画風の変遷が激しいマティス
同じテーマの絵が多い
何度も描きなおす
1869 生誕@仏、法律家としてパリへ
1890 入院時に絵と出合い画家を目指す
1891 伝統的指導のアカデミー・ジュリアンを嫌い、エコール・デ・ボザールへ
ギュスターヴ・モロー1826-1898が教師(象徴主義1870-:サロメ)
ジョルジュ・ルオー1871-1958が生徒の筆頭
フォービズムの仲間と出会う
1895 シニャックと過し古風な点描画を描く
夏にはブルターニュへ旅行
1896 読書する女:国民美術協会展で初入選--モデルは恋人カロリーヌ
1897 食卓@国のサロン
カロリーヌと離別
1898 恩師モロー死
アメリー・パレイルと結婚---コルシカ島へ
子供のピエールは大画商
アメリカ現代美術の発展に寄与
反ナチス芸術家の作品を展示@NY-1942
モデル・キャロラインとの子・マルグリッドを引き取る
1899 エコール・デ・ボザール辞める
1903 第一回サロン・ドートンヌ
1904 「豪奢、静寂、逸楽」
初個展
1905 コリウール訪問@36歳
フォービズム(野獣派:大胆な色彩)が脚光を浴びる
第二回サロン・ドートンヌ(秋)展@パリに出品するが激しく批判される
1906 ピカソと親交
1907 キュービズムの台頭によりフォービズムは衰退していく
「豪奢Ⅰ」発表
1917 南仏ニースへ移住
晩年は切り絵に没頭 → ウオーホールに影響を与える
1951 ヴァンスのドミニコ会修道院・ロザリオ礼拝堂を手掛ける
1954 がんで死亡
のちに愛人リディアは自殺未遂
夢
マティスの助手がモデル