とても個人的な話です。
自己陶酔と自己満足の、真夜中の手紙系の記事です。鋼の話題ではありません。
ご不快な思いをされる方もいらっしゃると思います。
読みたい人だけ読んでください。
…っていうか、人が読んだらどう思うのかぜんぜん分かんない。嫌だなーって思う人はいるだろうなと想像するくらいで…そもそも、人に読んでもらう記事じゃなくて、ホントに、自分の記録っつうか、気持ちの問題っていうか。
あと、かなり昔のこと掘り返してるんで、昔の歌猫知らない人にはなんじゃこりゃみたいな。
あ、めんどくさそう、と思った方はスルー推奨。
今年1月末のこと。
荒川弘の出産前後の仕事量。
あちこちで引用していただいた記録は、私のブログが最初でした。
記事を上げた2~3日後、友達とメールで、荒川先生お子さんいたんだ、よかったねぇびっくりしたねぇの会話の中で、歌猫さんの記事あちこちで引用されてるよ、と教えてもらいました。
私もググって知っていました。「個人ブログの転載だけど」と書いてくれたのもあれば、そうでないのもありました。
あっ使われてる私の記事なのに、と思ったのは最初の一瞬。すぐに、ああでも、これは記録だから、私のものじゃないよな。荒川先生が何をしたか、ただそれだけの記録で。
むしろみんなに知ってもらえて嬉しいな、と思いました。
それで、どうしてこの記録を取りはじめたかというと、この年に獣神演武のアニメが決まって、そのすぐ後くらいから、カラーの調子が落ちて連載ページも減ったからでした。
獣神演武のせいで荒川先生が大変なんだ、と私は思いこんでいました。獣神演武のせいでどれだけ仕事量が増えたのかメモっておきたい、獣神スタッフは嘘つきだから、ちゃんと記録しておかないと。そういう気持ちからでした。
そんな、不審と怒りの気持ちからメモった情報が、こんなおめでたい話で役に立つなんて。私は何て幸せ者だろう!
友達からのメールに、そんな風に返信しました。
それにしてもよくも上がらなかったよねこのニュース。身近な人ほど口が固く、何も知らない私こそ、あることないこと書いてる。ネットって所詮は風の噂の溜まり場なのよね。
そんなことをふわふわと考えていた、ある時。
どうして、このタイミングでオープンにしたんだろ?荒川先生は計算で情報をオープンにするタイプじゃなくて、気持ちの方で言葉が出るタイプだと思う。じゃあ、このタイミングって何?
ユリイカ藤田和日郎特集の対談は、百姓貴族1巻の見本誌が届いてすぐ。
そして、ガンガン2010年1月号の発売日直前。獣神演武の「休載/次回掲載未定」の広告の、回。
同じ2006年冬に始まった2つの連載。それが3年で、これほど明暗が分かれるとは。明はもちろん、たった1巻の百姓貴族だ。
ユリイカインタビューのとき、百姓貴族が手元にあったから、子ども話題?
いや。百姓貴族じゃない。百姓貴族の、家庭系・内輪系の話からじゃない。忙しい仕事をどうやっているか?その話の中で。
そうだ。獣神演武だ。
この時、私の胸がドキリとした。でも、私はまだ、私が獣を嫌いだから、その条件反射でドキリとしたのだと思った。
思考は転がる。
出産は、07年10月か11月。獣神演武のアニメ開始直後。だからアニメ誌のインタビューは12月に。遡って、アニメ放送直前の秋口、宣伝を畳み掛けるべきときに荒川弘のインタビューが組めなかったのは、妊娠後期だったから。
アニメ化の宣伝はいつから?7月からだ。放映時期決定は5月?6月?その時プロデューサーは荒川弘の妊娠を知っていたか?
たぶん、知っていた。けれどもう、引き返せないところに来ていた。たぶん。
私がアンチ記事を連載していたとき、プロデューサーは私の記事を読んだかな? たぶん、読まれている。検索でひっかかるように、フルネームを連発していたのだもの。
きっと、何も知らずにいい気なものだ、と腹立たしく思っただろうな。プロデューサーからしてみれば、御輿にかついだ原作者が、肝心な時に戦力にならないのだから。
思考は転がる。
荒川弘にしてみたら。
荒川弘にしてみたら、望むと望まざるとにかかわらず、自分を中心として動き出したプロジェクト、百人単位の人間がかかわるプロジェクトの、お披露目時に、自分はその場にいられないのだ。
だから、妊娠は、計画妊娠ではない。仕事人として、このタイミングは悪すぎる。
生むときはすでに、休載無しの心づもりだったのだろう。獣神はアニメ放映中だ。元から隔月連載を休むなど考えられない。そして鋼は。獣神を優先して休んだりしたら。
ファンが何と言うだろう?
