歌猫Blog跡地

漫画「鋼の錬金術師」と荒川弘について語るブログ。更新終了しました。

鋼の好きではなかったトコ

2010年12月03日 | ◆小ネタとか突っ込みとかつぶやきとか
りほ様の記事「一番酷いファン」を読んで、それからとつ様の記事「鋼の好きなシーン」を読んで。
私もむらむらと書きたくなったので、記事にしました!

(12/7追記 でもこっちの記事はいろいろ間違ってるので(りほ様の記事の意図とか・・・)、書き直しました。こちらになります。
以下は、間違った立ち位置で勝手なおしゃべりをしてる、ということで読んでくださいませ。)



まず、りほ様の記事を読んで。
へえ!りほ様にとっては、あそこまでは100%だったんだ~って思った。そんで、なるほど理論派りほ様らしいなあって思いました。
私はねえ、約束の日の前、つまりブリッグズ編のあたりは、100%が揺らいだとこだったの。

私は鋼を
1~7巻 絆
 (兄弟二人の旅・ヒューズの死)
8~13巻 成長
 (シン組登場、VSスカー、墓掘り、グラの腹から脱出)
14~20巻 策謀
 (大人たちの生き様、ブリッグズ、大人の仲間のエド)
21~27巻 戦闘
 (バトルバトルバトル!)
と区切って理解してます。
荒川先生の区切り方とは違うのだけども、私にはこれが一番理解しやすいからこれ。

それで、一番好きなのは成長編。
特に墓掘りからセントラルのホテルの階段での兄弟の場面「オレもだよ」、それとグラの腹からの脱出は、ものすごく、心ゆさぶられた。
鋼全編を通して、一番に好きなところです。
どれか1冊選べというなら13巻。そして誰かに1冊勧めるなら9巻。9巻の、1冊のコミックスとしての導入から巻末への盛り上がり方はちょっと他に無いよっ!ってくらい素晴らしい!

絵ではね。一番好きなコマ割りは、もっとさかのぼって7巻。冒頭、エドが査定を忘れて大口開けてるとこなんて、この遊びっぷりがたまんない!デビルズネストんとこで「ナマ言ってんじゃねー!!!!」って啖呵切るとことか大っ好き!
8巻も、ラッシュバレーのバトルではそれまでに無い実験的なコマ割りしてて(ランファンVSエドのバックをずっと効果線だけで埋めてみるとか、4分割のコマに4人の顔だけ配してページめくりで遠景とか)面白い!
そのコマ構成の妙が9巻の冒頭、エドたちがセントラルに到着し、ハボックがソラリスとデートし、それらが見開きに斜めコマ上下断ち切り並べで描かれるという、すごい格好いい絵になってて。

でも、こういう、「定形外」なコマ割りは、後半には乏しくなる。話を進めるためのコマ割りとしては洗練されていくのかもしれないけども、「コマ割りの楽しみのためのコマ割り」にはあまり出会えないとこがちょっと寂しかった。
手綱を緩めるのも、もったいないなあと思った。エドが査定のあと、銀時計を見て言う台詞の弱さ。錬金術の業や民衆に嫌われる軍人といった描写を避けること。
ホーエンハイムが巻き込まれ型お人好しキャラであったこと。彼はエドのように、自らの驕りによって罪を犯していてほしかったし、また、23号と呼ばれる道具として登場させた次の号で奴隷仲間が懐かしいとかヌルい台詞を言わせるのもどーかなと思った。(もちろん、そんだけ主人公=読者に連なる系譜は善として描いてあげたい、という荒川先生の気持ちも感じたしそれには好感を持って、だから感想記事はそっち視点で書いた)
ブリッグズに移って新しいキャラがいっぱい出て、東方司令部の皆が脇役にされたような寂しさがあったし、新しいキャラを好きになりたいのに彼らには名前をつけてもらえず、もう西洋人名辞典を開く時間、マンガの外でマンガを作る時間を割くほどには荒川先生は鋼に全力じゃないのかなあと思うと余計に寂しかった。
オリヴィエはキャラとして作り物っぽく古臭く感じてしまい、スカーの深みやキンブリーの魅力と比べて彼女ももっと先に登場させていればもっと味のあるキャラになったのにと残念だった。彼女の台詞「老害!」は鋼全編で一番嫌いだ。彼女の魅力にようやく追いつけたのはブラッドレイに奴の席をよこせと対等に渡り合ったところ。でもここは作画が崩れ気味だったので美人フィルタをかけてページを見なきゃならないのが惜しかった。
メイも皇女という設定は邪魔だった。彼女がもし「皇女の妹」の錬丹術師という設定なら、あの気高さのまったく足りない丸まっちい子供ももっと可愛く思えたのにと残念だった。(スカーとヨキとの凸凹トリオは実に良かったけども)
そして何より、大好きなエドが物語の中心にいないこと。
それまで物語はエドの心情と同調していたのに、そうではなくなったこと、物語の歯車を回すのがエドではないのが悔しかった。
主人公はエドだよう!先生早くエドをもっといっぱい描いてよう!エドらしいエドを、私が望む鋼を、もっと!

