平安時代の歴史紹介とポートレイト (アフェリエイト説明 / ちょっと嬉しいお得情報を紹介)

古代史から現代史に至る迄の歴史散策紹介とポートレイト及び、アフェリエイト/アソシエイト登録方法と広告掲載説明

【スペイン-2-1】 スペイン王国成立までのイベリア半島統治の歴史

2020年12月04日 | 世界史-欧米・ロシア

【415-】  ゲルマン人流入@ゲルマン民族の大移動 ⇒ 西ゴート王国:首都トレド

【711-】  イスラーム勢力(ウマイヤ朝 首都トレド)により、西ゴート王国敗戦:へレスの戦い

      将軍ターリクの名前が半島南西の山についている(ジャバル of ターリク→ジブラルタル海峡)

      西ゴートの残党ペラーヨ?-737(キリスト教徒)はイベリア半島北西部にアストゥリアス王国建国

      アルフォンソ2世760-842は王国を3分割して継承

      アストゥリアス王国:フルエーラ2世

      ガリシア王国   :フェルナンド1世

      レオン王国    :オルドーロ2世

【732】  トゥールポアティエ間の戦い: イスラム✖ VS 〇フランク王国
                      ┗後ウマイヤ朝 ┗ローマ教皇に接近 --- カールの戴冠
                      (首都コルドバ)  ┗イスラム侵攻の拠点:辺境伯(カタルーニャ地方)--バルセロナ
                        ┗ベルベル人侵入→ナスル朝
                                (首都グラナダ)

【791-】  アルフォンソ3世848-910の治世がおわると3国に分裂

【910-】  アストゥリアス王国:フルエーラ2世875-925

      ガリシア王国   :オルドーニュ2世871-924

      レオン王国    :ガルシア1世870-914

【1035-】  カスティーリャ王国(首都トレド)Byフェルナンド1世1017-1065

【1037-】  カスティーリャ・レオン王国 フェルナンド1世が統合

アルフォンソ7世1105-1157
  ┣アルフォンソ8世1155-1214(カスティーリャ国王)
 ┃ ┣ウラカ1186-1220(ポルトガル王妃)
 ┃ ┣ブランカ1188-1252(ルイ8世王妃)
 ┃ ┣フェルナンド1189-1211(カスティーリャ王位継承権)
 ┃ ┣エンリケ1世1204-1217
 ┃ ┃
 ┃ ┃フリードリッヒ1世(神聖ローマ皇帝)
 ┃ ┃┗
コンラート1172-1196
 ┃ ┃  ┣1187年婚約(カスティーリャ領土目的) 
 ┃ ┃  ┃1188年にフェルナンド誕生で王位継承権が移る
 ┃ ┃  ┃1190年婚約は破断
 ┃ ┃  ┃
 ┃ ┃  ┃
  ┃ ┣ベレンゲラ1180-1246(カスティーリャ女王)
  ┃レオノール1162-1214 ┃ベアトリス(ローマ皇帝フィリップ2世の娘)
 ┃(父:ヘンリー2世) ┃ ┣アルフォンソ10世1221-
 ┃(母:アリエノール) ┃ ┣他9人
 ┃                    ┣フェルナンド3世1201-1252
 ┃           ┃ 
 ┃                     ┣ベレンゲラ1204-1237
 ┃           ┃ ┣
 ┃           ┃エルサレム王・ブリエンヌ1148-1237 
 ┗アルフォンソ9世1171-1230(レオン国王) 
      ┣サンチャ  1191- 修道女
      ┣フェルナンド1192- 
      ┣ドゥルセ  1193- 修道女
  テレサ・ポルトガル 1176-1250
      1195年アルフォンソ9世はカスティーリャに侵攻
         アラゴン王国がカスティーリャに加勢
         不利とみたアルフォンソ9世は和睦
      1197年アルフォンソ9世とベレンゲラ結婚
      1204
年ローマ教皇インノケンティウス3世⇒この結婚は無効
         理由:近親婚
         同意しなければアルフォンソ8世、アルフォンソ9世は破門⇒離婚同意する
      1211年カスティーリャ王太子フェルナンド死去⇒エンリケ7歳が王太子
      1214年アルフォンソ8世死去 妻・レオノールも死去
      1214年エンリケ1世即位 ベレンゲラは摂政 ⇔ ララ伯(アルフォンソ8世重臣)
      1217年エンリケ1世13歳事故死@宮殿内
         ベレンゲラ女王即位⇒国民反感⇒フェルナンド3世即位
         アルフォンソ9世がカスティーリャ王位継承主張
         ルイ8世までもがカスティーリャ王位継承主張 ⇒ 1226年ルイ8世崩御
         ララ伯+アルフォンソ9世⇒カスティーリャ征服計画⇒軍侵攻⇒市民兵が撃退
         アルフォンソ9世は十字軍遠征 ララ伯病死
      1219年フェルナンド3世とベアトリス結婚
      1221年アルフォンソ10世誕生
      1230年アルフォンソ9世崩御
         カスティーリャにレオン統合
      1246年ベレンゲラ死去66才
      1252年カスティーリャ・レオン消滅

