ある「世捨て人」のたわごと

「歌声列車IN房総半島横断鉄道」の夢を見続けている男・・・ 私の残された時間の使い方など

1945年の映画 キャプテン・キッド(2)

2016年10月10日 | 好きな歌

著名な海賊

出典→海賊の黄金時代 - Wikipedia http://bit.ly/2e5GT7S

 
殺されて首を舳先に吊るされる黒髭

海賊の黄金時代には現在でもよく知られている多くの海賊が活躍した。17世紀のバッカニーアについてはアレクサンドル・エスケメランの『アメリカのバッカニーア』に、17世紀末から18世紀の海賊についてはチャールズ・ジョンソンの『悪名高き海賊たちの強奪と殺人の歴史』に各人の伝記が詳細に記されている。

  • ヘンリー・モーガン - パナマ市を陥れた偉大なバッカニーア。イギリス本国で処刑されるはずだったが逆に騎士叙任を受けてジャマイカ副総督に就任した。元海賊船長としては珍しく、1688年に自然死した。
  • ヘンリー・エイヴリー英語版 - 捕まったり戦死したりすることなく、財宝を手に引退できた数少ない著名な海賊船長の一人。財宝を満載したムガル皇帝アウラングゼーブの持ち船ガンズウェイ号を拿捕したことでも有名でニックネームとして海賊王ともよばれた。
  • ウィリアム・キッド - 通称"キャプテン・キッド"。1701年、海賊行為の罪でロンドン海賊処刑場英語版で処刑された。ただし、彼の罪状については今でも議論されている。彼が隠したとされる「キャプテンキッドの財宝」で有名。
  • サミュエル・ベラミー英語版 - 通称"ブラック・サム"ベラミー。海賊船「ウィダーガリー」号船長。1717年の嵐で消息を絶った。
  • スティード・ボネット英語版 - バルバドスの裕福な土地所有者だったが、冒険心から海賊に転向した。1717年に砲10門を備えたスループ船「リヴェンジ」号の船長になり、ヴァージニア沿岸を荒らし回った。1718年に捕まり絞首刑に処された。
  • "黒髭"エドワード・ティーチ - 1716年から1718年にかけて鉄の爪でいくつもの海を支配した、おそらく史上もっとも有名な海賊。彼の一番有名な乗艦はアン女王戦争にちなんで名付けられた「クイーン・アンズ・リヴェンジ」号である。1718年にロバート・メイナード大尉の部下の一人によって殺された。
  • ジョン・ラカム - 通称"キャラコ・ジャック"。1720年に捕まり、絞首刑に処されポートロイヤルに死体を晒された。
  • アン・ボニーメアリ・リード - ジョン・ラカムの海賊船に男性と偽って乗船していた二人の有名な女海賊。
  • バーソロミュー・ロバーツ - 通称"ブラック・バート"。20隻もの海賊艦隊を率い、1719年から3年間で400隻の船を拿捕した、歴史上最も成功したと言われる海賊。1722年、アフリカ沿岸で殺された。
  • エドワード・ロー英語版 - 1721年から1724年に活動した。捕虜を殺す前に拷問を行ったことで有名。
  • ウィリアム・フライ英語版 - 1726年に処刑された。歴史家マーカス・レディカーによると、彼の処刑が海賊の黄金時代の終焉となった。

 目隠しされて板の上を歩く (walk the plank)
舷側から突き出した板の上を目隠しで歩かされて海に落とされる。そしてサメの餌食となっていく。これは17世紀ごろ海賊が捕虜を殺したやり方だそうだ。
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こちらも参考になります。
出典→ 海賊収集海賊×海賊

アンジェリクの中でも「海賊」という言葉は大きなキーワードになっています。「海賊」…なぜかワクワクしてしまいませんか? 実在から創作まで世界中の「海賊」を集めてみました。(17世紀関係なし)

 

フランシス・ドレイク 実在 1543?-1596 

リザベス1世好きの管理人なので、ドレイク船長はお気に入りの海賊です。
フランシス・ドレイクは奴隷貿易を生業としていましたが、やがて自分の船を持ち船長となるとスペイン船を襲う海賊行為を始めます。
フランシス・ドレイク三十台には「エル・ドラク」(竜)という仇名で新大陸中にまで知れわったるほどの海賊となっていました。 超人的な強さが人間ではありえない、とスペイン人達の恐怖の対象となっていたのです。