でもね。
ある時、「鋼の面白さは何巻まで読んだらわかりますか?」という質問があって、みんな2巻とかどの巻でも1冊とか回答してて、そこまで読んで分からなかったらその先も分からないよ、人気漫画でも肌に合わないことあるよ、いいんだよ面白いと思えなくてもって答えてる中に。
17巻まで読んだらわかる。それまで我慢して読んできて17巻過ぎてようやく、このためにこのマンガがあったのかと分かった。
という回答があったの。

別のところで、別の人が、多分男の人。
シン組登場に作者の趣味丸出しで失望して切ったが、ブリッグズで面白くて戻ってきた。
って言ってて。

私の一番好きなあたりを、「我慢して」読んでた人がいる。
私が揺らいでいたブリッグズで戻ってきた人がいる。
びっくりした。
そして、そうか!私の「面白い」は、私だけの面白い、なんだ。
って、ぱっと目の前が明るくなった。

それからバトル編に突入して、バトルばかりでつまらん、みたいな感想も多く見たけど、そういう感想はハタチ以上の理屈屋さんな人が多いと感じた。ジャンプが好きな中高生、単行本またいでずーっと戦っているマンガを「読める」人たちには、バトル「だから」面白い。
もう鋼はダメだな、と言う人は、思い返せば、ブリッグズの頃にも、15巻のときにも、シン組登場のときにも最初のアニメ化の時にもいた。
常に離れていく人はいた。でも常にやってくる人もいた。
作品が優れているかは重要だ、でも、もっと重要なのは、それが「面白いかどうか」だ!
だから私は、やってくる人、面白いと思う人の視線を借りて、その人が面白いと感じるところを見てみる。
へえ~こんな見かたもあるんだねえ!ああそうか、なるほど面白いね。
やー鋼ってやっぱ面白いなあ!


約束の日の前日、すごいカッコイイコマが続いてるのにロイがハボから煙草もらうその人差し指のデッサンは何だよ!って思ったし、エドがウィンの部屋でサンドイッチ食ってるならウィン来るの気付くだろ!って皆と一緒に突っ込んだ。バトルバトルまたバトルになった頃は、血のりベタが汚いのは好みじゃないなーとか、エドがゲストヒロインみたいだ奇麗事言っても戦闘では役立たずで、殺さないとか言っちゃったから前面に出しにくくなっちゃったのかなとか思った。
エンヴィーの最期はいい場面なのにもろ顔マンガだなーとか、結局「味方側」の手を汚さないでキャラ始末かとか思った(その後藤田さんがあの場面をカッコイイと言って、そうか、そういう見方もあるのか!と嬉しくなった。ここは別の記事で書く)
アイスクリームトラックの登場には、おいおい、ラジオはあるけどテレビは無いという絶妙さを絶賛された時代設定を投げうりやがって!と笑った。
25巻あたりの頃はバトルも飽き気味だったし荒川先生がインタビューでもアンケでも旅に出たいとおっしゃってて、疲れてるんだなあ、口ではがんばります!と言っても集中力が空回りしちゃう感じなんだろうなあと思って、そう思うと余計に作画に荒れを感じてしまってあまりじっくり見らんなかった。(カラー2回休んで充電して、2月からエンジン全開になって嬉しかった!)
最後の方、人形兵どうなったん?って思うし、賢者の石の重み=痛ましさが、エドにとっての機械鎧や銀時計の意味と同様に軽く小さくなってゆくことに、うーん荒川弘の方向性はあくまでもこっちなんだなあ、って思った。宗教を民族の慣習の括りでしか語れないのにもここまでかーと思った。


