榎並屋勘左衛門は江戸時代前期の鉄砲鍛冶。 家は徳川家康の岡崎時代から鉄砲御用をつとめる。江戸幕府がひらかれると江戸に屋敷をあたえられる。以後代々鉄砲年寄役をつとめ,幕末までつづいた。堺鉄砲鍛冶年寄五家のひとつ。芝辻理右衛門は徳川家康から大坂城攻めのために鉄砲をつくることを命じられ大砲をつくったり、大坂冬の陣の前にも1,000挺の鉄砲を急ぎ製造せよという命にも応えたという。鉄砲をつくる技術はその後刃物や自転車の製造へとつながり、堺の伝統産業の基礎となっている。
隣には水野鍛錬所、600年の歴史がある刃物鍛錬所である。種子島に鉄砲が伝来した時、たばこの葉も同時に伝わった。葉を刻むための刃物が鍛錬されたことで知られる。やがて日本刀のような包丁が鋳造された。現在和包丁のシェアは堺が90% プロの料理人のほぼ全ての人が堺の包丁を使っているらしい。
法隆寺の五重塔にある四方魔除け鎌は堺で製造 300年に1回架け替え工事がある 目的は落雷防止。余分につくられた鎌は影打ちという
明治維新後の堺県は1881年に大阪府に編入