  イザベル1451-1504 遺言により遺体はグラナダ・アルハンブラ宮殿にある
      ┣イザベル1470-1498 @ドエーニャス ポルトガル王 (マヌエル1世)妃
      ┣ファン 1478-1497 @セビリア城 
      ┣ファナ 1479-1555 @トレド    ブルゴーニュ公(フィリップ4世)妃 
      ┣マリア 1482-1517 @コルドバ   ポルトガル王 (マヌエル1世)妃 
      ┣カタリナ1487-1536 @アルカラ   イングランド王(ヘンリー8世)妃
  フェルナンド2世1452-1516

  タントモンタ:二人は平等 

 

【1479-】  トラスタマラ朝 カスティーリャ-アラゴン連合国:スペイン王国の始まり

       当時イベリア半島で繁栄していたのがポルトガル : 敵も居ない---大航海を開始

       イスラム・ナスル朝と敵対し、アラゴンやポルトガルに挟まれたカスティーリャはアラゴンと組むことで活路開く

       イザベル1451-1504+フェルナンド2世1452-1516が結婚してスペイン王国成立

 1486   グラナダ陥落に向けて、周辺の町の兵糧を絶つ

      モクリン要塞(山頂の要塞)に野営 アルハンブラ宮殿を望み、攻撃の機会を待つ

      アルハンブラ宮殿 :アラビア語で赤い城という意味 スペイン語ではアランブラ

                 3重の城壁周囲2km 22人のスルタンが迷路宮殿を増築

                 かつては7宮殿 今は4宮殿+離宮

                コマレス宮 : 作ったスルタンは礼拝中に殺害された

                パルタル宮 : 最古 作ったスルタンは弟に王位を奪われて毒殺される

                メスアル宮 : 作ったスルタンは愛人を奪って恨みをかい刺殺される

                        イザベルが滞在したのはここの黄金の間

                        航海師コロンブスと会見した間でもある

                レオネス宮 : 妃と密会したことで、疑わしいアベンセラス一族36人を殺害

                        ライオンの中庭---永遠の水の循環

                        二姉妹間----ムハンマドが弾圧から逃れて籠った洞窟を表す

                              天井には「追っ手から守った蜘蛛の巣」

                              5416の鍾乳石飾り--正方形から八角形へ昇華

                              アラベスクの迷路は無限の連鎖 

                              必ずどこかに不完全を残した完全芸術

                              「神のみぞ勝利者なり」  

                

  

 1491   グラナダ王国のスルタン・ボアブディルは戦うことなく降伏  宮殿のカギはイザベル女王の手に

【1492】  グラナダ陥落 :キリスト教はイスラム教を追い出した(キリスト教に改宗 20万人)

             ユダヤ教は追放 17万人

             アルハンブラ宮殿外のモスクは破壊して教会建造

             アルハンブラ宮殿内の礼拝堂などはそのまま残っている

             → キリスト教、イスラム教、ユダヤ教が混在する街-グラナダ、ゴルドバ、トレド

 1493   コロンブスへ大航海指示 --- 西インド諸島から莫大な富がもたらされる:1493-3-30 女王手紙

 1504-11-26    イザベル病死 ---- 西インド諸島への不安(略奪をしてはいけない)を遺書に残す    

                    イザベルの遺体は遺書に従ってアルハンブラ宮殿・聖フランシスコ礼拝堂に葬られた

 1516   フェルナンド死亡  遺体はイザベルとともにグラナダ大聖堂@王室礼拝堂 

                ファナと夫フィリップも横に安置されている

                その息子カール5世はスペイン王家全ての財産を継ぎ、ハプスブルグ家のものとなった

 

      船乗りたちの聖母 @セビリア城 --- コロンブス、フィリップ 

             

コメント    この記事についてブログを書く
« 【スペイン-1】 9世紀 サン... | トップ | 【スペイン-2-2】 16世紀 ス... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

世界史-欧米・ロシア」カテゴリの最新記事