浅間の麓から

張替本舗 金沢屋浅間店の張替日誌

『地震国、日本』

2011年01月17日 18時54分43秒 | 日記

 16年前の1月17日早朝、M7.3の阪神淡路大震災により、兵庫県を中心に甚大な被害を受けました。あの未曾有の大震災から、既に16年の歳月が経ってしまいました。震災当時に生まれた子供は今年16歳。復興を遂げた神戸の街に、新たな芽が巣立つ様皆さんで頑張って欲しいと願っています。実は震災のあった日、私の上司も単身神戸で被害に遭い、瓦礫を掻き分けてけが人の救護にあたられていた旨、3日後に連絡がありました。当時は電話回線もパンク、特に現地との情報通信確保が出来ず、連日安否情報に奔走していた記憶がございます。恐らく、関係者の皆さんも同様の想いであったと考察いたします。

『地震国、日本』、日々日本のどこかで地震が発生しています。日本国に住んでいる以上、これは宿命かと。また、最近エネルギーの強い有感地震が各地で頻発していますので、自分なりに大変気になっております。昔々若かりし頃の話ですが、1982年3月21日ニセコのスキー場に向かってる途中、浦河沖地震というM7.1のとんでもなく大きな地震に遭った事がありました。当時の千歳空港からJR千歳空港駅に通じる連絡橋を歩いてる時でした。いきなり下から「ドスン」と突き上げたかと思いきや、今度は連絡橋が波をうってるではないですか。
とても立ってはいられず、思わずしゃがみこんだ後は、歩兵隊の如く這って駅改札まで辿りつく始末。キオスクの売店にあった商品は、ご想像の通りです。幸い、当地震での死者は出なかったのですが、各地に建物を中心に被害が報告されました。自分はといえば、JRは動かず、果たしてニセコまで到着するのか...と。結局のところ札幌まで何とかタクシーで行き、そこからは間引きされた函館本線を乗り継いで乗り継いで、何とかニセコのペンションまで到着。今から30年近くも前の事、身をもって危険を感じた事は、今でも脳裏へ鮮明に残っているものだと改めて感じています。自分が真っ先に感じたことはといえば、「生きていた」と。今でも、あの連絡橋が共振して崩壊したら。と思うだけでゾッとします。

想像してみてください。日本の様に、時間が秒単位で刻み込まれた交通網は、ひとたび地震が起きれば一網打尽ですね。都市部においては、やたらと高層の建物ばかり。免振構造といっても、もし高層の建物が極度に共振したら...。自分は大丈夫と思ってる方、本当に大地震が起きたら瞬時に対応出来ますか。
自分の前で倒れていく方々を目の当たりにした時、あなたならどうしますか。
全てに言える事は、「絶対に安全」という文字は無いんだ。と認識することが一番の安全対策ではないでしょうか。

阪神淡路大震災で犠牲になられました6434名様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

http://weathernews.jp/quake/