ドキリ、とした。思考がここに至るまで、時間にして10分くらい?
もう私は、このドキリ、の意味が分かっていた。
休載無しで。
その決意は荒川弘のものだ。決めたのもそして実行したのも、荒川弘だ。周囲が何と言おうとやるのは本人だ。誰かが何かを言うからじゃない。
私が、私がひどいアンチの記事を書いたからじゃない。そんな軽い問題じゃない。だけど。
私の記事は、獣神は荒川弘の作品だ、と言う人の口を塞ぐことが目的だった。嘘つきめ!私はちゃんと知っている!その怒りで、彼らの口を塞ぐために書いた記事だった。
けれど。
あの記事は、もしかすると、荒川弘の口をも、塞いだのではないか?
誇大妄想だ。独り善がりの馬鹿な考えだ。誰がこんな隅っこブログなど読んでいるものか。私のせいじゃない。私のせいじゃない。
だけど。
獣神は2巻以降、鋼単行本と同時発売をしなかった。商売的には絶対に有利なはずなのにそれをしない。それは、そういう売り方に反発する人がいることを出版社側が分かっているからではないか?
その反発する人の、私は、代表者ではない。ではないけれども、そのひとりに入っている。確実に、絶対に入っている。
AmaはWikiは、そうだ、最も効率的な手段として選んだ。虎の衣を借る狐とわかって手を出した。事実を知らしめたいだけだった。
でもあれは攻撃だった。
歌猫さん怖いよ~と友人に口々に言われたとき、私はすごいねという意味だと受け取って笑っていたけれど、違う。私は本当に怖かった。
そうだ。もし。あの時。
荒川弘の入院が、出産のためだと知っていたら。私は何をしたか?
全力で攻撃をした。あの時は妄想のまま済ませていたことを、きっと、怒りのまま実行に移した。クィントビルまでの地下道の広告板を借りてA0で意見広告を張り出してデジカメで映してギガジンやサーチナに送ってニュースサイトに取り上げてもらうことを画策するくらいのことはやっただろう。母性保護だの何だのと正義の旗を振りかざし、猛烈な攻撃を。
私は、荒川弘がこのブログを見る、という可能性を全く考えない。思い込みというより、このブログの「前提」だ。
私のブログを荒川弘は知らない。
だけどだけど。周囲の人、たとえばアシスタントさんに読まれることはあるかもしれない。編集部の方にも。
おめでたい話じゃないですか。公表しましょうよ。
そう言いたい人の、言葉を、飲み込ませてしまったのではないか?私の記事は。
たとえば私が、誰かの記事を読んだあと、うまく記事がつむげなくて、何でもっと自由に自分の思ったこと書けないのかなあ、と思うように。誰かが、私の記事を読んだあと、自分の意見を言うだけなのに、なぜあのブログの声がちらつくのだろうと苛立つように。言葉には力がある。込めた思いの分だけ力がある。
荒川弘の無謀とも言える判断、仕事への堅固な責任感あるいは出産育児へのたくましい楽観に対し、周囲の人たちが、気遣うための言葉を、休んでも大丈夫ですよ、という言葉を口に出すとき。
脳裏にちらつく、全幅の自信を持たせない、そういった陰湿な負の力を、私は、発していたのではないだろうか。
私はひどい行いをしていた。
初めてそれに気づいた。
謝りたい。でも、謝ることもできない。そもそも、私のせいで、と思ったところで、そんなものは妄想だ。全くの思い込みだ。ネット住人の自意識過剰だ。オタクの自己認識肥大だ。
私は荒川弘の作品の数百万人の読者のうちの一人だというだけだ。無関係な人間だ、私は彼女の人生に、まったく、これっぽっちも、関わっていない。
彼女の人生は彼女が決める。
そして。
ああ、あの時あんなことしなければよかった。と思ったとき、その思いは、いい子ちゃんな私が、自分を誤魔化すためだけにちょっとつぶやいてみてるだけだ、ということにも、気がついた。
私は、もし、過去の私に会ったとしても、過去の私を止められない。きっと私は言うだろう。未来なんか分からないじゃない!そんなのは私は知らない。不確実な未来のために、今、私が正しいと信じることを止めることなんかしない!