でも、100%です。

最終回も、1~27巻ぜんぶ通して見ても、100%。
最高の漫画。最高に面白い。最高に大好き。

不満はある。上に述べてきたように、いろいろと。
でもね。それは「私の鋼」にとって、瑕疵では無い。
じゃが芋10キロ入りの箱に1個2個、悪くなった芋が混ざってるくらいのもの。それを掴んでウヘッと嫌な気持ちになる人もいるだろうし、当然のこととして気にしない人もいる。
私はそれは気にならない。それは、私が、この芋を作った農家に一方的親近感を持っているというのも、もちろん理由にあるだろう。
けれどそれ以上に、この芋は美味しいのだ。どれを食べても本当に美味しい。

(12/7追記 この記事全体が趣旨を違えているのですが、特にこの例えは失礼でした。
りほ様が、悪い芋の一個や二個で失望するような狭量だというような印象を与えてしまったかもしれない。りほ様にも、そして読者の皆様にも申し訳ありません。
例えば私の場合、北海道産と思ってたのにアメリカ産だったら、それがとても美味しい芋だったとしても「そうと知ってたら箱買いなんかしないよ!」と泣くに泣けないだろう。
質の問題ではなく、それぞれが何を大切に思うか、つまりポリシーの問題であるのに、下手な例えでした。)

作品として非の打ち所はある。ユリイカでもAmazonでも複数の評者がそれを指摘している。
鋼は非常に優れた作品ではあるけども、完璧ではない。
けれど、その欠陥を含めて、私にとって、鋼の錬金術師という漫画は100%です。

だから、りほ様のこの問いに。
>では、最終話が掛け値無しに100%良かったという人達にとって。約束の日の前日までは何%に映っているんだろう。
 (中略)
>構成、伏線の張り方、絵の安定度、どれを取っても、どう客観的にみたってあの頃の方が断然面白かった。そこに異論は無いと個人的には思っているのだけど。

私はこう答えるよ。
最終回は100%だし、約束の日の前日あたりも100%。13巻は贔屓が入って110%くらい?(笑)
構成や伏線の張り方や絵の安定度は、もしかしたら、りほ様おっしゃるようにあの頃の方が良かったのかもしれない。
けれど、「あの頃の方が断然面白かった」とは、ぜんぜん思わないです。


だから、なるほど、りほ様にとっての面白さは、構成や伏線の張り方や絵の安定度によってもたらされる部分が大きいんだな、って理解しました。
そして、私にとっては、それらは面白さの要素ではあっても、面白さの物差しとはならないんだな、って分かりました。
私の物差しって…何かな?エドがどんだけ魅力的か、かしら?!(笑)

真面目に考えるなら…その1話を読んで、単行本1冊を読んで、最初から最後まで読み通して、どんだけ心が震えたか、かなあ。
うん、違う意見を聞くと、自分の考えの輪郭がはっきりするから、面白いねえ!

