偏屈者の世迷言

最近は競馬のことばかり書いてます。もっと政治のことを書いていきたいのですが。自営業者からの意見はもっと出されるべき。

3月20日(日)のつぶやき その1

2016-03-21 04:35:39 | つぶやきまとめ

尊敬してやまないフォロワーさんから突然のいいね!が来た時の図 pic.twitter.com/F7pkTHStsU

ゲバラシャツを着た文化左翼のボブさんがリツイート | 28492 RT

脳力とかって言葉を禁止にしてくれ。今日も幼児から脳力を鍛えようみたいな広告が入ってる。


まあ、戦争が始まると登山も下火に・・・なりませんでした。
富士山の入山記録は、1937年以降も増えるし、東京のとある山岳会は「報国登山」なるものを喧伝したりします。
不思議なのは、戦時中の登山に関しては「奨励されていた」「白眼視されていた」という矛盾した証言があります。

ゲバラシャツを着た文化左翼のボブさんがリツイート | 116 RT

ここを調べれば調べるほど、戦時中の本音と建前を使いこなし、自己の利益や娯楽を追求するしたたかな日本国民が見えてきちゃうわけです。
当時の日本国民が凄いのは、「国家総動員法」関係の通達にただ一度登場しただけの登山の奨励を突破口にしてしまうわけです。

ゲバラシャツを着た文化左翼のボブさんがリツイート | 108 RT

昭和20年の7月の新聞で、今年の夏は登山を控えましょうと呼びかけられるのですが、
つまり、昭和20年の7月時点でも、登山をしていた日本国民が多数いたわけです。
政府が一度は奨励したものだから表だって規制できない、を最大限に利用した日本国民には痺れます。

ゲバラシャツを着た文化左翼のボブさんがリツイート | 111 RT

MMTによれば、政府が赤字国債を発行して赤字財政を継続すれば、ベースマネーとマネーストックが増加するので、利子率はかえって低下するということになる。でも、何も政府じゃなくたって民間部門だって第三者にとって決済手段となる負債を発行すれば、金利には低下圧力がかかるはず。


日本では、企業が振出す電債や手形がそれだし、アメリカや中国ではシャドウバンキングが民間の負債を割り引いて決済手段を提供している。だからアメリカではあれだけ金融ビジネスが成長したのであって、負債の増加が金利を引き上げる、なんてことは一般論としては成立しないはず。


だからアメリカでは、クレジットクランチを防ぐため、QEとして国債以外にもいろいろな資産を連銀が購入しなければならなかった。でも、これらは一応、負債が中心で、そのバックに一応は価格の根拠になるようなものがあることはあった。でも、ビットコインとかになると、もうそうじゃなくなる。


ビットコインは負債性が一切ないから、何らかの理由で価格が低下しても、誰もそれを買い取る義務はない。文字通り、何の価値もないただの記号だ。これが決済手段として幅広く流通してしまった場合、中央銀行はレンダーオブラストリゾート政策が必要になった時、これも資産として買い取るのか。


もしも、本当に決済手段として広範に使われてしまうことになれば、いざ価格が急落するときには中央銀行が否応なく買い支えすることになってしまうだろう。けど、これは究極のモラルハザードだ。全く何の価値もない、誰も最終的に回収することがないものに価格をつけて、決済手段として流通させる。


アルゴリズムを説くんだか何だか知らないが、社会的には何ら裏打ちになるキャッシュフローも便益も生み出すことなく、ただアルゴリズムを説いて大量にコインを生み出せるコンピューターシステムにアクセスできる人たちの富だけを膨らませる。もちろん、それに価値がある、と思ってそれを受け取る人が


いる限り、それはそれで構わない。ただ、いざというときには価値がゼロとなり、誰も回収しようとする人がいないのだ、ということが十分知らされていれば、おそらくそうは決済手段として流通することはないし、価格もつかないだろう。流通するとしても、ごくわずかな範囲にとどまるだろう。


だから、こうしたアルゴリズムを解くための資産を持っている人たちにしてみれば、自分の資産価値を守るための最も手っ取り早い方法は、決済手段としてこれを広範に使わせることだ。そうなれば、いざというときには中央銀行がレンダーオブラストリゾート政策による買い取りの対象に


含めざるを得なくなる。そうなればこの種のコインは名実ともに価値を持つことになる。中央銀行は、事前に「この種のコインは絶対に割り引かないし、買い取りもしない」と宣言することで、多少はコインの流通範囲が拡大することを抑制することができるし、それほど流通していないうちに、金融危機が


発生すれば、その際にコインの持ち主たちを見殺しにすることで、その後もこの種のモラルハザードが発生することに歯止めをかけることができるかもしれない。だから、この種のコインを入手できる立場の人たちにとっては、自分たちの資産を守るためにも、なるべく早めに決済手段として流通させることが


必要になってくる。この種の問題にどうするべきかは、今から中央銀行は考えておく必要あるんじゃないかな。。。みたいな。


1987年にブラックマンデー、1997年にアジア通貨危機、2007年にサブプライムローン危機、という流れでいけば、来年にはまた危機が起こることになるわけだが(と、いうのはアレとして)、今のうちに考えておくほうがいいんじゃないだろうか。。。


んで、民間部門が第三者にとって決済手段となるような負債を発行して支払いを行っているにもかかわらず、金利が上昇するとしたら、ポートフォーリオ云々という議論はともかくとして、一つには、そうした負債では支払うことができない支払先が存在しているからだ。


そうした支払先があるから、極端に言えば、トヨタの手形を、わざわざ割引料を支払ってでも町の信金の負債と取り換えてもらわなければならない、というようなことも出てくる。トヨタの手形ですら、町の信金に割り引かれてしまう。他方で、町の信金の負債であろうとメガバンクの負債であろうと


1円は1円で取引される。これが可能になるためには、財務状況に関わらず、ある種の負債は価値に違いがないことが必要になるわけだが、新古典派の理論ではこのようなことは説明できない。様々な金融債権を資産として保有する経済主体は、限界的な報酬(リスク)が均等になるようにポートフォーリオを


組むことになるはずだが、少なくとも銀行預金に関してそのようなことは行われない。金利とは、こうした金融資産を獲得するためにかかる費用だが、これがただの民間銀行の負債ということになると、供給価格としての金利も決まらなくなる。だから新古典派にとっては


貸付基金説の前提を欠くことはできない。銀行もまた調達金利を支払って貨幣を入手している、という幻想を持ち込まない限り、新古典派の効率性原理は維持できない。



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