というわけでやっとこさ後半どす。ネタバレありですのでご注意くだされ!
☆スカイ・クロラ☆
「草薙水素」と書いて「クサナギスイト」と読む!
「スイト」!!!!なんじゃそりゃあ~。
しかも菊地凛子が下手というかキャラと合ってないというか・・・。
キャスティングははっきり言って微妙でした。まぁよかったのは谷原章介。
この人めっちゃ巧かったです。
声優さんも仕事を奪われそうな勢いでした。
んで、肝心の物語はというと・・・・・。
バックグラウンドの説明が何もないまま進行するし、派手な戦闘シーンのわりに物語も淡々としてて意外に起伏がないのでちょっと退屈かも?
それから「逆デジャブ」というか、初めての場所のはずなのに主人公のことを周囲の人が知っている?というような発言や態度が多く違和感を感じます。
(最後の方で理由は明かされますが・・・)
もちろんこれらは演出なんでしょうけどね・・・。
物語のポイントは「キルドレ」という「大人になれない」存在が「どう生きて」「どう殺されているのか?」そしてその宿命から「脱却できるか?」というものだったと思います。
「キルドレ」は大人になれない「永遠の子供」で、劇中の世界においては戦争ショービジネスの「兵士」として生きる存在です。
もちろん人工的に作り出された存在です。
彼らは自己の存在について特に疑いを抱かず、どこか呆けたような、気だるいような態度をとることが多くて、戦争(ショーといえど本物の殺し合い)をやっているという自覚にも乏しいように見えます。
しかも、彼らは例え戦闘で命を失っても遺伝子の情報から戦争の経験値だけを残して「別人」としてよみがえることができるのです。
記憶を奪われて「別人」としてよみがえっても顔つきやしぐさなんかは残るため「以前誰であったか」ということがすぐにわかってしまうのです。
だから、初めて赴任したはずの基地ですでに自分のことを周囲の人が知っていたわけです。
つまり「キルドレ」とは「殺され続ける」ことを宿命づけられた「永遠の存在」ということになるのでしょう。
今作のヒロイン「草薙水素」はこのキルドレの存在に疑いをもったキルドレの一人で、ただ現状を変えられないことに絶望しています。
この世界の戦争ショーにはキルドレが絶対勝てない「ティーチャー」という唯一の大人がいます。
つまり、ティーチャーを倒さない限りシステムを変えることができないわけです。
果たして「キルドレ」たちは「ティーチャー」を倒せるのか?
まぁ、それは映画を観てくだされや!
自分が言えることは最後のシーンが好きになれるかどうかでこの映画の評価が変わるってことと、ちゃんと最後まで見てねということです。
最後までですよ!!
ちなみに自分はわりとラストシーンの「水素」のセリフは好きですね。
菊池凛子もだいぶ巧くなってますしね。
最近、例の「まんがで読破」の「ツァラトゥストラかく語りき」を読んだ時、なんだか「スカイ・クロラ」に似てる気がしました。
「キルドレ」の生き様こそ「永遠回帰」に他ならない気がいたしました。
「永遠回帰」からの脱却を目指す「ツァラトゥストラ」こそ「水素」の姿そのものではないかとガラにもなく難しいことを考えてしまいました・・・。
うわ~気がつけば長々と・・・・。
最後に押井監督について
この人ってアニメ監督だけどアニメ作りたいわけじゃないですよね。
つくりたい手法がたまたまアニメだっただけなんですよね。
そこが「アニメをつくりたい」宮崎監督と大きく違うところですね。
今作でいえば戦闘シーンのCGやキルドレの描き方がアニメじゃないとできないからアニメでつくっただけなんでしょうね。
「画」とか「動き」ではなく、登場人物の設定とか世界観とか思想みたいなものに拘って作り始めているように思います。
今作では押井色は薄いんですけど(原作付だからか?)「パトレイバー2」はまさしくそんな感じでしたよね。
目で見るより、頭で見る感覚なんでしょうね。
だから表題を「理屈の押井」としてみました。
高校生とか大学生とかの自分ってこういう作品がすごく好きだったんですが、最近少ししんどいです。
トシとったからかなぁ?