そうだ。
私は、この日本の地続きに実際に生きている一人の女性である荒川弘と、私の中に存在する漫画家・荒川弘とを天秤にかけたとき、私が選ぶのは、私の中の荒川弘だ。
だって、生身の彼女は私と無関係な人だから。
これがもし、目の前にいる人、たとえば私の同僚なら。彼女の仕事や業績や評判より、彼女自身を気遣うだろう。ただランチを共にし昨日のテレビの話で時間をつぶす、そんな人であったとしても。
私は、荒川弘が大好きなのに。こんなに大好きなのに。あの子より大切じゃないんだ、荒川弘が。
ああ。なんて、ひどい話だ。
だから、もう。私には荒川弘の何もかも、否定する資格なんか、ないんだなあ、と。
そっか。
鋼再アニメ化ん時のガンガンインタビューで、いちばん最初に、病気できないなあっておっしゃってて、私は、あれ?荒川先生にしてはなんか消極的な発言なような?と少し意外だったんだけども。そっか。あれは、二人目はしばらくお預けだなあ、ってそういうことだったんだ。
そして、獣が、最後のバトルを残すのみってとこで一旦休載になって、だからどこかほっとして、子どもがいるんで、って口をついて出たんだ。
15歳になったら読ませたい、ということは、お子さんは15になったら鋼を読めるだけの発達をしてきてるんだ・・・・・よかった。
08年3月に19巻が出せたってことは、産まれてすぐから母子ともに健康ってやつだったんだ、きっと。
よかった。
よかった。本当のところはわかんないけども。でもたぶん、普通に元気に育ってるんだ。よかった。
否定する資格なんか無いんだ。
そう思ったら、獣へのアンチな気持ちとか、どろどろ汚く溶けてどろどろ流れて消えていきました。
今は、獣神は持っていません。
前は、連載やインタビューの切り抜き、原作の人が出した小説とか、まとめてあったんだけど、部屋の模様替えでそれを引っ張り出したとき、「検証資料」という言葉が浮かびました。
その瞬間、あっこれ私、捨てなきゃ!って思ってその日のうちに古新聞に出しました。
検証、ってつまり、誰かを責めるための材料。
いつでも読めるように手元においておきたいインタビュー記事とか、荒川弘絵だから持っていたいって思うデビュー前の挿絵仕事とか。
私にとって、獣は、そういうのじゃなかったんだ。
さみしくて、もったいない話。
否定する資格なんか無いんだ。
そう思っていても、怖かった。獣神のことを考えるとき脊髄反射のように沸き起こる嫌悪感。次に獣神に触れたとき、私はまたあれを胃袋の下に溜めるんだろうか。
そうして。
鋼の最終回。次号は獣神という柱を読んで、私は何も思わなかった。
何も思わなかった!すごい!よかった!私はあの醜い心から離れることができたんだ!よかった!
以前、酔っ払いながら書いた記事に。
刃を振るったのに、炭酸ソーダをもらった感じ。と書いた。
ぐちゃみそを投げたのに、綺麗なもの返してもらった。それを抱えて今、申し訳ないのとありがたいのとで、いっぱいです。と。
最終回の翌月の獣神再開に、去年の私なら、110ページ書かせて翌月すぐ獣神なんてひどい!儲け主義のスクエニ許せない!と思っただろう。
でも私は、そうよねえあんだけ大車輪で描いてたのに、急に仕事のブレーキかけたら返ってどっか故障しちゃうわよねえ、と笑うことができた。
次号は大増ページ掲載で、バトルはまどろっこしくたいした内容でも無いのにページばかり嵩んでいた。
以前の私なら、疲れの見える線に怒りをぐらぐら煮立たせていただろうけども、憎しみを手放した私は、そりゃーお疲れよねえ、でも最終回はきっちり立て直してくるよねそこが荒川クォリティ!と期待できた。
出版事業部長が音頭をとった台湾への慰安旅行も、百ページ描かせてしかも旅行連れてくとかって自分勝手極まりないせめてもう少し落ち着いてからにしろ、と憤ったことだろう。でも、私は、以前の私ならそんな風に思うんだろうな、と想像して苦笑いした。
最終回は思ったとおりいい線で、でももちろん鋼のような輝きは無く、昔の私なら完結にほっとすると共に悲しくて悔しくてどうしようもない思いを延々と抱えていただろう。
でも私は、お疲れ様!って笑って言えた。原作者や脚本家の無能や無才を責める気持ちは無く、当然の実力に当然の結果だなと思ったし、それでもこうやって世に出て完結してよかったねえって思えた。
鋼と獣が完結コミックス同時発売でも、まあ当然と思ったし、書店で平台に並べて置いていないことをいちいちチェックしてほくそ笑んだりもしなかった。アニメイトで初めて隣に並んでるの見て、そういや同時発売だっけ、ああこんな表紙だったんだ、と思った。
Amazonの書評を見て、的確だなあと思った。
どこにも憤りは無かった。何もかもが当然で、そーよねえと思えた。
獣神は、親しみのある、でもさして面白いとは思えない、ガンガンのたくさんのマンガのうちのひとつだった。
心の持ちようで、物事はこんなにも違って見えるのだなあ!
