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吉備津神社

2008年07月31日 | 大和王朝期

吉備津神社

 昨年に続いて再度の訪問です。 吉備・中山の中腹に位置する吉備津神社は大吉備津彦命を主祭神とします。 吉備津彦は第7代孝霊天皇の皇子で、別名を比古伊佐勢理比古命といい、崇神天皇10年、四道将軍の一人として山陽道に派遣され、弟の若日子建吉備津彦命と協力して吉備を平定し、その子孫が吉備の国造となり、「吉備臣」を名乗ったといいます。  その後吉備の中山の麓に「茅葺宮」を造って住み、281歳の時、この宮で薨じ、墓は中山山頂に造られた。
五代の孫である加夜臣奈留美命は、「茅葺宮」に社殿を建てたのが、当社の起源とされている。

 祭神の伝承で、もっとも有名なものが、温羅退治である。百済の王子ともされる温羅と祭神の死闘は、多くの遺蹟に物語られている。 祭神は、備中の新山に陣を構えた温羅に対し、吉備の中山の陣をはり、片岡山に石の城(石楯)を築いた。倉敷市の楯築神社である。 戦いが始まると、両者の矢は必ず、途中で絡み合い、落下する。 その場所が、岡山市高塚の矢喰宮。 そこで、祭神は、二本の矢を放つと、一本は絡まり落ち、見事、一本は温羅の左眼を貫いた。その血が流れた川が血吸川。 温羅は、たまらず雉になって逃げ、祭神は鷹となって追う。 追いつかれた温羅は、鯉となって血吸川に逃げる。 すると、祭神は鵜となって、その鯉を捕える。その遺蹟が岡山市矢部の鯉喰神社である。 捕えられた温羅は、首をはねられ、さらされた。岡山市首部(こうべ)がその遺蹟。 祭神は、家来の犬飼武に命じ、犬にその首を食わせたが、温羅の髑髏は、吠え続けたので、祭神は竃殿の下に埋めた。

 当社は昔、五社大明神とも呼ばれ、五社で構成されていた。現本殿の「正宮」、そして廻廊南端の「本宮」。さらに、現本殿から南八〇〇mにあった「新宮」は、現在、本宮に合祀されており、鳥居や社地が現存しているという。また、かってはこの新宮まで廻廊(撮影:クロウ)が延びていて、同じく本宮に合祀された「内宮」は、本殿から四〇〇mはなれた吉備中山の中腹にあったが、今は礎石のみが残るという。 そして、本殿背後の山にある「岩山社」である。 平安時代末に流行した歌謡を編纂した『梁塵秘抄』には、以下の歌がある。 『一品聖霊吉備津宮、新宮・本宮・内の宮、隼人崎、北や南の神客人、艮みさきの恐しや』 この「艮みさき」とは、本宮外陣の東北隅にある厨子に祀られる「丑寅御崎」であり、山陽地方に多く分布する「御崎神社」の本社にあたる。その分布が、吉備国の勢力圏と見ることもできる。

 相殿には次の八柱を祀っています。御友別命(みともわけのみこと) 、仲彦命、千々速比売命(ちちはやひめのみこと)、倭迹迹日百襲媛命、日子刺肩別命(ひこさすかたわけのみこと)、倭迹迹日稚屋媛命(やまとととひわかやひめのみこと) 、彦寤間命(ひこさめまのみこと) 、若日子建吉備津日子命(わかひこたけきびつひこのみこと)。 

 本殿、御釜殿などの社殿群をつなぐ、総延長398mの回廊で、両下造の本瓦葺である。かつては吉備津神社の南800mの所にある新宮社まで延びていたともいわれる。(撮影:クロウ)

 

 

                         尾張大海媛
             大物主神(蛇)            ┣ 八坂入彦命
第7代孝霊天皇  ┣ -                    ┣ 渟名城入媛命(倭大国魂神を祭る)
  ┃┃┣ 倭迹迹日百襲姫命(台与か) 姥津媛命┃ 遠津年魚眼眼妙媛(紀伊)
  ┃┃┃ 欝色謎命(伊香色謎命の母)┣彦坐王┃  ┣ 豊鍬入彦命
  ┃┃┣ 吉備津彦      ┣ 9 開化天皇   ┃  ┣ 豊鍬入姫命(天照大神を祀る)
  ┃┃┣ 稚武彦命    ┃   ┣10崇神天皇(御間城入彦)   (
みまきいり彦
)
  ┃┃倭国香媛      ┃   伊香色謎命  ┃    ┣ 倭彦命
 
 
┃┃              ┣倭迹迹姫命     ┃    ┃
 
  ┃┃          ┣大彦命      ┃    ┣ 彦五十狭茅命
 
  ┃┣━━━━━━  8孝元天皇┣御間城媛  ┃    ┣ 千千衝倭姫命

  ┃細媛命        ┃┃ ┗武渟川別  ┃    ┣ 五十日鶴彦命  
  ┣彦狭島命
      ┃┣彦太忍信命  ┃    ┣ 11垂仁天皇┓(いくめいり彦
)  
  ┃           ┃┃(武内宿禰の父)┃ 御間城媛 ┃  ┃ 
  ┣稚武彦命(吉備の祖)  ┃伊香色謎命     x (大彦命の娘)┣  ┃ 
  絙某弟(はえいろど)        ┣ 武埴安彦命 ━━┛     ┏迦具夜比売┃ 
            埴安媛  ┣            大筒木垂根王    ┃
       河内青玉繋┛   吾田媛(隼人族)                   ┃
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┃彦坐王
┃┣狭穂彦
肥長姫(蛇)                             葛城高額姫
┃┗狭穂姫命┃                                             ┣神功皇后
┃ ┣  誉津別  播磨稲日太郎姫 -122        垂仁天皇 息長宿禰王┃ 
11代垂仁天皇-69-70┣ 櫛角別王(
くしつのわけのみこ
)  ┣両道入姫命    ┣15代応神天皇
  ┣ 五十瓊敷入彦┣ 大碓皇子(おおうすのみこ) 綺戸辺┣ 14代仲哀天皇 
  ┃ イニシキイリヒコ    ┣ 小碓尊  (おうすのみこと) 日本武尊    ┣坂王
  ┣ 12代景行天皇(大足彦忍代別天皇)  -13-130                ┣忍熊皇子
  ┣ 倭姫命   ┣稚足彦尊(
13代成務天皇)   ┃          大中姫 
 ┏日葉酢媛命  ┣五百城入彦  ┃┣和珂奴気王┣神櫛皇子(母:五十河媛
讃岐国造祖)   
 ┣渟葉田瓊入媛┣忍之別皇子  ┃弟財郎女  ┣稲背入彦皇子(母:五十河媛 針間国造祖) 
 ┣真砥野媛   ┣稚倭根子皇子┃       ┣五百野皇女(母:水歯郎媛)伊勢斎宮   
 ┣薊瓊入媛  ┣大酢別皇子┗吉備郎女    ┣豊国別皇子(母:御刀媛)日向国造の祖 
丹波道主王   ┣五百城入姫         ┣武国凝別皇子(母:高田媛)
10代崇神天皇  ┣五十狭城入彦        ┣日向襲津彦(母:日向髪長大田根)
 ┣ 八坂入彦命 ┣吉備兄彦          ┗豊戸別皇子(母:襲武媛)
尾尾張大海姫┣八坂入媛命(やさかいりびめのみこと)
      ┗弟媛

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