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万葉歌人・大伴坂上郎女

2007年04月03日 | 奈良・飛鳥時代

 大伴坂上郎女

蘇我稲目                 天智天皇
 ┣ 小姉君                      ┃天武天皇631-686       
 ┣ 石寸名郎女                       ┃┃┃┃┗ 刑部皇子665-705(忍壁) 
 ┣ 境部臣摩理勢(蝦夷が滅す)         ┃┃┃┣但馬皇女-708      
 ┃  ┗ 蘇我倉麻呂               ┃┃┃氷上娘-682(鎌足娘)
 ┃     ┣ 蘇我倉山田石川麻呂 ━━━━━┓ ┃┃┣長皇子-715                               ┃     ┣ 蘇我日向             ┃ ┃┃┣弓削皇子-699 
 
  ┃     ┣ 蘇我赤兄623-          ┃ ┃┃大江皇女-699(天智皇女 川島妹) 
  ┃     ┃ ┣常陸娘              ┃ ┃┃         長屋王
 ┃   ┃ ┃  ┣山辺皇女             ┃ ┃┃         ┣膳夫王-729
 ┃   ┃ ┃天智天皇                 ┃ ┃┣ 草壁皇子662-689 ┣葛木王
 ┃   ┃ ┗大蕤娘669-724            ┃ ┃┃ ┣ 吉備皇女683-707 
 ┃   ┃    ┣紀皇女              ┃ ┃┃ ┣ 軽皇子683-707(42文武) 
 ┃   ┃    ┣田形皇女             ┃ ┃┃ ┣ 氷高皇女  (44元正) 
 ┃   ┃    ┣穂積親王   大伴宿奈麻呂┃ ┃┃ 阿閉皇女661-721(43元明) 
 ┃   ┃    ┃ ┃┗但馬皇女┣ 二嬢 ┃ ┃┃  
 ┃   ┃    ┃ ┣今城王   ┣ 大嬢  ┃ ┃┃  
 ┃   ┃    ┃┏大伴坂上郎女-750?┃ ┃ ┃┃ 
 ┃   ┃    ┃┣稲公       ┃  ┃ ┃┃  
 ┃   ┃    ┃大伴安麻呂         ┃  ┃ ┃┃  
 ┃   ┃    ┃ ┗旅人          ┃  ┃ ┃┃  
 ┃   ┃  天武天皇 ┗━━━大伴家持 ┃ ┣41持統天皇645-703 
 ┃   ┗ 蘇我連子                   ┃ ┣健皇子649-658 
 ┗ 蘇我馬子(嶋大臣)551-626             ┣蘇我遠智娘-649 
      ┗ 蘇我蝦夷587-645               ┗姪娘

 万葉歌人であり、恋多き女性・大伴坂上郎女は、大伴安麻呂と石川郎女の子で、稲公の姉である。 母・石川郎女は天武天皇の子・大津皇子と草壁皇子との三角関係の末、大津皇子と結ばれたことで有名な御方である。  全てにおいて秀でていた大津皇子に嫉妬の念を抱いて、 草壁皇子を溺愛した豊御食炊屋姫(後の推古天皇)は、息子の草壁皇子を皇位につけるべく、大津皇子を謀反の罪で落としいれ誅殺したのである。   大伴坂上郎女の異母兄には旅人がおり、大伴家持の叔母であり、姑にあたり、 大伴宿奈麻呂との間にうまれた大嬢は大伴家持の正妻と云われている。 初め、穂積皇子(天武天皇皇子。 万葉集巻二によれば高市皇子の宮にいた但馬皇女と密通し、同じ頃勅命により近江志賀寺に派遣されている。)に嫁すが、715年に皇子の薨去後、一説に宮廷に留まり命婦として仕える。 この頃首皇太子(のちの聖武天皇)と親交を持ったらしく、後年個人的に歌を奉っている。 養老年間、藤原麻呂に娉われたこともあり、724年頃 宿奈麻呂は卒し、のち、旅人を追って大宰府に下向する。 帰京後は佐保邸に留まり、一家の刀自として、大伴氏を支えた。 額田王以後最大の女性歌人であり、万葉集編纂にも関与したとの説が有力で、万葉集に長短歌84首を所載。女性歌人としては最多入集であり、全体でも家持・人麻呂に次ぐ第三位の数にあたる。

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