室町時代に播磨の豪族・赤松氏により建てられた山城が 中道子城です。築城年代は明らかではありませんが、赤松円心の四男氏則(氏範)が築城したとされています。父・円心と兄など赤松一族が北朝方に与するなか、氏則のみが終始南朝に与し戦い、1386年領内で叛乱を起こすと、北朝方の一族との戦に敗れ、氏則一族は自害して果てています。 氏則のあと城主になったのは赤松氏の一族である孝橋氏で、数代のちの嘉吉の乱で一時山名氏の持城になりますが、赤松再興により再び孝橋氏が治め、のちの秀吉の中国攻めにより落城しました。 中道子城は別名志方の城山と呼ばれ、周りは丘や小山が取り囲んでいる標高270mの東西に長い山で、南側の眺望は抜群で毎年初日の出を眺める絶好のポイントになっています。 登頂しようと試みましたが先の豪雨のせいか登山道はぬかるみ、とても最後までいけそうにありません。 次回にまた挑戦しようと思います。 頂上にある本丸には赤松城址の碑が建ち、土塁が周囲を囲んでいるようです。 南の神社のさらに南には二の丸が位置し、南側には加古川市・高砂市・明石市が眺望できるようです。
村上天皇-具平親王-源師房1008-1077
┣顕房1037-1094-季房┳忠房-憲房-憲政-豪運-昌運-昌明-行明-行盛-行高-名和長年?-1336
┃ ┗季則--赤松則景-家範-重則┓
藤原尊子1003-1087(藤原道長娘) ┃
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┗赤松則村(円心)1277-1350⇔後醍醐天皇1288-1339(鎌倉倒幕の功立てるが冷遇)
┣赤松範資 ?-1351円心とともに足利尊氏派
┣赤松貞範1306-1374(姫路城基礎築く)
┣赤松則祐1314-1372
┃ ┣赤松義則1358-1427(弥勒寺本堂再建)
┃ ┗有馬義祐-1421 ┣義雅-時勝
┃ (摂津有馬氏祖) ┗赤松満祐1381-1441⇔義教1394-1441(嘉吉の乱)
┃ ┣赤松教康1423-1441 幕府軍(山名宗全)追討を受け自殺
┃ ┗赤松時勝
┃ 置塩城を築城 ← ┗赤松政則1455-1496(室:細川勝元娘 赤松氏を再興)
┃ ┗娘 ┗赤松村秀1480-1540(庶流)
┗赤松氏範1330-1386 ┣ ┗赤松政秀?-1570┳政広1562-1600竹田城主
┣氏春 (置塩城主)赤松義村?-1521 ┏娘┛
┣家則 ┣赤松晴政 1513-1565
┣祐春 ┃ ┗赤松義祐1537-1576 信長に通じる
┣季則 ┃ ┗赤松則房?-1598 秀吉に仕える
┗乙若丸 ┗政元1500-上月城主 ┗則英?-1600 関ヶ原では西軍・自害(赤松氏嫡流は途絶える)