もしも、あのあと、最終回にならないで、獣がもっと続いていたなら?荒川弘の代表作かのようにスクエニが宣伝したなら?
それでも、憎しみは湧かない。私は荒川弘の何もかもを否定することなどできないのだ。何かひっかかったとしても、私の行いを振り返れば、そのひっかかりなどしゅわしゅわと溶けて消えるだろう。
この記事は、最初、ことばのやいば、というタイトルでした。投げた刃が、自分に帰ってくることは覚悟していた。でも、見当違いの方向へ、私よりずっと大切なものへ、刺さっていたなんて、それにずっと気づかなかったなんて、と。
次に、でも私は、それらの事実とまったくの無関係なんだから刺さるも何もないじゃない、自己陶酔なタイトルでいやらしいなあ、と思い、個人的な話、というタイトルにしました。
それから、炭酸ソーダ、というタイトルになりました。7月ごろ、醜い気持ちが昇華されたのが嬉しくて。
でも、そんなのもやっぱり、ただの偉そうな話だなあと思い、やっぱり、個人的な話、にしました。この記事が異様に長いのは、あの頃からずっと、書いたり消したりしてるから(苦笑)
もーしらんぷりしようかなー誰も望んじゃいないよこんな記事、とも思ったけれど、あの2月の冬の真っ暗な公園で、ブログでやってしまったことは、ブログで謝らなくちゃ、今はどう書いたらいいかわからないけれど、私は私のブログで、ちゃんと書こう。そう決めたから。
最後の今、こんな記事を書いています。
私は、荒川弘に対して、何もしていない。何もできない。
そして、荒川弘も、私のために漫画を描いているわけではなく、子供を産んだわけでもない。
けれど、彼女の行動は、私から、憎しみを消し去ってくれた。
彼女は何もしていない。ただ彼女の道を生きているだけだ。
誰かの生き様は、ただそれだけで、誰かの何かを変えることができるんだなあと、真実、それを知ることができました。
ブログは常に流れてゆくメディア。私の個人的な事柄も感情も、こうして記事として記録するけれども、いずれネットの海に沈んでいく。
さあ!
今年もあと3週間。明日からはまた、ただのファンに。荒川センセが大好きな、エドがかわいくて鋼が大好き、そんだけのお馬鹿なファンに。そしてありきたりなファンブログのブロガーとして、書いてる自分が楽しくて読む人にもきっと楽しい、そんな記事を書いていきます!
