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平安時代中心の歴史紹介とポートレイト

古代史から現代史に至る迄(日本史/世界史)の歴史散策紹介とポートレイト

高雄・台南-8 鼓山輪渡站

2019年03月28日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

鼓山輪渡站

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高雄・台南-7 小吃(シャオチー)

2019年03月28日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

 台湾といえば、B級グルメの宝庫です。B級グルメの数々を小吃と言い、店や屋台で食べる中華の一品料理のこと。麺類や、餃子・焼売・饅頭などの包子(パオズ)、粽や餅から、肉料理、炒飯や魯肉飯など。

鳥肉飯、みそ汁、野菜炒め

猪肉飯、野菜炒め

集品蝦仁飯

包子(パオズ)

正義餃子

海忠宝活海産 飯蛸、焼き飯、エビ

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高雄・台南-6 冥銭

2019年03月28日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

 台湾・高雄で見かけた変わった習慣です。お札を模した紙を燃やしてました。ご先祖さんのためのお金(冥銭)だそうです。「これをしないと、天国のおじいさん、おばあさんが貧乏になって可哀そうでしょ」 とのこと。宗教観から来ているのかなぁ。それにしても燃やす量が大量です(笑)

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高雄・台南-5 高雄鉄路地下化展示館 (旧高雄駅)

2019年03月28日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

 旧高雄駅は、1930年代の様式の外観も見る価値がありますが、内部は「鉄道地下化展示館」として使われていて、色々な展示があるということで行きましたが工事中。MRT高雄駅、高雄鐵道の合流地点にあります。

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高雄・台南-4 高雄忠烈祠(高雄神社遺跡)

2019年03月28日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

高雄忠烈祠(高雄神社遺跡)

抗日戦争等で戦没した烈士700名以上が祀られている。

日本統治時代のこの場所には高雄神社があった。

 

毎週土曜日の8時~10時迄、趣味の演奏家が集まってくるそうです。「BEN」というらしい。

お好みの曲をリクエストすれば、演奏してくれます。

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高雄・台南-3 旗津星空隧道と旗津海岸公園

2019年03月28日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

MRT・西子湾駅でおりて鼓山輪渡站からフェリーで旗津輪渡站へ

そこには砲台跡、旗後星空隧道、旗津海岸公園、旗津老街では海鮮料理を頂く

 

旗津星空隧道

旗津貝殻公園

旗津区散策

 

海忠宝活海産で海鮮料理を(一人250元:約900円)

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高雄・台南-2 愛河クルージング

2019年03月28日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

高雄の街を縦断する愛河の両岸はホテルなどが整備されていてイルミネーションが綺麗

クルーズ船でしばしの遊覧のあとは、「永浴愛河咖啡輕食」でお茶を。。

永浴愛河咖啡軽食

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高雄・台南-1 台南航空隊基地と軍機展示

2019年03月28日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

台南航空隊基地  台南空港の隣

 

空軍軍官学校と展示@岡山(高雄と台南の中間あたり) 

DC4 F100-スーパーセイバー

C46コマンド

C119 フライング・ボックスカー

空軍軍官学校

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ユダヤ-29 ユダヤ人とイスラエル人と日本人

2019年02月27日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

 旧約聖書に於けるユダヤ人とは、メソポタミア文明の発祥地ユーフラテス川の対岸から移動してきた人々という意味をもつハビル人を言う。そしてハビルからヘブライ人とも言う。祖はアブラハムで、その子はイサク、孫は双子のエサブとヤコブである。ヤコブは後にイスラエルと名を変え(新生)4人の妻・妾を娶って12人の子をもうけた。12人はそれぞれに支族の長となるが、ユダとベニアミンがユダという南王国を築き、ほかの10人はイスラエルという北王国を築いた。現在の「イスラエル」はユダを長とする南王国の人たちが1948/5/14に築いた国であるから、旧約聖書に出てくるイスラエルとは違うからややこしい。ユダを長とする南王国の人たちは、AD70年にローマ帝国に滅ぼされたことによって全世界に散らばった(デアスポラと言う)が、やがて1900年の時を超えて奇跡的に戻ってきたのである。

 では北王国のユダヤ人たちはどうなったのだろう。北王国のリーダーはエブラエムといってヨセフの11男であるが、このエブラエム族をリーダーとする10支族は、アッシリアに滅ぼされ消えた支族とも言われている。ただし旧約聖書のイザヤ書にはエブラエム族が日本の神道に於ける皇室と解釈できる記述が多々現れるという。この考え方を日ユ同祖論といい、色々なところにユダヤと日本の共通性を見ることができる。六芒星が伊勢神宮の灯篭に刻まれていたり、菊の家紋がエルサレム神殿の門の模様と類似していたり、三種の神器・八咫鏡の裏にはヘブライ語が刻まれていたりする。

