赤カブ不動産屋の独り言

 赤かぶを作り、漬けて30余年。今年は焼畑は止めて漬けるだけ。
 不動産や広告で起業して10年になります。助けられて。

歴史に学ばないなんて…

2016-04-19 15:21:03 | 日記
 敢て言いたいことが…
 熊本地震で食料・水など支援物資が届かないだと。
 県庁には水も食料なども豊富なようです。

 東日本大震災は僅か5年前の出来事なんですがね。
 地震、津波そして原発事故の三重災害だったんです。

 雪降る中、被災者が震えてる状況でした。
 道路も寸断されましたが、大変な速さで復旧させて。
 物資が届く状況にさせたのですね。

 それでも多くの問題があったのは事実です。

 何で僅か5年前の出来事を教訓にして。
 学ぶ事があったのではありませんか。

 国も食料90万食用意すると動いてましたが。
 県は何をしているのでしょうか。
 そして市町村及び町内では水や食料を備蓄していたはずです。
 どんな対応なのか信じられません。

 東日本大震災を余所事のように見ていたに違いありません。
 賢者は歴史に学び
 愚者は経験に学ぶ
 と言いますが。
 二度も三度も経験する事なんかありません。
 だから歴史に学ぶと言う事でしょうか。
 何も歴史書を読めと言ってません。
 過去の出来事や先人の知恵に学べと言う事でしょうか。

 優秀なお役人たちですからできるのにね。
 それだけでね。

 もう一つね。
 首都圏で直下型地震が起こった場合にね。
 3日くらいは水や食料等が入って来ないとも言われていました。
 家庭でも3日分くらいの水・食料は用意しておくことは常識ですね。

 少なくとも日本国内で起こったことは余所事と片付けないようにしたいものです。
 
 因みに赤カブ不動産屋は昭和39年6月の新潟地震を経験しています。
 初めて自衛隊の缶詰のご飯を食べました。
 昭和石油のタンク爆発で新潟県全体が昼でも真っ暗な状態も経験しました。
 それから地震は恐ろしく。
 家で水・食料を僅かでも備蓄するようになり、東日本大震災後は完ぺきに用意するようになりました。

 2500年前の孫子の時代から糧道の重要性が戦の要だったんです。
 この現代に糧道を絶たれて、代替えが効いてないなんて。
 寒くなります。
 
 新潟地震の後時の大蔵大臣だった田中角栄が地震保険を推進しました。
 それと列島改造論で日本全国に新幹線、空港の整備を打ち出したのです。
 いろいろ問題はあるにしても、活かされないとは残念です。

 県庁や市町村の対応を見てましたらね、「歴史に学べ」をね。
 東日本大震災の出来事を余所事と思っていたのかとね。

 少し憤りが感じて、書きなぐってしまいました。
 お許しください。

 今日も応援いただきありがとうございました。
 今日は早めに飲み会をスタートいたしますので更新しました。
 
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コメント
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