なによりフランシス・ドレイクの特記すべき点は、エリザベス女王の手によりナイトに叙され、貴族となった点でしょう。
エリザベスが女王に即位した時にはイギリスは借金地獄。王室領地まで切り売りせねばならない有様でした。
そこでドレイクはエリザベス女王や貴族達をスポンサーに「私掠免許 マルク」(他国の財産を横取りしても許される、という無茶苦茶な免許)を得ると 1577~80年にゴールデン・ハインド号でスペイン植民地への攻撃、略奪の遠征を行い、そのついでに人類2番目に世界一周を成し遂げました。(一番はマゼラン)
そして母国に帰港した時、ドレイクは50万ポンド以上、今の貨幣価値にすれば国家予算並みの財産を手にしており、その一部でイギリスの借金は 全て支払われました。
エリザベス女王はよほど嬉しかったのでしょう。
スペインとの外交も無視して「エル・ドラク」に「サー・フランシス・ドレイク」と名乗る権利を与えたのでした。

ドレイクは有名な「アルマダの海戦」で活躍した後、五十台半ばで海賊らしく船上で最後を迎えています。 

キャプテン・キッド 実在 1645-1701


「お宝探し」といえばキッド!キャプテン・キッドという俗名の方が有名かもしれません。
キャプテン・キッドがどこかの島に財宝を埋めたという伝説は、ロバート・ルイス・スティーブンソンにインスピレーションを沸かせ、 「宝島」の執筆にも一役かっています。ウィリアム・キッド

キッドは始めまっとうな貿易船の船長でしたが、当時横行していた海賊による略奪行為に悩まされていたスコットランドは、 財力もあり、海上経験も豊かなキッドに海賊駆除を依頼しました。
キッドは資金を貴族達から集め、新しく手に入れたアドベンチャー・ギャリー号と乗組員を率いて航海に旅立ちますが、実際はじめてみると 国家の委任を受けた仕事はそれほど実入りのいい仕事ではありませんでした。
スコットランドから給金が与えられるわけでもなく、獲物を捕らえられなければ多く雇った船員に給金を与えることもできません。

壊血病やコレラで連れてきた乗組員を失うなか、キッドは“目には目を、海賊には海賊を”の精神からか?!明らかに怪しげな船員を雇い入れ、 次第に海賊ではない貿易船にまで手を出すようになっていきました。
「手当たり次第に船を襲おう」と提案する部下ウィリアム・ムアと争いになり、彼を殺している事などからもキッドが 喜んで海賊になったとは思えませんが、結局キッドは海賊となり、イギリス東インド会社の商船ケダー・マーチャント号を襲って莫大な富を手に入れると、彼の首には 懸賞金が賭けられました。

ケダー・マーチャント号から莫大な配当金を手にした部下は、すでにキッドのもとから去っており、キッドを裏切りさえしました。
結局キッドは海賊からは海賊と認められずにいた“孤独な海の男”であったのかもしれません。
キッドはニューヨークで捕らえられ、ロンドンで絞首刑。死体はテムズ河岸に曝されました… 

 エドワード・ティーチ) 実在 1680?-1718

樽に体を突っ込まれ、剣が刺さったらポーンと飛んでいく、あのお茶目な「黒ヒゲ危機一髪」のオジサンはエドワード・ティーチがモデル?! ディズニーランドのアトラクション「カリブの海賊」の海賊もエドワード・ティーチがモデルだそうです。 

エドワード・ティーチエドワード・ティーチは残忍で豪快、海賊にさえ恐れられた大海賊ですがその生い立ちなどは詳しくわかっていません。
名前を幾通りも使い秘密主義であったティーチ。「エドワード・ティーチ」でさえ本名であるのか知れないのです。
戦いの際、エドワード・ティーチはその大きな体いっぱいに短剣や銃を仕込み、凶悪な人相が隠れるほど 蓄えた「黒髭」に硫黄を染みこませた大麻を結い込み、そこに火を灯しました。その姿は悪魔そのもの、そんな彼ですが、女性には優しかったと いわれています。十四人の女性を妻に持ち、最後の妻は16歳の少女でした。

エドワード・ティーチはヴァージニア知事によって編成された討伐隊の指揮官ロバート・メイナードとの死闘によって、その恐怖に満ちた生涯を終えました。
5つの銃創、20を越える刀傷を受け、首を刎ねられるといった実に黒髭らしい豪快な最後でした。 

女海賊アンとメアリード 実在  (アン)1697-1720(メアリー)1690-1721

アン・ボニー親友同士の女海賊アンとメアリー。こんな生き方が実際にあったのだから事実は小説より奇なり!

