大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

柳本飛行場跡

2008年08月07日 | 天理市
8月に入ると、新聞やテレビで戦争に関するニュースが多くなる。
昨日は広島に原子爆弾が投下された日だった。
太平洋戦争の終戦から63年経過したのだが、天理市柳本の長閑な田園風景の中にも、まだ“戦争”が残っていると聞き、訪ねてみることにした。
この水田に63年ほど前に急遽造られたのは“柳本飛行場”。
“柳本飛行場”の正式名称は「大和海軍航 空隊大和基地」という。
太平洋戦争時の1942年の夏くらいから測量が始められ,1943年に整地,1944年9月15日から建設が始まった。飛行場の建設にあたっては,地元の人々をはじめ,多くの人がかかわり、その中には強制連行されて就労した人,日本で生活していて集められた人など3000人に及ぶ朝鮮の人々の 存在(強制連行・従軍慰安婦も含む)があったようだ。
大和海軍航空隊の開隊年月日は1945年2月11日で、その10日前の2月1日に、鳥取県の第二美保航空隊から赤とんぼ(九三式中間練習機)54機と予備機若干が飛来し開隊したものである。そして、約6か月で8月15日(終戦)を迎えるのであるが、終戦時には、人員1700名、航空機としてゼロ戦49機、練習機71機、爆弾大小合わせて約1500発、等が配置されていた。
 当時,周辺の山にはトンネルが数多く掘られており、そのトンネルを「御座所」や大本営にしようとしていたようだ。終戦の直 前,ここがこのような状況になったのは,海軍が“柳本飛行場”とその周辺を本土決戦時の重要な拠点とする計画を立てて実行していたからと言われている。


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