【エジプト新王国時代BC1570-BC1070】 ラムセス9世は、古代エジプト第20王朝の第8代ファラオである。祖父ラムセス3世が没すると、その後を継いだラムセス4世からラムセス8世までのファラオ達は短期間で没し、王権も次第に衰退していった。ラムセス9世の約20年の治世には、衰退傾向に歯止めがかかり若干の安定が得られた。 治世中の建築事業の多くは、カイロから10kmほど離れたヘリオポリスで行われた。ヘリオポリスは古王国時代以来の太陽崇拝の中心地である。しかしアジアにおける領土は既に失われており、かつてエジプトの属国であったシリアやパレスティナは海の民と総称される諸民族の勢力が乱立する地となり、西方のダクラ・オアシスなど、僅かに周辺諸国への影響力を残しているにとどまる。ラムセス9世の治世には、頻繁に王家の谷の王墓群で盗掘が行われていたことが発覚。埋葬されてから20年程しか経っていないラムセス6世の墓もその標的になっていたという。死後、ミイラは王家の谷のKV6に埋葬され、後に他の王たちのミイラと共に「ロイヤル・カシェ」に移された。「ロイヤル・カシェ」というのは「王家」を意味するロイヤルと、フランス語の「隠し場所」を意味するカシェの合成語である。
ルクソールのナイル川西岸に位置するクルナ村には、考古学者、道案内、穴掘りなどの人々が住んでいた。その中には、夜陰にまぎれて盗掘をするラスール一家がいた。ラスール家の3人の兄弟の一人が、デイル・エル・バハリ近郊の山間部で偶然に岩窟墓を発見していた。そこには副葬品などはなく、石棺や、剥き出しのミイラばかりだった。彼らはミイラに添えられていた護符や石棺などを引っぱり出し、盗品市場に出し続けたのである。やがてミイラに関する遺物が盗品市場に出回っているという知らせに、マリエットの後任として考古局長兼カイロ博物館長に就任したマスペロは、調査を開始し、ラスール一家のしわざであることを突き止めた。その結果、その岩窟墓は第21王朝時代のアメン大神官パネジェム2世のものだとわかり、そこには40体という大量のミイラが集積されているということが判明した。書き込まれたヒエログリフにより、そのミイラが古代エジプトの頂点にあった君主たち、およびその家族のものだということが判明したのである。それを聞いた世界中が興奮に包まれたことは言うまでもない。この岩窟墓が「ロイヤル・カシェ」と名づけられた。
ラムセス9世(KV6)の墳墓内
(2019/9/13時点で、スマホによる写真撮影はOK カメラによる撮影も300EP支払えばOK)
在位:紀元前1126年 - 紀元前1108年
墳墓入口
イスラム教徒に顔を削り取られている
ラムセス1世① -BC1295-1294(KV16 第19王朝の第1代ファラオ ホルエムヘブの忠実な腹心)
┣セティ1世② -BC1294-1279(KV17)ヒッタイトを押し戻しヌビアへ遠征 王家の谷に墓建設
シトレ ┣ラムセス2世③ -BC1290-1224(KV7)ヌビアに遠征 アブシンベル神殿を造営
トイ ┣カエムワセト(KV5)神官職
┣メルエンプタハ④ -BC1212-1202(KV8)60歳を超えての即位
┃ ┃ ┣アメンメセス⑤ -BC1202-1199(KV10)
┃ ┃タカト
┃ ┣セティ2世⑥ -BC1202-1193
┃ ┃ ┃ ┣
┃ ┃ ┃タウセルト女王⑧ -BC1185(KV14 第19王朝最後)
┃ ┃ ┃ ┗セトナクト① -BC1185-1182(KV14 第20王朝初代) カルナック神殿建設
┃ ┃ ┃ ┣ラムセス3世② -BC1186-1152(KV11)海の民撃退(ジャヒの戦) カルナック神殿造営
┃ ┃ ┃メレネーゼ┃ ┃ ┣ラムセス4世③ -BC1151-1145(KV2)父が暗殺され、混乱を収束即位
┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ティイ ┣ラムセス5世④ -BC1145-1141(KV9)アメンの神官団の台頭 天然痘で死去
┃ ┃ ┃ ┃ ┃ テントオペト
┃ ┃ ┃ ┃ ┣ラムセス6世⑤ -BC1141-1133(KV9)クーデターで王位簒奪し、王墓も奪う
┃ ┃ ┃ ┃ イセト ┣ラムセス7世⑥ -BC1133-1126(KV1)治世記録無
┃ ┃ ┃ ┃ ナブケスベッド
┃ ┃ ┃ ┣ラムセス8世⑦ -BC1125-1126(王墓不明 同王朝で最も不明瞭な支配者)
┃ ┃ ┃ ティエ ┗ラムセス9世⑧ -BC1126-1108(KV6)
┃ ┃ ┃ ┣ラムセス10世⑨ -BC1108-1098(KV18未完成)
┃ ┃ ┃ ?? ┣ラムセス11世⑩ -BC1098-1070(KV4)第20王朝終焉
┃ ┃ ┃ ??
┃ ┃ ┣サプタハ⑦ -BC1193-1187(KV47)政治の実権はタウセルトとバイが握る
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ??
┣イシスネフェルト2世
イシスネフェルト1世