もちろん、りほ様が感じたこと、あるいはさや様ほか多くの鋼を愛する、愛してきた人たちが、どうしてああなってしまったのだろう、と思った、その気持ちを否定しているのではないの。
その気持ちもわかる。私の中にもそれはある。
誰も私の気持ちを否定することができないように、私もまた誰の気持ちも否定できないのです。


私ね、今、もっといい話になったはずだ(作品論)と、もっといい話が描けたはずだ(作家論)を、切り分ける作業をやってるの。脳内作業。私は荒川弘を好きすぎるので。
(ユリイカはきっちり作品論で語ってくれて気持ちいい!早くこっちも語りたい♪)

私にとって、荒川弘は鋼の錬金術師という作品の絶対者ではなくて、鋼という作品を理解するためのサブテキストです。
私は、作者の発言や意図より、私が作品をこう理解した、の方が優位に来る。
だからこそ、作品に描かれたことを丸のまま受け入れる。

鋼が無事に完結してよかった。ハッピーエンドでよかった。
こんなにも大勢の人に愛される作品でよかった。
エドが幸せになってよかった。アルもウィンリィも幸せになってよかった。誰も彼も、死んじゃったキャラも、自分の未来を自分で選べてよかった。
マリモは哀れだけども、あの子にもきっと、あの扉の向こうにあの子のための未来がある。たとえそれが虚無だとしても。だからあの結末はとても良かった。
ホーエンハイムは人間の可能性(対話)とともに人間の傲慢さ(ホムの否定)も示していて、それが作者が意図したものであってもなくても、ホーエンハイムはそういうキャラだからあれで良かった。

作品に点数をつけるなら、95点。
もっと上があると思うし、100点なんてありえない。
でも、私の中では「100%面白かった」。

あー面白かった!鋼は最高に面白かった!
出会えて幸せな作品でした!



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8 コメント

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Unknown (may)
2010-12-03 12:43:51
歌猫様
相変わらず熱いですね!すごい熱量です。感動しました。

