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藤原道長の兄・道隆の死後

2010年06月18日 | 平安時代

 内大臣伊周に運が廻ってきてはいるが、一条帝は伊周の関白をすぐに承諾しようとはしていない。一条帝は定子を愛しているから、兄伊周の関白就任を懇願しているに違いないのに何故か・・・。落飾はしたが一条帝の母詮子の睨みがきいているのである。 また一条帝と詮子の間を往復しているのは源俊賢である。 源高明の三男の彼の母は藤原師輔の三女であるから源倫子とは異母兄妹にあたる。俊賢は中納言右衛門督・藤原忠君(師輔男)の娘(中納言の君)を正室に迎えていることもあり道隆にとりいってここまでのし上がってきた男である。 最近では、伊周に対する高階一族の強引さにうんざりしている帝の心情などを詮子に報告し、内大臣・伊周を関白にする意思のないことを藤原実資などにも漏らしている。 そして道隆の望みむなしくこの年に道隆が出家すると、妻・貴子も追うように出家した。そして直後に道隆は43歳で亡くなった。 この頃3月20日に大納言・藤原朝光が45歳でなくなり、藤原済時もこの頃猛威を振るった流行病で4月23日に55歳で亡くなっている。

 4月27日には道隆にかわって、道兼が関白となったが、5月8日道兼までもが流行病で亡くなり関白の座についたのは僅かに7日ほどであった。 同日左大臣源重信が74歳で亡くなり、 結局関白から大納言までの主要人物は伊周を除いて全員死んだことになる。 こうなると次の関白には断然高階家が伊周に推してくるに違いないと察した詮子は、道長の関白擁立を考えていた。 一条帝には伊周を立てる気がないと知っている詮子は一条帝を説得し、内覧を認めさせたのであったが、関白の許しは得られなかった。 このところ関白が立て続けに亡くなっており、道長はこれで死なずに済んだと内心ほっとしたのである。 6月19日の事、倫子は右大臣に任じられた夫・道長の幸運をかみしめている。道長の姉・詮子の実力に舌を巻くと同時に土御門邸を提供したことが大きく報われていると感じていた。 また倫子の母・一条の尼上と呼ばれている穆子も無邪気である。 ところが道長が氏の長者・右大臣になったこの年から不吉なことが起こるのである。7月24日、早速右近衛府から出火したと思えば、道長が伊周と大喧嘩をしたという。伊周は政界きっての物知りで、道長の不足を指摘したためであろう。 道長側というと大納言朝光に代わって52歳の顕光が、済時に代わって40歳の伯父の中納言公季が大納言についたがどの顔ぶれも役に立たない者ばかりである。 倫子の悪い予感がその後も的中することになる。 7月27日、伊周の実弟・中納言・隆家は気の荒い性格であったが、その従者と道長の従者が七条大路にて乱闘騒ぎを起こしたのである。 隆家側が先に手を出したようであるが、道長側の従者に矢を射られ負傷者をだしたのには我慢がならなかったようで、一週間後の8月2日に道長の従者である秦久忠が殺害された。 そして今度は伊周の外祖父・高階成忠の呪詛騒ぎである。

 乱闘騒ぎやら呪詛騒ぎやらで倫子は道長のことが心配でたまらないと神妙に考え込んでいるうちに体調を崩してしまった。 さては高階成忠の呪詛の効果が現れ始めたのか・・・。 最近では道兼が関白になったのも束の間、流行り病によって亡くなったが、ひょっとしてこれも成忠の呪詛だったのか・・・、と倫子はこの頃思い、余計に体調が悪くなっているのである。 この時土御門邸に仕えていた三十六歌仙にも選ばれている歌人の赤染衛門が、倫子の様子はもしかして懐妊の兆しでは、と疑ってみた。 一変して味わった喜びに心も晴れて、体調はみるみる回復したというから、不思議な話である。 このときの懐妊の子が妍子といって後に三条帝に入内する。 倫子に励まされた道長は政界での人脈作りをこの時行っている。 まずは、8月28日道長に嫉妬の念を抱き続ける39歳の藤原実資を参議から権中納言にした。 現在上位にいる者は全くあてにできないからである。 そして翌日の29日には明子の異母兄・俊賢を蔵人頭から参議に抜擢した。 この時俊賢は蔵人頭を辞するにあたって一条帝に後任者として24歳の藤原行成を推挙している。 行成は藤原伊尹の孫にあたり、父の義孝は天然痘にかかって21歳の若さで死去したことから血筋は良いが出世運には恵まれていなかった。 しかし三蹟の一人に数えられるほど実力には定評がある。 そういったことから道長は俊賢の推挙を承諾したのである。 かくして後に名筆の名をほしいままにする有能官僚が誕生した。

藤原実資が記した「小右記」には、当時の藤原道長、兄・道隆、甥・伊周のことが鮮明にある

 

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