自己陶酔と自己満足の、真夜中の手紙系の記事です。鋼の話題ではありません。
ご不快な思いをされる方もいらっしゃると思います。
読みたい人だけ読んでください。
…っていうか、人が読んだらどう思うのかぜんぜん分かんない。嫌だなーって思う人はいるだろうなと想像するくらいで…そもそも、人に読んでもらう記事じゃなくて、ホントに、自分の記録っつうか、気持ちの問題っていうか。
あと、かなり昔のこと掘り返してるんで、昔の歌猫知らない人にはなんじゃこりゃみたいな。
あ、めんどくさそう、と思った方はスルー推奨。
今年1月末のこと。
荒川弘の出産前後の仕事量。
あちこちで引用していただいた記録は、私のブログが最初でした。
記事を上げた2~3日後、友達とメールで、荒川先生お子さんいたんだ、よかったねぇびっくりしたねぇの会話の中で、歌猫さんの記事あちこちで引用されてるよ、と教えてもらいました。
私もググって知っていました。「個人ブログの転載だけど」と書いてくれたのもあれば、そうでないのもありました。
あっ使われてる私の記事なのに、と思ったのは最初の一瞬。すぐに、ああでも、これは記録だから、私のものじゃないよな。荒川先生が何をしたか、ただそれだけの記録で。
むしろみんなに知ってもらえて嬉しいな、と思いました。
それで、どうしてこの記録を取りはじめたかというと、この年に獣神演武のアニメが決まって、そのすぐ後くらいから、カラーの調子が落ちて連載ページも減ったからでした。
獣神演武のせいで荒川先生が大変なんだ、と私は思いこんでいました。獣神演武のせいでどれだけ仕事量が増えたのかメモっておきたい、獣神スタッフは嘘つきだから、ちゃんと記録しておかないと。そういう気持ちからでした。
そんな、不審と怒りの気持ちからメモった情報が、こんなおめでたい話で役に立つなんて。私は何て幸せ者だろう!
友達からのメールに、そんな風に返信しました。
それにしてもよくも上がらなかったよねこのニュース。身近な人ほど口が固く、何も知らない私こそ、あることないこと書いてる。ネットって所詮は風の噂の溜まり場なのよね。
そんなことをふわふわと考えていた、ある時。
どうして、このタイミングでオープンにしたんだろ?荒川先生は計算で情報をオープンにするタイプじゃなくて、気持ちの方で言葉が出るタイプだと思う。じゃあ、このタイミングって何?
ユリイカ藤田和日郎特集の対談は、百姓貴族1巻の見本誌が届いてすぐ。
そして、ガンガン2010年1月号の発売日直前。獣神演武の「休載/次回掲載未定」の広告の、回。
同じ2006年冬に始まった2つの連載。それが3年で、これほど明暗が分かれるとは。明はもちろん、たった1巻の百姓貴族だ。
ユリイカインタビューのとき、百姓貴族が手元にあったから、子ども話題?
いや。百姓貴族じゃない。百姓貴族の、家庭系・内輪系の話からじゃない。忙しい仕事をどうやっているか?その話の中で。
そうだ。獣神演武だ。
この時、私の胸がドキリとした。でも、私はまだ、私が獣を嫌いだから、その条件反射でドキリとしたのだと思った。
思考は転がる。
出産は、07年10月か11月。獣神演武のアニメ開始直後。だからアニメ誌のインタビューは12月に。遡って、アニメ放送直前の秋口、宣伝を畳み掛けるべきときに荒川弘のインタビューが組めなかったのは、妊娠後期だったから。
アニメ化の宣伝はいつから?7月からだ。放映時期決定は5月?6月?その時プロデューサーは荒川弘の妊娠を知っていたか?
たぶん、知っていた。けれどもう、引き返せないところに来ていた。たぶん。
私がアンチ記事を連載していたとき、プロデューサーは私の記事を読んだかな? たぶん、読まれている。検索でひっかかるように、フルネームを連発していたのだもの。
きっと、何も知らずにいい気なものだ、と腹立たしく思っただろうな。プロデューサーからしてみれば、御輿にかついだ原作者が、肝心な時に戦力にならないのだから。
思考は転がる。
荒川弘にしてみたら。
荒川弘にしてみたら、望むと望まざるとにかかわらず、自分を中心として動き出したプロジェクト、百人単位の人間がかかわるプロジェクトの、お披露目時に、自分はその場にいられないのだ。
だから、妊娠は、計画妊娠ではない。仕事人として、このタイミングは悪すぎる。
生むときはすでに、休載無しの心づもりだったのだろう。獣神はアニメ放映中だ。元から隔月連載を休むなど考えられない。そして鋼は。獣神を優先して休んだりしたら。
ファンが何と言うだろう?
ドキリ、とした。思考がここに至るまで、時間にして10分くらい?