アンはアイルランドで生まれましたが、母親は妾であったため醜聞から逃れるように一家はアメリカ、チャールストンに移住しました。
当時のチャールストンは海賊達の巣窟、アンは彼らに憧れ、おおよそ女性らしいとはいい難い活発で少し凶暴な性格に育ちます。 そして16歳の時、アンは海賊ジェームズ・ボニーの妻となり海賊の仲間入りを果たしたのです。

ジェームズとアンはニュープロビデンスで生活を始めますが、アンの心はすぐに夫から離れ、アンはニュープロビデンスの大海賊ジャック・ラカム の恋人となりました。
そして女性が搭乗することはご法度だった海賊船に男装 をして搭乗したのです。

ある時アンは、ラカムの海賊船が拿捕したオランダ船の乗組員の中に小柄で美しい少年がいるのを目にします。 たちどころにその少年に恋をしたアンは彼を誘惑しますが、少年はアンの希望をかなえることはできませんでした。なぜならその少年こそが 男装したメアリーであったためです。
メアリーは生きるために幼少から男装をし続けてきた女性でした。女性では稼げないので男装をして軍隊に入ったり、商船に乗り込んだりして 糧を得ていたのです。アンとメアリーは互いの正体を知ると大親友となりました。

アンはピストルの名手、メアリーは剣術の名手、二人は男顔負け、男達にさえ恐れられる存在でしたが、1720年に海賊ラカム達と共に 捕らえられた時には“女”を武器に刑を免れています。
アンもメアリーも二人そろって妊娠中だというので死罪の延期が認められたのです。
アンはその後釈放されたという説がありますが、メアリーは牢獄の中熱病で亡くなっています。 


セルカーク  実在 1676-1721

デフォーの「ロビンソン漂流記」のモデルとなった海賊です。

セルカークはスコットランドの革職人の息子として生まれました。 セルカークの性格は乱暴で跡を継がせようとする父親とも諍いが絶えず、彼は逃げるように海の男となりました。
彼はイギリスから許可を得た私略船シンク・ポーツ号に乗り込むとウィリアム・ダンピア船長の指揮の元、スペイン、ポルトガル船を 襲う海賊となります。

アレクサンダー・セルカークが不幸であった点は彼自身は有能な水先案内人であったにも関わらず、ダンピア船長が有能なキャプテンではなかった点でした。 ダンピア船長は嵐の時期に船を出し、シンク・ポーツ号は強風に流され進路から外れます。
船は激しく損傷し、乗組員の命は危険に曝され、何人かはうみの藻屑となり、悲惨な航海の結果に乗組員の間で反乱の相談が進められました。 セルカークはダンピア船長に暴動の可能性を警告しますが、船長は聞く耳を持ちません。
シンク・ポーツ号が南太平洋のファン・フェルナンデス島という無人島に寄航した際、セルカークは船の補修を十分に行い、休息を取るように船長に進言しますが、 セルカークを嫌っていたダンピア船長は彼をこの無人島に置き去りにしました。

無人島でのアレクサンダー・セルカークの暮らしぶりは「ロビンソン漂流記」の内容と酷似しているように思います。 「ロビンソン漂流記」でのクルーソーの生活描写は作者のデフォーがセルカークから直接話を聞いたのかと思うほど、現実的で細やかです。
二人は同時代人だから話す機会があったとしてもおかしくはないのですが、残念ながらその事実はないそうです。

セルカークは4年後イギリスの私略船によって保護され、母国に戻ることができました。 でもやっぱり海の男。再び航海に出航、船上で命をおとしています。 

 こちらもどうぞ→海賊の起源・歴史などの情報

 


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