うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

炎熱の戸外を避けて読書に励む

2007年08月15日 07時36分50秒 | 活字中毒の日々、そして読書三昧
夏がみずみずしくエネルギーにあふれた季節などと思えるのは若い内だ。わたしは、やけどを起こしそうなこの夏の光線と熱線に外出を控えている。地球温暖化などと大げさにならなくとも、60歳近くも生きてみると、実感として冬の寒さはそれほどでもなくなり夏の暑さは年々増してくるようだ。
 この四日間の夏休みは,長い間故障中であったエアコンを新規に入れ替えて、2日ほど籠って、テレビばかりひがな見ていた。高校野球、ドラマなどだ。あまりに気持ちいいので時々うたた寝をしてばかりである。リビングルームを出入りするたびに室外は浴室に入った気分、むぅとする熱気と湿気だ。
 これはならじと、二階のベッドで読書に勤しむ。この際に山積みにされた本があるのだ。これはこれで数年来の枕頭の書、睡眠誘導剤の如きものであった。

 手始めに、「反省」鈴木宗男・佐藤優 アスコム。
 既に有名になった著者たちの対談であるが、ここでは、実際の組織における男の嫉妬の凄みというものを感じる。外務省であれ政界であれ、これはどこでも見受けられる光景である。現実問題、本当にそうだ。おそらくこの人間の世界に即効的な解決策はないであろう。それぞれが独自な方法でやり過ごすしかない。
 それにしても東郷和彦欧亜局長は面白いことを言う。
 官僚には2通りある。それは第一が『能力があり意欲もある』、第二が『能力があるが意欲がない』、第三は『能力がないが意欲がある』、第四は『能力がなく意欲もない』のどれかだ。どれが最低かと言えば、能力がなくて意欲があるヤツだ。

  「マングローブ」西岡研介 講談社。
 これは、JR東日本労組の労働貴族・松崎明を扱っている。かつて親方日の丸であったJRに棲みつく、むかし懐かしい革マルの暗躍ぶりがつぶさに記されていて、驚きの連続だ。
 そうか、あの三派系全学連のなれの果てがここに生息していたのか。

  「日本人とアメリカ人」山本七平 祥伝社。
 平易な表現のアメリカ探訪記といった体裁ではあるが、内容はなかなかのもの。1970年代後半の文章でありながら、今年の5月に単行本化されたものであり、その見聞録の内容は決して古びていない。再読にたえる本だ。

  「空気と戦争」猪瀬直樹 文藝春秋。
 陸軍省燃料課、高橋中尉の開戦時の石油調達計画の流れとあらましが触れられる。また、昭和16年4月に総力戦研究所で〈もし日米戦わば・・〉という前提のもとで‘帝国国策遂行要領’を作成。これは各界の30代若い俊英達のシミュレーションである。いずれにしても、同年12月8日太平洋戦争開戦直前での出来事である。暗然たる思いだ。

  「百人斬り裁判から南京へ」稲田朋美 文藝春秋。
 これは、今続行中である。この事件は戦時中に起きたが、戦後の左翼プロパガンダにまみれた政治風土が背景にある。素直な目と自分自身の頭で考えれば分かる筈なのに、いかに偏狭な観念のみで知識人がミスリードしてきたかが分かるだろう。本多勝一とか大江健三郎とか。
 これでは、BC級戦犯として銃殺されて残された家族にはたまらない。
 とかく世間では、知っている量が多いとか表現が巧みだとか、とされる優秀な人材が指導的な立場に立たされるが、無責任ではたまらない。決して感受性とか学習能力だけで物事が決まるわけではない。左翼的なインテリに多くいるこの人々は、自分自身に鈍感なだけ性情が下品であり、むしろ害毒である。

 わたしのブログを見ている方はご存知のように、専門書は別にして、わたしは流行本とかノウハウ本は読まない。いい年齢になると、時間の無駄という気がする。
 半裸の体は汗まみれ、寝転がってばかりいたから腰痛がする。でも、おかげさまで、わたしにとってこの夏休みは頭の中だけは少々充実していたのかな。
       
コメント
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