もう私は、このドキリ、の意味が分かっていた。
休載無しで。
その決意は荒川弘のものだ。決めたのもそして実行したのも、荒川弘だ。周囲が何と言おうとやるのは本人だ。誰かが何かを言うからじゃない。
私が、私がひどいアンチの記事を書いたからじゃない。そんな軽い問題じゃない。だけど。
私の記事は、獣神は荒川弘の作品だ、と言う人の口を塞ぐことが目的だった。嘘つきめ!私はちゃんと知っている!その怒りで、彼らの口を塞ぐために書いた記事だった。
けれど。
あの記事は、もしかすると、荒川弘の口をも、塞いだのではないか?
誇大妄想だ。独り善がりの馬鹿な考えだ。誰がこんな隅っこブログなど読んでいるものか。私のせいじゃない。私のせいじゃない。
だけど。
獣神は2巻以降、鋼単行本と同時発売をしなかった。商売的には絶対に有利なはずなのにそれをしない。それは、そういう売り方に反発する人がいることを出版社側が分かっているからではないか?
その反発する人の、私は、代表者ではない。ではないけれども、そのひとりに入っている。確実に、絶対に入っている。
AmaはWikiは、そうだ、最も効率的な手段として選んだ。虎の衣を借る狐とわかって手を出した。事実を知らしめたいだけだった。
でもあれは攻撃だった。
歌猫さん怖いよ~と友人に口々に言われたとき、私はすごいねという意味だと受け取って笑っていたけれど、違う。私は本当に怖かった。
そうだ。もし。あの時。
荒川弘の入院が、出産のためだと知っていたら。私は何をしたか?
全力で攻撃をした。あの時は妄想のまま済ませていたことを、きっと、怒りのまま実行に移した。クィントビルまでの地下道の広告板を借りてA0で意見広告を張り出してデジカメで映してギガジンやサーチナに送ってニュースサイトに取り上げてもらうことを画策するくらいのことはやっただろう。母性保護だの何だのと正義の旗を振りかざし、猛烈な攻撃を。
私は、荒川弘がこのブログを見る、という可能性を全く考えない。思い込みというより、このブログの「前提」だ。
私のブログを荒川弘は知らない。
だけどだけど。周囲の人、たとえばアシスタントさんに読まれることはあるかもしれない。編集部の方にも。
おめでたい話じゃないですか。公表しましょうよ。
そう言いたい人の、言葉を、飲み込ませてしまったのではないか?私の記事は。
たとえば私が、誰かの記事を読んだあと、うまく記事がつむげなくて、何でもっと自由に自分の思ったこと書けないのかなあ、と思うように。誰かが、私の記事を読んだあと、自分の意見を言うだけなのに、なぜあのブログの声がちらつくのだろうと苛立つように。言葉には力がある。込めた思いの分だけ力がある。
荒川弘の無謀とも言える判断、仕事への堅固な責任感あるいは出産育児へのたくましい楽観に対し、周囲の人たちが、気遣うための言葉を、休んでも大丈夫ですよ、という言葉を口に出すとき。
脳裏にちらつく、全幅の自信を持たせない、そういった陰湿な負の力を、私は、発していたのではないだろうか。
私はひどい行いをしていた。
初めてそれに気づいた。
謝りたい。でも、謝ることもできない。そもそも、私のせいで、と思ったところで、そんなものは妄想だ。全くの思い込みだ。ネット住人の自意識過剰だ。オタクの自己認識肥大だ。
私は荒川弘の作品の数百万人の読者のうちの一人だというだけだ。無関係な人間だ、私は彼女の人生に、まったく、これっぽっちも、関わっていない。
彼女の人生は彼女が決める。
そして。
ああ、あの時あんなことしなければよかった。と思ったとき、その思いは、いい子ちゃんな私が、自分を誤魔化すためだけにちょっとつぶやいてみてるだけだ、ということにも、気がついた。
私は、もし、過去の私に会ったとしても、過去の私を止められない。きっと私は言うだろう。未来なんか分からないじゃない!そんなのは私は知らない。不確実な未来のために、今、私が正しいと信じることを止めることなんかしない!
