心優しい四代将軍徳川家綱1641~1680年
三代将軍家光は、なかなか跡継ぎを生ませなかった。そして38歳にして、ようやく側室に生ませたのが家綱である。その後は、綱重、綱吉と生まれるが、家光は48歳という若さで死去する。家綱は僅か11歳である。 社会不安が起こるのは当然で、秀忠・家光時代に改易(領地の取り上げ)されて職を失った浪人達に不穏な動きが発生する。 慶安の変、すなわち由比正雪・丸橋忠弥による幕府転覆計画である。未然に発覚しこれを防ぐことが出来たが、以後幕府は、浪人を出さないよう改易を大幅に減少し、末期養子の禁を解除するなど、これまでの武断政治から、文治政治へと方針を転換した。
1657年に家綱の正室となった、顕子は、1673年に乳癌となり37才で没。 側室・お振りは、1667年に懐妊したが、熱病にかかりお腹の子と一緒に死んでしまう。 側室・お満流もまた、2度の流産の末、1689年に30才で没。 こうして1680年、家綱は1人の実子をもうけることなく、40才で病死した。わずか11才で将軍となり重臣達に支えられ、体が弱く病気がちだったこともあり、将軍らしい権力もふるえず生涯を閉じた。 政務を全て重臣任せにして、自らは「左様せい」で決裁していたことから、「さようせい様」という異名が付けられた。
家綱は「暗愚」といわれているが、生後四ヶ月で、脳膜炎を引き起こし、病弱で無事に育つかどうかもわかなかったことから、 将軍生母としては、我が子竹千代の行く末が何事もないように祈る日々であったようです。 しかしながら、心根は優しく、父である家光が、家綱の優しさに諭され罪人への待遇を改善したり、 板倉重宗が家綱と面会し、その人柄に心を打たれたという記録があります。 お楽の方にとっては唯一の心の救いであったでしょうね。 家綱が食事をしていた時、汁物を飲もうとすると髪の毛が入っていた。家綱は平然と髪の毛を箸でつまんで取り出したが、小姓はあわてて新しい物と交換しようとした。家綱はその小姓に対しその汁は途中で捨て、椀を空にして下げるように、と言った。これは椀を空にすることにより、普段のおかわりと同様に扱えということで、処分される者が出ないようにとの配慮からであった。
1657年1月、小石川伝通院前から発した火は大風にあおられて江戸市内から城内に及び、本丸や二の丸、天守閣等を悉く焼き払った。「明暦(めいれき)の大火」である。 この時、牛込の築土明神も被災したが、家綱はじめ徳川幕府は、被災した江戸市中の武家、社寺仏閣を積極的に復興援助する。
生母お楽の方、実名はお蘭と言う。お蘭の父親は下野国猿島郡の百姓で、後に名を一色庄左衛門と変え猟師となるが、ご禁制の鶴を獲っていることが発覚し捕縛され遂には死罪に処されたという。 一方の母親は下野国古河藩藩主永井尚政の屋敷へ奉公していた女性であったが、父の死罪もあり、奴隷刑としての奉公であった。 ところが奥向きでのあらゆる事柄に精通し、行儀作法まで行き届いていたために、尚政もその才能を高く評価し、永井家の女中頭に取り立てられ「紫」と名乗るようになる。また紫の娘も女中として仕え「お蘭」と名乗る。後のお楽の方(宝樹院)である。 当時のお蘭の美しさは抜きん出ていたという。 その後、紫は永井家家臣の七沢清宗に気に入られて再婚する。お蘭は母と共に七沢家へ迎えられることとなったが、お蘭の弟である弁之助は永井家に仕え、妹は同じく永井家に女中として、残ることとなった。やがて清宗は永井家を辞し神田で古着屋を営業するようになったと言われ、お蘭もその店の売り子として店先で働くようになる。店はお蘭の美しさが評判となり繁盛したらしい。 その古着屋の前を通ったのが浅草参詣帰りの春日局であった。春日局は美しいお蘭をひと目で気に入り大奥への出仕を勧める。 1633年、お蘭が13歳のことであった。 大奥で勤務するに当たり、春日局の計らいでお蘭は永井尚政の養女とされている。名義上のことだけとは言え罪人の娘が大名の娘となったのである。
こうして大奥へ上ったお蘭は名を「お楽の方」と改め、江戸城大奥「呉服の間」で仕えることとなる。大奥では春日局から様々な教育を受け、お楽の方も弱音を吐かずに従った。そして遂に将軍徳川家光に見初められ、四代将軍家綱を産むのです。
奴隷同然の罪人の娘が、将軍の側室となり次の将軍の母となる・・・これは春日局にもできなかった偉業です。もちろん心根の優しい家綱を産んだ御方ですから、その心根のなせる技なのですが、その美しさが後押しをします。どんな御方だったのかもっと知りたいですね。
正室・於江与の方━┳ 千姫(天樹院):豊臣秀頼室、のちに本多忠刻室
母は信長の妹お市 ┣ 徳川家光 三代将軍 福・春日局に養育━━━━━┓幼名:竹千代
┣ 徳川忠長 ┃
側室・お静の方 ┣ 徳川和子(東福門院):後水尾天皇中宮 ┃
┣ 珠姫 (天徳院) :前田利常室 ┃
┣ 勝姫 (天崇院) :松平忠直室 ┃
┣ 初姫 (興安院) :京極忠高室 ┃
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鷹司孝子:正室 ━┳ 本理院には子無し
お振の方 ┣ 千代姫
お楽の方 宝樹院 ┣ 徳川家綱 四代将軍 正室:浅宮顕子 側室:お振
お夏の方 順性院 ┣ 徳川綱重 正母は正室孝子の女中で、御湯殿だった━幼名:長松
お玉の方 桂昌院 ┣ 徳川綱吉 五代将軍 幼名:徳松
お里佐方 定光院 ┗ 鶴松
お万の方 永光院 公家の六条有純の娘 春日局死後、大奥総取締ともなる