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建礼門院・平徳子

2005年10月28日 | 平家物語

建礼門院・平徳子1155-1213年

  いわずと知れた太政大臣平清盛と平時子(二位の尼)の娘です。そして高倉天皇の中宮、安徳天皇の 母であります。高倉天皇は後白河天皇の皇子。

  清盛はなんとしてでも天皇家の血筋が欲しかった。そして、平徳子は1171年16歳の時に、後白河法皇に入内して女御となり、翌1172年、17歳で高倉天皇の中宮となります。夫の高倉天皇はまだ11歳でした。

 1178年安徳天皇を出産。1180年に高倉天皇が譲位し、翌1181年11月25日、高倉院崩御とともに建礼門院の院号を宣下されます。

 【平家の全盛】 平清盛は平氏一門では決して主流ではなかったが、保元の乱・平治の乱で武功をたて、その後二条天皇と後白河上皇の 対立を利用して、次第に権力の基盤を確立し、やがて、1167年清盛は太政大臣になり、翌年は甥に当たる憲仁親王が 高倉天皇として皇位につき、1172年には徳子が高倉天皇の中宮となって、清盛の天下は最高潮に達します。時子の同母弟・平 時忠が「平氏にあらずんば人にあらず」と言ったのはこの頃であります。

 【武家政治の始まり】 後白河帝は「保元の乱」後、二条天皇に譲位して院政をしくが「平治の乱」が勃発し、一時源義朝に囚われの身となります。平清盛に よって乱は治まるが、これにより、武家が摂関・天皇をしのぐ実力者として初めて歴史の表舞台に登場する事になります。

 【清盛と後白河法皇の亀裂】 平家が源氏を 押さえつけ清盛が権力をふるうが、しかしその後後白河上皇と清盛の関係は冷え切り、平家の専横を危惧する勢力は平家討伐の謀略 (鹿ヶ谷の陰謀)を図るまでになります。後白河上皇もこれに荷担したが、平重盛の諫言でからくも難を逃れた。しかし重盛の死後そ の領地を後白河上皇が没収したため、怒った清盛は後白河上皇を幽閉し、院政はいったん中断し、後白河上皇の幽閉は、反平家勢 力躍進の原動力になるのです。

 【源氏の挙兵】 1180年4月、源三位頼政が後白河帝の第五王子・以仁王(もちひとおう)を擁して挙兵し、 全国の源氏に「平家討伐」を宣言。伊豆で源頼朝が、信濃で木曽義仲が、甲斐で武田信義が挙兵します。

 【清盛の死】 清盛が没すると戦況は一気に源氏に傾き、もはや平家の命運も尽きようとして いました。1183年年7月、木曾義仲が京都に入る直前の25日、平家一門は、二位の尼・建礼門院らとともに安徳天皇をいただ いて西国へ落ち延びるが、後白河上皇は天皇の京外脱出という異常事態に、高倉天皇の末子、後鳥羽天皇を即位させます。安徳天皇は 「三種の神器」を持ったまま、皇位を失った。

 【平家滅亡】 源氏は源義経を中心とする軍勢が一ノ谷、屋島と平氏を打ち破り、1185年 長門国壇ノ浦で源氏軍に敗北するのである。安徳天皇は二位の尼(祖母)に抱かれて入水し、多くの平家一門も関門海峡に沈んでいきます。1185年3月24日昼過ぎ、平氏の総大将平知盛は女房達に敗戦を告げると、二位の尼は天皇家の三種の神器である草薙の剣 を腰に帯び、八尺勾玉を脇にはさみ、孫の安徳天皇を抱いて海に飛び込んだ。続いて建礼門院も飛び込み、さらに大納言佐局(平重 衡の妻)が、三種の神器の最後の一つ八咫鏡を持って飛び込んだ。しかしその時、船に飛び移って来た源氏の武士たちがまだ波間に 漂って沈みきっていない二人の女を引き上げ、その一人の女が建礼門院であることを知ります。

 【建礼門院】 救われた建礼門院は京都に護送され、吉 田の律師実憲の坊で出家、1185年5月、京都東山長楽寺で、当寺の阿證房印誓上人(法然上人の高弟)を戒師として仏門に 入ります。法名・真如覚を名のり、時に建礼門院29歳でした。鎌倉幕府は建礼門院領として平宗盛の旧領地摂津真井・嶋屋荘を贈ったが、やがて十月に女房の一人右京太夫の助言で大原の寂光院 に庵を結び、平家の菩提を弔うことに生涯を捧げました。

 後白河法皇が大原を訪れ、建礼門院が号泣する話は、建 礼門院の侍女・横笛の悲恋も併せ伝えられることで知られている。

 この山深い里で、平家一族の冥福をひたすら祈りその波瀾の生涯を閉じた建礼門院は、 ついに再び歴史の表舞台に登場することはなく、1213年12月13日、京都大原寂光院で逝去しました。

 建礼門院は臨終にさ いし、阿弥陀仏の御手にかけてある五色の糸の一端を持って念仏を唱えたので、大納言佐の局と阿波内侍とが左右に付き添って、こ の世の名残りに声も惜しまず泣き叫んだと言う。念仏の声が弱くなると、西の方に紫雲がたなびき、たとえようもない美しい香りが 部屋に満ち、来迎の音楽が空に聞こえてくる。そして静かに息を引き取ったと平家物語では伝えられています。

 今の時代もかたちは違えど、苦悶に生きる時代。大変考えさせられます。

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