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ユダヤ-28 1万年前の超古代文明・アトランティス

2019年02月11日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

 アトランティス大陸とは、ペルーとエジプトの間の大西洋に浮かぶ大陸、古代ギリシャの哲学者プラトンがティマイオスという著書に記した大陸である。そこにある帝国は豊かであり、強い軍事力を持ち、大西洋を中心に地中海西部を含んだ広大な領土を支配していた。王家はポセイドン(ゼウスに次いで力を持つ神)の末裔であったが、人間と混じるにつれ堕落し物質主義に走って領土の拡大を目指し、これがゼウスの怒りにふれて帝国は荒廃し突如沈んだ。この大陸の後継者はアーリア人であり、ドイツ人の祖とも言えると信じたのはナチスのヒトラーである。長身で金髪で青い目を持つアーリア人を守るべく、ユダヤ人、障碍者、同性愛者などを迫害した。迫害の真の理由、純粋なアーリア人を保護する目的で1935年に「アーネンエルベ」を設立し、先史時代や神話時代の「北欧人種」が世界を支配していたことを証明しようと研究活動を行っていた。

 1929年にヒムラーはまだ規模が小さかった親衛隊の規模を拡大し、1929年には300人だった隊員数は1931年には1万人を超えた。ある程度規模が育ってきたことで、ヒムラーは親衛隊員をもっと厳しく選抜して長身・金髪・碧眼の北欧人種による集団にすることを目指すようになった。機関紙「ゲルマニア」を発行し、アーリア民族の優秀性をアピールすべく、カナリア諸島の原住民グアンチェ族は金髪であったという伝説を信奉し、現地で発掘されたミイラを収集したり、オランダの湿地帯から発掘されたミイラをアーリア人の祖とこじつけたりするなど、疑似科学やミイラの金髪伝説を宣伝した。 活動研究には多くのドイツ学者が参加したが、彼らは戦後裁かれることもなく大学や研究機関に復職している。

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ユダヤ-27 日露戦争の勝因はユダヤ人の資金

2019年02月11日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

 1904年2月8日から1905年9 月5日にかけて大日本帝国とロシア帝国との間で行われた戦争では、圧倒的にロシアの軍事力が上回っていた。日露の軍事資金は20億:2.5億、平氏は300万:25万、海軍は80万T:25万T、ロシアの太平洋艦隊、バルチック艦隊に比べて日本は引退まじかの艦隊を含む連合艦隊である。これだけ国力差があるロシアと戦うには相当の資金が必要である。その資金調達を担ったのが高橋是清である。彼はアメリカ経由でイギリスに渡り、ヤコブ・シフというドイツ生まれのユダヤ人銀行家に融資をしてもらっている。クーン・ローブ商会であり、全米ユダヤ人協会の会長である彼は吉田寅次郎という人物を通じて日本に大変友好的であったと考えられる。当時ロシアはユダヤ人迫害が強かった。日露戦争の前年、オデッサの郊外でユダヤ人大虐殺が発生したこともあり、ヤコブ・シフ(1847-1920)というドイツ生まれのユダヤ人銀行家に融資を受けれたともいえる。

 日露戦争では、T字戦法で日本が勝利したことになっているが、実はそうでもない。ロシアの太平洋艦隊とバルチック艦隊に挟まれては勝ち目はないとして、太平洋艦隊の殲滅にとりかかった。ところが日本連合艦隊よりも太平洋艦隊のほうが速度があり、逃げられようとしていた。ところがロシアの太平洋艦隊に異変が起こった。エンジンの故障と統制の乱れにより太平洋艦隊は停止。これが起因して日本は勝利する。全くの偶然による日本の勝利であった。

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ユダヤ-26 ロシアの世界戦略-3-ロシア介入

2019年02月11日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

 今人口2300万人のシリア人のうち1300万人が難民となっている。そのうち800万人が国内、500万人が国外難民である。この移民に歯止めをかけるべく、カザフスタンの首都アスタナで開かれたシリア内戦の和平協議(ロシア、トルコ、イラン三国同盟)が行われた。これは本来あり得ないこと。というのもトルコとロシアは過去に12回も戦争を行い、そのたびにオスマン領土が削られていったからである。アメリカ、トルコ、西ヨーロッパで構成されるNATOは対ロシアである。旧オスマンのエイドリアン大統領はオスマン帝国の復興を願っており、アサド政権を倒す側にある。

 一方ロシアは強大な産油国であり、天然ガスなどのパイプラインはウクライナ(ロシアにクリミア半島を取られた)を経由してヨーロッパに繋がっている。ここでプーチンはウクライナ経由のパイプラインを止めて、新パイプラインをトルコ、ブルガリア経由でヨーロッパ迄建設しようとしている。トルコにとっては極めて有利なもので、ヨーロッパに対する発言力は大きくなり、シリアに入る外国人の国境管理ができる。このプーチンの考えはトルコと折り合いが悪いNATOにとっては脅威である。