そうだ。
私は、この日本の地続きに実際に生きている一人の女性である荒川弘と、私の中に存在する漫画家・荒川弘とを天秤にかけたとき、私が選ぶのは、私の中の荒川弘だ。
だって、生身の彼女は私と無関係な人だから。
これがもし、目の前にいる人、たとえば私の同僚なら。彼女の仕事や業績や評判より、彼女自身を気遣うだろう。ただランチを共にし昨日のテレビの話で時間をつぶす、そんな人であったとしても。
私は、荒川弘が大好きなのに。こんなに大好きなのに。あの子より大切じゃないんだ、荒川弘が。
ああ。なんて、ひどい話だ。
だから、もう。私には荒川弘の何もかも、否定する資格なんか、ないんだなあ、と。
そっか。
鋼再アニメ化ん時のガンガンインタビューで、いちばん最初に、病気できないなあっておっしゃってて、私は、あれ?荒川先生にしてはなんか消極的な発言なような?と少し意外だったんだけども。そっか。あれは、二人目はしばらくお預けだなあ、ってそういうことだったんだ。
そして、獣が、最後のバトルを残すのみってとこで一旦休載になって、だからどこかほっとして、子どもがいるんで、って口をついて出たんだ。
15歳になったら読ませたい、ということは、お子さんは15になったら鋼を読めるだけの発達をしてきてるんだ・・・・・よかった。
08年3月に19巻が出せたってことは、産まれてすぐから母子ともに健康ってやつだったんだ、きっと。
よかった。
よかった。本当のところはわかんないけども。でもたぶん、普通に元気に育ってるんだ。よかった。
否定する資格なんか無いんだ。
そう思ったら、獣へのアンチな気持ちとか、どろどろ汚く溶けてどろどろ流れて消えていきました。
今は、獣神は持っていません。
前は、連載やインタビューの切り抜き、原作の人が出した小説とか、まとめてあったんだけど、部屋の模様替えでそれを引っ張り出したとき、「検証資料」という言葉が浮かびました。
その瞬間、あっこれ私、捨てなきゃ!って思ってその日のうちに古新聞に出しました。
検証、ってつまり、誰かを責めるための材料。
いつでも読めるように手元においておきたいインタビュー記事とか、荒川弘絵だから持っていたいって思うデビュー前の挿絵仕事とか。
私にとって、獣は、そういうのじゃなかったんだ。
さみしくて、もったいない話。
否定する資格なんか無いんだ。
そう思っていても、怖かった。獣神のことを考えるとき脊髄反射のように沸き起こる嫌悪感。次に獣神に触れたとき、私はまたあれを胃袋の下に溜めるんだろうか。
そうして。
鋼の最終回。次号は獣神という柱を読んで、私は何も思わなかった。
何も思わなかった!すごい!よかった!私はあの醜い心から離れることができたんだ!よかった!
以前、酔っ払いながら書いた記事に。
刃を振るったのに、炭酸ソーダをもらった感じ。と書いた。
ぐちゃみそを投げたのに、綺麗なもの返してもらった。それを抱えて今、申し訳ないのとありがたいのとで、いっぱいです。と。
最終回の翌月の獣神再開に、去年の私なら、110ページ書かせて翌月すぐ獣神なんてひどい!儲け主義のスクエニ許せない!と思っただろう。
でも私は、そうよねえあんだけ大車輪で描いてたのに、急に仕事のブレーキかけたら返ってどっか故障しちゃうわよねえ、と笑うことができた。
次号は大増ページ掲載で、バトルはまどろっこしくたいした内容でも無いのにページばかり嵩んでいた。
以前の私なら、疲れの見える線に怒りをぐらぐら煮立たせていただろうけども、憎しみを手放した私は、そりゃーお疲れよねえ、でも最終回はきっちり立て直してくるよねそこが荒川クォリティ!と期待できた。
出版事業部長が音頭をとった台湾への慰安旅行も、百ページ描かせてしかも旅行連れてくとかって自分勝手極まりないせめてもう少し落ち着いてからにしろ、と憤ったことだろう。でも、私は、以前の私ならそんな風に思うんだろうな、と想像して苦笑いした。
最終回は思ったとおりいい線で、でももちろん鋼のような輝きは無く、昔の私なら完結にほっとすると共に悲しくて悔しくてどうしようもない思いを延々と抱えていただろう。
でも私は、お疲れ様!って笑って言えた。原作者や脚本家の無能や無才を責める気持ちは無く、当然の実力に当然の結果だなと思ったし、それでもこうやって世に出て完結してよかったねえって思えた。
鋼と獣が完結コミックス同時発売でも、まあ当然と思ったし、書店で平台に並べて置いていないことをいちいちチェックしてほくそ笑んだりもしなかった。アニメイトで初めて隣に並んでるの見て、そういや同時発売だっけ、ああこんな表紙だったんだ、と思った。
Amazonの書評を見て、的確だなあと思った。
どこにも憤りは無かった。何もかもが当然で、そーよねえと思えた。
獣神は、親しみのある、でもさして面白いとは思えない、ガンガンのたくさんのマンガのうちのひとつだった。
心の持ちようで、物事はこんなにも違って見えるのだなあ!