☆スカイ・クロラ☆
「草薙水素」と書いて「クサナギスイト」と読む!
「スイト」!!!!なんじゃそりゃあ~。
しかも菊地凛子が下手というかキャラと合ってないというか・・・。
キャスティングははっきり言って微妙でした。まぁよかったのは谷原章介。
この人めっちゃ巧かったです。
声優さんも仕事を奪われそうな勢いでした。
んで、肝心の物語はというと・・・・・。
バックグラウンドの説明が何もないまま進行するし、派手な戦闘シーンのわりに物語も淡々としてて意外に起伏がないのでちょっと退屈かも?
それから「逆デジャブ」というか、初めての場所のはずなのに主人公のことを周囲の人が知っている?というような発言や態度が多く違和感を感じます。
(最後の方で理由は明かされますが・・・)
もちろんこれらは演出なんでしょうけどね・・・。
物語のポイントは「キルドレ」という「大人になれない」存在が「どう生きて」「どう殺されているのか?」そしてその宿命から「脱却できるか?」というものだったと思います。
「キルドレ」は大人になれない「永遠の子供」で、劇中の世界においては戦争ショービジネスの「兵士」として生きる存在です。
もちろん人工的に作り出された存在です。
彼らは自己の存在について特に疑いを抱かず、どこか呆けたような、気だるいような態度をとることが多くて、戦争(ショーといえど本物の殺し合い)をやっているという自覚にも乏しいように見えます。
しかも、彼らは例え戦闘で命を失っても遺伝子の情報から戦争の経験値だけを残して「別人」としてよみがえることができるのです。
記憶を奪われて「別人」としてよみがえっても顔つきやしぐさなんかは残るため「以前誰であったか」ということがすぐにわかってしまうのです。
だから、初めて赴任したはずの基地ですでに自分のことを周囲の人が知っていたわけです。
つまり「キルドレ」とは「殺され続ける」ことを宿命づけられた「永遠の存在」ということになるのでしょう。
今作のヒロイン「草薙水素」はこのキルドレの存在に疑いをもったキルドレの一人で、ただ現状を変えられないことに絶望しています。
この世界の戦争ショーにはキルドレが絶対勝てない「ティーチャー」という唯一の大人がいます。
つまり、ティーチャーを倒さない限りシステムを変えることができないわけです。
果たして「キルドレ」たちは「ティーチャー」を倒せるのか?
まぁ、それは映画を観てくだされや!
自分が言えることは最後のシーンが好きになれるかどうかでこの映画の評価が変わるってことと、ちゃんと最後まで見てねということです。
最後までですよ!!
ちなみに自分はわりとラストシーンの「水素」のセリフは好きですね。
菊池凛子もだいぶ巧くなってますしね。
最近、例の「まんがで読破」の「ツァラトゥストラかく語りき」を読んだ時、なんだか「スカイ・クロラ」に似てる気がしました。
「キルドレ」の生き様こそ「永遠回帰」に他ならない気がいたしました。
「永遠回帰」からの脱却を目指す「ツァラトゥストラ」こそ「水素」の姿そのものではないかとガラにもなく難しいことを考えてしまいました・・・。
うわ~気がつけば長々と・・・・。
最後に押井監督について
この人ってアニメ監督だけどアニメ作りたいわけじゃないですよね。
つくりたい手法がたまたまアニメだっただけなんですよね。
そこが「アニメをつくりたい」宮崎監督と大きく違うところですね。
今作でいえば戦闘シーンのCGやキルドレの描き方がアニメじゃないとできないからアニメでつくっただけなんでしょうね。
「画」とか「動き」ではなく、登場人物の設定とか世界観とか思想みたいなものに拘って作り始めているように思います。
今作では押井色は薄いんですけど(原作付だからか?)「パトレイバー2」はまさしくそんな感じでしたよね。
目で見るより、頭で見る感覚なんでしょうね。
だから表題を「理屈の押井」としてみました。
高校生とか大学生とかの自分ってこういう作品がすごく好きだったんですが、最近少ししんどいです。
トシとったからかなぁ?