ルクソール神殿は、ルクソール(古代のテーベ)東岸にある神殿複合体。もともとカルナック神殿の中心を形成するアメン大神殿の付属神殿として、エジプト第18王朝(紀元前1550-1295年頃)ファラオのアメンホテプ3世によって中心部分が建立された。やがて、ラムセス2世が、年に一度ナイル川の増水期に、南のハレムといわれたルクソールに船で訪れて妻子と過ごすオベト祭のために増築がなされた。神殿の後方には、アメンホテプ3世およびアレクサンドロス3世(紀元前332-323年)によって構築された祠堂がある。ローマ時代には、神殿およびその周辺は軍の要塞となり、その領域はローマ政府の基地であった。アメン大神殿とはスフィンクスの参道で結ばれていた。神殿入口となる第1塔門の前には1対のラムセス2世(紀元前1279-1213年頃[3])の坐像、その手前にはオベリスク(H25m、ラムセス2世の偉業が刻まれている)が立っている。オベリスクは本来左右2本あったが、1本はコンコルド広場に移された。塔門には古代エジプトの歴史が彫られている。ヒッタイト軍との戦争・カデシュの戦いが描かれている。
イアフメス1世第18王朝① -BC1546
┣アメンホテプ1世② -BC1524 カルナック神殿を建設
ネフェルトイリ ┗トトメス1世③ -BC1518 ヌビア遠征 アメン大神殿の造営継続
┣トトメス2世④ -BC1504
ヌトネフェルト ┣トトメス3世⑥ -BC1425 ハトシェプスト補佐 カルナック神殿増築KV34
イシス ┣アメンホテプ2世⑦ -BC1419 エジプト帝国を維持 KV35
ハトシェプスト┣トトメス4世⑧ -BC1388 アメン神官団の影響力の排除
ティアア┣アメンホテプ3世⑨ -BC1349(第9代) メムノンのモデル WV22
ムテミヤ┣アメンホテプ4世⑩ -BC1333(アクエンアテン)アトン神を崇拝KV55?
┃ ┃ ┣ツタンカーメン⑫-BC1324 首都をテーベに戻す KV62
┃ ┃キヤ ┣-- ┗アイ⑭ -BC1319
┃ ┣アンケセナーメン ┗ホルエムヘブ⑮(KV57 第18王朝最後)
┃ネフェルティティ ┗ラムセス1世① -BC1295-1294
┣スメンクカーラー⑪ -BC1334 本拠地メンフィス KV55?
ティイ
ラムセス1世① -BC1295-1294(KV16 第19王朝の第1代ファラオ ホルエムヘブの忠実な腹心)
┣セティ1世② -BC1294-1279(KV17)ヒッタイトを押し戻しヌビアへ遠征 王家の谷に墓建設
シトレ ┣ラムセス2世③ -BC1290-1224(KV7)ヌビアに遠征 アブシンベル神殿を造営
トイ ┣カエムワセト(KV5)神官職
┣メルエンプタハ④ -BC1212-1202(KV8)60歳を超えての即位
┃ ┃ ┣アメンメセス⑤ -BC1202-1199(KV10)
┃ ┃タカト
┃ ┣セティ2世⑥ -BC1202-1193
┃ ┃ ┃ ┣
┃ ┃ ┃タウセルト女王⑧ -BC1185(KV14 第19王朝最後)
┃ ┃ ┃ ┗セトナクト① -BC1185-1182(KV14 第20王朝初代) カルナック神殿建設
┃ ┃ ┃ ┣ラムセス3世② -BC1186-1152(KV11)海の民撃退(ジャヒの戦) カルナック神殿造営
┃ ┃ ┃メレネーゼ┃ ┃ ┣ラムセス4世③ -BC1151-1145(KV2)父が暗殺され、混乱を収束即位
┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ティイ ┣ラムセス5世④ -BC1145-1141(KV9)アメンの神官団の台頭 天然痘で死去
┃ ┃ ┃ ┃ ┃ テントオペト
┃ ┃ ┃ ┃ ┣ラムセス6世⑤ -BC1141-1133(KV9)クーデターで王位簒奪し、王墓も奪う
┃ ┃ ┃ ┃ イセト ┣ラムセス7世⑥ -BC1133-1126(KV1)治世記録無
┃ ┃ ┃ ┃ ナブケスベッド
┃ ┃ ┃ ┣ラムセス8世⑦ -BC1125-1126(王墓不明 同王朝で最も不明瞭な支配者)
┃ ┃ ┃ ティエ ┗ラムセス9世⑧ -BC1126-1108(KV6)
┃ ┃ ┃ ┣ラムセス10世⑨ -BC1108-1098(KV18未完成)
┃ ┃ ┃ ?? ┣ラムセス11世⑩ -BC1098-1070(KV4)第20王朝終焉
┃ ┃ ┃ ??
┃ ┃ ┣サプタハ⑦ -BC1193-1187(KV47)政治の実権はタウセルトとバイが握る
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ??
┣イシスネフェルト2世
イシスネフェルト1世
この頃テーベはアメン大司祭国家となりエジプトには南北二つの王家が並立する
カルナック神殿まで続く参道には羊のスフィンクスが並ぶ
ルクソール神殿第一塔門の前にはラムセス2世の石座像とオベリスクが立つ。ラムセス2世は9本のオベリスクを建造しているが、5本はローマ、1本はパリ。石像の肩にはラムセス2世のカルトゥーシュが刻まれている。
ラムセス2世の第一中庭とモスク
第二塔門前に立つラムセス2世の石像
ラムセス2世の台座のレリーフは上下エジプトの統合を意味している
BC17世紀頃、エジプトは下エジプト(異民族ヒクソスに支配さてていた)と上エジプトに分かれていた
両者間に戦争が起こり、BC1550年ごろ土着のエジプト人が、ヒクソスを支配層から追い出してエジプト新王国時代に入る(第18王朝期)
上下エジプトを統一したエジプト王はナイル川流域だけではなく、アジアのシリア方面にも進出するようになる
この時の王・トトメス3世は、シリアの属国も支配し、エジプト史上最大の帝国を築いた
アメンヘテプ3世の大列柱 東西の壁面には供え物の牛など、オペト祭の様子が刻まれている。中庭の奥にはオペト祭で使われた船を安置するところがある。この中庭はアレクサンダー大王によって再建されたことから大王のレリーフが残されており、アレクサンダーの中庭とも呼ばれている。
ラムセス2世とネフェルタリ妃
ツタンカーメンとアンケセナーメン妃という説明であったが・・・
アメンヘテプ3世の第二中庭 向こう側は列柱室
アレクサンドロス大王の間
大王の間の壁レリーフ
葡萄から赤ワインを作っている
至聖所
ルクソール神殿