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ユダヤ-25 バビロニア・ペルシャの政治家ダニエル

2019年02月11日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

 旧約聖書の中の一書にダニエル書がある。これはバビロニア、ペルシャの政治家ダニエルがBC538年頃に書いたものである。当時ユダヤの国はなく、この70年前にバビロニアによって滅ぼされた。そしてユダヤ人ダニエルは捕囚(エグザイルという)の民の一人としてバビロニアに連行されるが、その賢明さによってネブカドネザルに重用されたとされる。またダニエル書がかかれたBC538年は、ペルシャの王クロスがバビロニアに入った頃である。首都バビロンには120万人が住み、29年分の食糧を蓄えていたという。これはギリシャの歴史家・ヘロドトスが自身の歴史書(エリミア)に書いている。

 ペルシャはゾロアスター教といって光と闇の二神教である。光の部分がインドを経由して日本の毘盧遮那仏に発展した。ダニエル書にかかれているのは人類の最後、世界政府によって世界の10ブロックが統治されるが、反キリスト集団が出現し3ブロックが潰され、やがて世界の人口は25%にまで減少し患難時代を迎えるという。ダニエルは旧約聖書をもってクロスに会い、150年前の予言を紹介したと思われる。

 

ペルセポリス宮殿 By ルーブル美術館Ⅰ

 BC539年、栄華を誇ったバビロンもペルシャ王・キュロス2世により征服された。アケメネス朝ペルシャの始まりである。キュロス2世を受け継いだダレイオス大王は、全オリエント諸国の資材・技術を結集してスーサに宮殿を造った。 BC514年以降。ダレイオス大王はイランのペルセポリスに宮殿を造営、クセルクセス1世が完成させた。マケドニアのアレキサンダー大王が現れるBC330年頃迄続いたが、その後2000年間は埋もれた。

アパダーナの大階段

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ユダヤ-24 ロシアの世界戦略-2-トルコ介入

2019年02月11日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

 トルコは第一次世界大戦以前はオスマン帝国として繁栄していた。ヨーロッパ、ロシア、アジア、中東、アフリカなどの交通の要所である。トルコと言えば風光明媚なイスタンブール、ボスポラス海峡を挟んでヨーロッパとアジアにまたがるトルコの大都市である。イスタンブールの旧市街には、かつてこの地を支配した数々の帝国の文化的影響が反映されている。ロシアにとっても黒海から地中海に抜けるイスタンブール、ボスポラス海峡は交通の要所である。なぜなら他の港は冬季は凍って使えないのである。

 ところで、中央アジアに位置するアフガニスタン、ウズベキスタン、カザフスタン、トルクメニスタンはトルコの言葉で国という意味がある。これらの東にあるのは中国ウイグル地区であるが、かつてのオスマン帝国はこれらの地域を含めることはなかったが、15世紀には東ローマ帝国を滅ぼして、イスタンブールを首都とする大帝国を築いた。そしてトルコの共和国の国家元首たる大統領・エイドリアンはオスマン帝国の復活を望んでいるのである。こうした状況の中でトルコは、NATOの中枢基地であったインジルリク空軍基地をロシアに貸すと宣言した。アメリカがインジルリク空軍基地を撤退するといった直後のことである。 

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ユダヤ-23 ロシアの世界戦略-1-シリア介入

2019年02月11日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

 ウラジーミル・プーチンは2000年に大統領に就任し、僅か8年で国民の給料は10倍、GDPは6倍としたから今や支持率は9割を超える。ウラジーミル・プーチンは国民の支持を得ながらロシアの強大化を考えている。たとえば、ロシアによるウクライナ侵略、ロシアによる占領がそれである。また、クリミア自治共和国では、2014年2月下旬-3月にかけて行われたロシアによる軍事干渉が行われ、ロシアへの編入が宣言された。しかしながら彼の独裁政治に批判する者も現れるのであるが、批判者は暗殺されるのである。

 プーチンによるシリア介入もロシアの強大化のひとつである。民主化運動・アラブの春が2011/3に起こると、40年間独裁体制を維持してきたシリアのアサド政権は崩れ始めた。ところで、2001/9/11の同時多発テロが発端になって、2003年に始まったイラク戦争ではアメリカはイラク大統領サダム・フセインを倒した。しかしフセインの残党はシリアに逃げ、それを匿ったのがアサド政権である。また、シリアのアルカイダ(イスラム主義のスンナ派ムスリムを主体としたテロ組織)をイラクに送り込んで、イラクに居る米軍を攻撃させたのもアサドである。ロシアはシリアに軍事介入しアサドを後押しし、シリアのラオデキアに空軍基地を造り、S400地対空ミサイルを配備した。これは制空権がアメリカからロシアに移ったともいえる。かくしてシリアでは50万人が亡くなり100万人が軍隊に包囲され1000万人が故郷を追われて難民となりトルコへ移動した。

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