「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
→こちら Instagram

みんなはどう?

2007-11-06 | ●介護録(~2015.2月)
母は完全に紙パンツ。(現在は「尿取りパット併用」が機能中)
オシッコを吸収したパットを取り替えたり、時にははずしたパットがとんでもないところに置いてあったり、紙パンツをしているにもかかわらず漏れたり…。
この間は、パットを取り替えている時に母が突然「出るー」と叫んだその瞬間にポタポタ……「待ってー」と慌てて紙パンツをあげてトイレに直行したことも(/--)/

排泄の始末は楽しいものではないけど、それを淡々こなす自分がいて、むしろ、排泄の始末より、物がなくされたり、玄関の出入りをされるほうが100倍くらいイライラしてたまらないのデス。

同じ排泄関連で言うなら、汚れたパットを丸めてビニル袋に入れる作業より、ムシリ取ったパットのポロポロを掃除するほうがイライラする。

単純に比較すると、排泄のほうが人としてイヤな作業な気がするんだけど、なぜか、イライラはしない。
とにかく淡々と片づける自分がいる。

この「淡々さ」はどこからくるんだろ?

やることは決まっている。「汚れたものは捨て、新しいものを母にあてがい、汚れた所は掃除する」…分かり切っているから淡々とこなせるの?

比べて、いろんなコトに手を出されたり物がなくなるのは、いつ、どういう形で、何がどうなるのか予想がつかない。
紙パンツの処理はすぐに終わる。だけど、玄関の出入りや徘徊はいつ終わるかワカラナイ。
だからイライラするのかしらん?

幸い、母が紙パンツを簡単に受入てくれて、取り換えるのも、私がパットなどを点検することも拒否しないのも大きい要因かも。
タップリ吸収した紙パンツを取り換えてくれない……なんてことになっていればやはりイライラのタネだろうから。

排泄問題が出る前は「その時」をとても恐れていたけど、実際は違っていた。

みんなはどうなんだろ?
排泄のアレコレと、その他の問題行動。今の段階での私は、精神的に紙パンツの処理のほうがずっと楽です。