9巻ですね。
モノ増やしたくないワタシは、漫喫で9巻読みます(笑)
全巻読みだと何時間かかるか(;^_^

出会えて幸せになれる作品って素敵です。
作者にとって、たった一人でもそう思ってくれうる人がいるって、最高に嬉しいのでは。

別談になりますが、アニメでは
音楽の使い方もよかったように思ってます。
気が向いたらそのあたりの歌猫さんの意見も読んでみたいです(←スルーしてもOKですヨ)
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Unknown (冬だスキーだ)
2010-12-03 22:28:58
こんにちわ!八年間コミックを買い続けて最近は買ってもすぐ読まないくらい耐性が出来ていましたが(笑)先日最終巻を読み、久しぶりに感動しました。
あまりフィクションには涙を誘われない私ですが、ウインリィと兄弟が見開きで抱き合うシーンの、特にエドの満面の笑みに、胸と眼球が熱くなり、吐き気さえ覚えました(笑)
嬉しさで読者の心を揺さぶる創作というのは、なかなか出来るものではありません。作者の力量と熱意に万歳です。
様々な困難や出会いや哀しみや大怪我がてんこ盛りでたいへんにぎやかな兄弟の旅でしたが、最後は田舎の小さな駅で幼馴染と婚約して一人でまた旅立っていった主人公。皆もそれぞれの道を行く。クライマックスと後の静けさの対比が不思議とリアルでした。
幸せってとってもシンプルなものだなあと、ウィンリィだけに向けられた笑顔が最後のページを飾るのを見て、しみじみとそんな事を思う私でした。
歌猫様の記事も素晴らしいです。
作品も、こちらのような批評も、大勢に支持されるのは「愛」とか「ヒューマニズム」がこもっているから。
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Unknown (ぽんず)
2010-12-04 09:31:00
こんにちは
歌猫さんの区切りは私にとっても非常に分かりやすいですね。個人的にはそれぞれの区切りで、作品の雰囲気が少しずつ変わっているのを感じますね。(それぞれアニメFA各クールの区切りに近い?)
活躍するキャラも変わっていくのですが、常に魅力的なキャラがストーリーを動かしてるのが鋼の面白さの一つだったと思います。
私は理屈と感情は分けて考えてるつもりなので、歌猫さんの不満はあるけど100%も分かる気がします。納得行かない、ここは残念だった、でも好きだ、ってことありますよね。逆にこれはすごい作品だと思っても二度と見たくない映画もありますし(笑)
作品の評価と個人の感情は必ずしも一致しないんじゃないかなあと思います
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気持ちもいろいろ (kaba)
2010-12-04 13:59:51
こんにちは!やっぱりいろいろありますよね。
この記事読んでいる途中に思ったんですけど、このマンガって恋人みたいですよね~
最初の方でなんか感じて、5話目ぐらいで最後まで!ってなって付き合って、途中であれっ?てなったり、こーしてほしいのにって思ったり、知らなかった事や新しい所があったり、相手と考えが合わなかったりいろいろあってそのまま別れたり、そこを許して最後まで行く人がいて、最後で全部とはいかなくても彼の事が分かってゴール!
…………って感じで、まあ馬鹿な私の考えなんですけど。
波長が合う作品と出会った!!って思ったんです(笑)
あそこが……って思っても過去ですし、完全に合う作品なんてないですもん!!
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Unknown (RURU)
2010-12-05 02:09:26
こんにちは。
私は、鋼という作品を鋼のキャラクター自身の物語として見ている気がします。ここはあまり好きじゃないと思っても、そのキャラ達の人生がそう転んでしまっただけなのだ、と思うので。
とくにエドは、ホント自分の子供のような存在で。なので最後にあの子たちが幸せになれてそれだけで満足です^^
ホントにいい作品です。このように思うのも、鋼という作品がとてもすばらしいからこそですよね!!
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コメントありがとうございます。 (歌猫)
2010-12-05 04:51:01
may様こんにちは!
9巻は策謀からバトルへの盛り上がりがハンパ無いですよね!表紙絵もまた合ってるんだなあ!私は何度でも読み返したいので、漫喫だと絶対損をします(笑)買うとお話そのものも「自分のもの」になるので一層愛着沸いちゃいます~v
アニメの音楽の使い方は、最初のぎこちなさと後半のマッチングへの成長ぶりがたまりません!音楽そのものがすごく重厚な分、音響監督三間さんは合わせるのに大変なご苦労をされたのだろうと思うし、また、5クールの怒涛の動画に轟々とストリングスの鳴るBGMが素晴らしく合ってて感動しました!

冬だスキーだ様こんにちは!
>後の静けさの対比
うん。戦場の混乱とざわめき、それから静かな日常に貯めた力をもとにまた旅立つ兄弟、これらが一度に読めた最終回は、雑誌で読んでいても単行本のような満足感がありました。単行本で読み直すと、更に、外伝とオマケの優しさが沁みて、はーっとため息でした。なんかほら、泣いた後のような、脳みそがぼーっと疲れて身体がほかほかして、寂しくて満ち足りた、あの感じと似てませんか?
幸せはシンプル。うん、本当にそのとおりです。
いろいろ、難しいことも考えてしまうのだけど、やっぱり面白いなあ、面白いなあ大好きだなあって、結局はそんだけなんです(笑)

ぽんず様こんにちは!
区切り方、はい。それぞれ雰囲気も違っていて、03年版アニメは絆編を元に作っているからあの雰囲気であるし、また、あのアニメに対して漫画はどこへ行くべきかという作者の気持ちが、鋼原作を成長・変質させてきたのだと思います。それを良いと思うか残念と思うかは人それぞれで。
評価と感情は一致しない。うん、私もその通りだと思います。そして評価は作品に、感情は読者に由来する。
面白い、と好き、の境目とか、どこまでが作品独自の力でどこからが読者の好意的解釈あるいは時代の後押しなんだろう、とか、そういうこともぼんやり考えています。
こんなに考えることができる作品に会えて、ほんとーに幸せです!

