うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

石原慎太郎のこと

2012年10月27日 19時05分15秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
 
 八十一歳の石原慎太郎が知事を辞めて、新党を立ち上げて、また衆議院選挙に立候補して国政に参画するとのニュースが流れた。まず、これを聞いたわたしの印象では非常に好ましいこととおもった。千葉県知事の森田健作が国会議員の時に石原慎太郎も同じようになにをやったか(比べるのも失礼千万かとも思うが)、についてわたしは記憶にない。人気だけはあった。しかし、都知事の時の実績は評価するものがあった。

 社会は色んな職種の人たちの働きで成りたっているが、天才的な才能を所持すれば別であるが、多かれ少なかれ、みんなその職責を全うするためにはなんらかの資格や免許を持つことが前提になっている。
 ところが、政治家は志だけあればいい。正義を標榜し、まるごと人間を相手にする人間的な職業である。その志とは能書きや絵空事や理想という妄想であり、それを持ち続けて実現していく実務家が職業としての政治家と言える。そしてそれは、自分自身の損得や利益はあくまでも捨象して考えられるものでなければならない。はたして、現代の政治家に身を捨つる覚悟ありや。民主党政権の韻を踏む言い回しやレトリックなど巧みで面白い演説のみやディペートなど色んな議論のしかたは必要ない。現実をありのままに見る目や自身の気持ちと客観的な事象と照らしあわせて行動する。みずからの頭でアイデアやその対応策を産みだす。しこうして、右顧左眄せずおのれの信条にしたがい愚直な思いを吐露していく。それこそが政治家という職業の長所である。
 それは有名大学卒や高級官僚上がりや司法界やマスコミ出身を必ずしも必要としない。このごろの民主党議員や政権には、松下政経塾という「政治家養成学校」あがりやエリートや優等生ばかりであり、なんのことはない、国民の税金が原資の安定した高給の就職先とばかり考えているように見受けられる。あるのははき違えた見栄という自己保身の卑しいプライドのみ。人間性として見ると質的な低下は認めざるを得ないだろう。今回の内閣改造は、「想い出づくり内閣」、と揶揄されているがまさに生活互助会内閣であり、こんなのは必要ない。
 石原慎太郎の環境を見ると、本当に志だけのようである。向こう受けを狙ったとも言えるが、これはこれで見上げた根性。かれは、情報発信力があり国民の人気はあっても、政治家個人として人徳のなさや統率力に難点があり、それほど数的な改革勢力にはならないだろうが、実はこの職業にこそ、本質的な意味で老若男女の区別はないと言えるだろう。石原慎太郎の今回の行動は、「晩節を汚さず」に人生の終盤を迎えるべきだという見方も、「年寄りの冷や水」も全く無縁のことである。

 ちなみに、このブログを読んできた方なら分かるだろうが、わたしには石原慎太郎のあのベストセラー小説「太陽の季節」は下らないし、今までの文学的な評価は全くしていない。
       
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