もしも、あのあと、最終回にならないで、獣がもっと続いていたなら?荒川弘の代表作かのようにスクエニが宣伝したなら?
それでも、憎しみは湧かない。私は荒川弘の何もかもを否定することなどできないのだ。何かひっかかったとしても、私の行いを振り返れば、そのひっかかりなどしゅわしゅわと溶けて消えるだろう。
この記事は、最初、ことばのやいば、というタイトルでした。投げた刃が、自分に帰ってくることは覚悟していた。でも、見当違いの方向へ、私よりずっと大切なものへ、刺さっていたなんて、それにずっと気づかなかったなんて、と。
次に、でも私は、それらの事実とまったくの無関係なんだから刺さるも何もないじゃない、自己陶酔なタイトルでいやらしいなあ、と思い、個人的な話、というタイトルにしました。
それから、炭酸ソーダ、というタイトルになりました。7月ごろ、醜い気持ちが昇華されたのが嬉しくて。
でも、そんなのもやっぱり、ただの偉そうな話だなあと思い、やっぱり、個人的な話、にしました。この記事が異様に長いのは、あの頃からずっと、書いたり消したりしてるから(苦笑)
もーしらんぷりしようかなー誰も望んじゃいないよこんな記事、とも思ったけれど、あの2月の冬の真っ暗な公園で、ブログでやってしまったことは、ブログで謝らなくちゃ、今はどう書いたらいいかわからないけれど、私は私のブログで、ちゃんと書こう。そう決めたから。
最後の今、こんな記事を書いています。
私は、荒川弘に対して、何もしていない。何もできない。
そして、荒川弘も、私のために漫画を描いているわけではなく、子供を産んだわけでもない。
けれど、彼女の行動は、私から、憎しみを消し去ってくれた。
彼女は何もしていない。ただ彼女の道を生きているだけだ。
誰かの生き様は、ただそれだけで、誰かの何かを変えることができるんだなあと、真実、それを知ることができました。
ブログは常に流れてゆくメディア。私の個人的な事柄も感情も、こうして記事として記録するけれども、いずれネットの海に沈んでいく。
さあ!
今年もあと3週間。明日からはまた、ただのファンに。荒川センセが大好きな、エドがかわいくて鋼が大好き、そんだけのお馬鹿なファンに。そしてありきたりなファンブログのブロガーとして、書いてる自分が楽しくて読む人にもきっと楽しい、そんな記事を書いていきます!
首も据わってない子供を抱っこ紐に入れて、おっぱいを吸わせながらキーボードを叩くとかwww
5年近く前なので、今考えると良くやったなーと思います。(若かったのねん)
でも、それでも誰かに頼られて働くというのは、それなりに幸せなことなのかも!(あなたでなければ!って仕事は、そうそうできることじゃないですもんね)
出産育児って「大偉業」みたいに思う人と、割とそうでもない人といますよね。
今回はパートで働いてたんで、仕事先から「お腹つっかえてるし、もう休んで…」って言われたんですけど、私は「へ?なんで??」って感じでした。
(かと言って、「出産なんてどうってことないでしょ」って言われたら、カチンと来るとは思うんですけど!w)
実は大変なのは、子供が学校に行き始めてからだと思うので、たぶん荒川先生もこれからだと思いますよー。
アカンボの世話以上に、母親の代わりが効かない事態が、どうしても出てくるんじゃないかなって思います。
おっしゃるとおり、丁度その時にコメ欄いったん閉じてしまいました…どんなコメを頂いても、うまくお返事できないなと思うと、その。
コメは99%嬉しいのだけども、いつも1%怖いのです。
でも、丁度そのタイミングっていうことは、やっぱり、コメ閉じるの、逃げるのはダメなんだよな、そういう風に思えました。
コメント、ありがとう。コメ欄開きますね。
あはは。様はお子様3人ですか!すごいです~!
荒川先生も子沢山になられたらいいなあ、と一方的に勝手に、思ってます。