kaba様こんにちは!
うんうん!私も、ファンの気持ちってほんと恋とそっくりだなあ!って思います。
側にいるだけで幸せだったり、そんな人だとは思わなかったって泣いてみたり、でも好きだなあって思ってみたり、勝手にぐるぐるしたり、なんでもないことに、あっそっか、って安心したり…。諦めて別れる人や、別れても諦められない人もいるし、ずっと穏やかに好きって人もいて。
恋愛相談を読むと、あんまり自分や作品や友人への気持ちにぴったりな言葉が書いてあって、笑っちゃいます。私もうずっとオトコに恋してないのにこんなに恋愛相談が面白いなんて~って(笑)

RURU様こんにちは!
うん。私も、エドが一番好きなので、エドが幸せになって良かった!結局はそこなのかも?
キャラたちの人生が、この話の枠の外にもあって、その一部が漫画として表されている、そんな感じがしますよね。キャラが「生きてる」感。これってどこから生まれているんだろう、作者の想いもあるだろうし、描き方や台詞の配置といった技術的な巧さもあるのだろうし。
あーやっぱり鋼が大好きだ!何度読んでもそう思います♪
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Unknown (りほ)
2010-12-06 00:29:19
本当はよそさまのブログにコメント付ける暇があったら、自分の処にいただいたコメントを先に返せよっと思うので、出向くつもりはなかったのですが。
ちょっと私の記事への扱いがあまりにショックだったので、すみませんがコメントさせていただきます。
 
私は絶対評価の話なんてしていません。
83話までが傷ひとつないいい話だったなんて事も言ってません。
私がしているのはそんな話ではありません。
私が書いたのは全ての話数に対する相対評価の話です。
  
「鋼の錬金術師」という全体を見て、これ以上面白いものは今の荒川先生の実力でも描けないだろうと思える話を「100」とした時にあなたにとって最終話の数値は何になりますか? そういう話をしたんです。
あくまでも最高値は「100」。そこが「最大級」なのだから越える数値は存在しません。
  
一度はその私にとっての面白さの「100」というハードルを越えた姿を見ているのだから最終話にもそれが出来るはずだと信じ期待し、叶わなかった。
それだけ私にとって荒川弘に対する期待度が高かったという事です。
 
ならば最終話を「100」と設定した方にとっての期待値はいくつだったのだろうか。
 
最終話が「100」なら、それを越える話が鋼の中で今まで他になかったと、そう言った事になる。
最終話に解消されなかった、あるいはさらに発生した矛盾を、かなりの痛手と見ている私のような者からすると、それはつまり荒川弘に求める期待度がもともと低かったから満足出来たのではないのか?
同じ「100」であってもそこに違いがあるのではないのか?
私はそういう内容を書いたつもりです。
ずるい内容です。敢えてそういう記事を書いたのですから。あれはそういう記事なんです。
 
それでも私は最終話をほこらしく語る方々に聞いてみたかったんです。
全27巻の中で、あなたにとって最終話を越える話は本当に1話たりとも無かったのですか? と。
 
この記事を出すかあきらめるか何日も何日も悩んで私はアップしました。
 
そこへ歌猫さんは私への答えとして「110%」があったとおっしゃる。話の趣旨がまるで違う。
そして歌猫さんの記事を読まれた多くの方は、83話までを傷ひとつないパーフェクトだという趣旨の、だから最終話が気に入らないという記事を私は書いたのだとおそらく受け取られている。
そんな事、私は一言も書いてもいないのに……。悲しいです。
返信する
コメントありがとうございます。 (歌猫)
2010-12-07 05:10:23
りほ様こんにちは。
申し訳ありません。訂正して改めて記事を書かせていただきました。
私も、5日の朝に、他の方からのコメントにお返事しながら、コメの手触りが予想と違っているので、読み返し、自分の間違いに気付きました。特に芋の例え話のあたりは、本当に失礼でした。ごめんなさい。
いただいたコメントもあわせて、もう一度考えてみました。よろしくお願いいたします。
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