度トライしてなんとか紙パンツをはかせることに成功。
長かった……。

だけど、姿はパジャマです。もう後は寝るだけだから楽でいいわ…とおもったら、夜8時を過ぎて、母が自発的に着替えていた。

見れば、下着も身につけ、タイツもはいて、その上にセーター&カーディガン、そしてズボンを正しくはいていた。
ちよっと、ビックリ!完璧じゃん。

「出来る」こともあるんだよね~~今でも、

Thank you !Hillman

2007-11-27 | ■ファイターズ
I'll be back………と言って、ヒルマン前監督が帰って行った。

昨日の各局ローカル番組は、24日のVパレード、25日のファンフェス、そして梨田新監督出演と、ハムの話題でいっぱい。

多分、珍しいことだと思うんたけど、ファンフェスで、ヒルマンさんから梨田さんへ、88の背番号がついた練習用Tシャツが手渡される引き継ぎ式?とでもいうべきセレモニーが行われた。
優勝しての勇退だからこそ出来ることだけど、こういうのも、いいな~と思った。
シーズン終盤のヒルマン監督の退団発言に日本シリーズマオの渡米、シリーズ後にはコーチの解雇など、ちょっとイヤな感じもあったんだけど、ともかく、こういうセレモニーで、とにかく気持ちよく来期に向かおうという気持ちにもさせてくれる。
問題がなにもないことはないけど、とにかく、ハムという球団はファンを裏切らないゾ…と、思えたファンフェスでありました(TVで少し見ただけだけどサ)

ヒルマンさん、日本語で森山直太朗の「さくら」熱唱。惜別の唄だもんね~泣いちゃうよね~聞いてたら…。

成績が悪くて去るのではなくて、勇退するとこんなふうに盛大に、別れを惜しまれ、感謝に包まれて去っていけるんだなぁ~。
ヒルマンさん、幸せな人。

Vパレードの途中、大沢親分を見つけるとオーブンカーを降りて駆け寄り頭わ下げていたヒルマンさんは、日本人より日本人的。
ジェントルマンであるのはいうまでもないけど、あの方は、クレーバーで、契約社会での立ち回り方もよく知っているんだワ…なんてことも友達と話していた。(よい悪いではなくて)

10年後、彼はまたハムに帰ってくるかも知れない。
その時には、今、育てた選手たちがコーチになってたりしてね。