うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

硫黄島の星条旗を読む

2007年04月14日 08時06分23秒 | 活字中毒の日々、そして読書三昧
先日来買ってきた本、「硫黄島の星条旗」を読む。
 これは去年暮れに公開になった太平洋戦争の映画“父親たちの硫黄島”の原作であるが、やはりと思う部分がある。この本の翻訳のよしあしはさておいて、内容の精粗、構成のまずさ、語彙不足の問題があるにしても、ここでは圧倒的に敬愛する父親への真摯な肉親の情があふれた力作である。著者のJ・ブラッドリー氏は滞日経験もあり、親日家なのである。戦争当時のアメリカ社会はもっともっと対日感情が悪かったのではないか、そしてそれは現在でも底流として続いているとおもう。二部作のうち日本公開は好評でも、この第一作の“父親たちの硫黄島”でのアメリカでの不評なのはうなづける話だ。昨今のご時世ではイラク問題でにっちもさっちもいかない背景があるにしても、である。
 読み終えて感じたのは、この日本ではこのようなドキュメンタリーノベルがあるのだろうか、と言うことである。日々の目前の世事に追われ、熱しやすくさめやすい国民性ではこのような粘着性のある著作物は無理か。大局観に立って見るとその人における人生のなかで何が大事か、軽重の度合いがわかるというのに。
 それはたとえば具体的には、旧日本軍関係とか、公的な防衛省編纂の戦略戦史物・戦記物ではなく、それを貫く五重塔建築の芯柱ごときもの、個人史的なものである。

 わたしの場合は父が軍用馬の調達の役目があり、陸軍の懲役についていなかったと聞かされている。幼い記憶でも父に連れられて行った草競馬・挽曵競馬、馬のセリなどの光景が脳裏にある。農業のかたわら馬喰(ばくろう)をしていたのだ。終戦の年、ごくありふれた地方都市である近くの一関市街には、サイパンあたりから飛来したB29の空襲を受けた。ただ、こういうふうにそういう親の戦争体験を子の世代で情報収集、追跡し記録するという発想と創作形式があり得るか、とういことである。

 実は、わたしには両親がいない。わたしが17歳の時と30歳前に亡くなっている。だから喪ったものの大事さが少々わかる。どんな場合でも身近な死ほど、おののかせ心を揺さぶるものはない。
 ここで、わたしが気にするのはあまりにつらい戦争の実態だから誰にも言えず死ぬまで沈黙を守り墓場まで持っていくということに対してである。
 子供にとって、女親である母の場合は感情と体温でわかるものだが、男親である父の場合は行動とその記憶にしかない。軍役につき見聞きした、筆舌に尽くしがたいもの。特に、まるで阿鼻叫喚の地獄絵図、敵を殺し味方・仲間が殺される戦争の実体験がそうだと思う。
 多忙な日々の暮らしに流される中において家の祖先のルーツ探しもそうではあるが、やはり親たちの経験談はすべからく根掘り葉掘り聞くものと思える。子にとって、親の言葉にならない思いに対して大いに耳を傾けるものだ。
        

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