|・) 「大本教主の タイマン勝負、
大本教本来の 闘魂を供養する時間が
またまた やって来たのであります。」
|・) 「大本本部と 大本信徒連合会が
これより リング上にて放つ 肉体の衝突音こそが
大本教における 音霊となって
天地の神霊に捧げられるのか」
|・) 「さあ 本日もまた
不完全燃焼のままで 決着のつかない、
直美と聖子の 四代教主決定マッチが
間もなく 繰り広げられようとしているのであります。」
|・) 「本日の 一本勝負、
実況アナウンサーは わたくし チラリズム梅子、
解説は 肉体の現代文講師こと、
出口ヒロシで お送り致します。」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/81/69d32af02a2b39637c7685452b976a64.jpg)
|・) 「ところで 最近の噂によりますと
『ヒロシが 瑞霊(ずいれい)の軍隊である
愛善苑より脱落した』という事ですが、
実際は いかがなんでしょう。」
(出 口 汪)
( `m´) 「…別に 愛善苑を辞めたとか
そういうわけではないんです。
ただ 私も自分なりに
大本の色々な可能性や方向性を
ずっと模索しているわけで」
|・) 「なるほど。
しかし 今回の件ですが、
愛善苑の外に 何を求めていらっしゃるんでしょう。
やはり 茶道でありましょうか。」
(出 口 汪)
( `m´) 「…茶道は 良いと思いますね。
ただ 私は これまで
茶道に関しては あまり体験がないんですけれども」
|・) 「しかし
王仁三郎の 化け物遺伝子が発動しますと、
抹茶を敵の顔面に 噴き出して 気絶させる事が出来るので、
戦前に 当局より 大本教団が危険視されたのは、
この 『抹茶噴き出しシンドローム』に因ると 言われていますが」
(出 口 汪)
( `m´) 「…抹茶の噴き出しは
直日の 必殺技でして、
私のような 愛善苑の 八重野の子孫に出来るかは
ちょっと分かりませんけれども、
おや お茶が入りましたか」
(出 口 汪)
( `m´)つ( 抹茶 )
|・) 「それでは
両選手の入場であります。
まずは 大本本部サイド、
出口聖子(せいこ)ーーーーーーー!」
(出口聖子)
ζ~( `m´)~ζ
聖子! 聖子!
まぶしい聖子
\ 恋する乙女 かわいい聖子!/
( `m´)( `m´)( `m´)( `m´)
|・) 「大本教の闘うドキュメンタリー
聖子(せいこ)ちゃんが 入場して参りました。
今日は どのような戦い模様を見せてくれるのか。」
|・) 「続いて 大本信徒連合会コーナー
御本尊
出口直美ーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
(出口直美)
ζ~( `m´)~ζ
\ ♪ 神が表に現われて 善と悪とを 立別ける /
( `m´)( `m´)( `m´)( `m´)( `m´)
|・) 「大本基本宣伝歌、
その哀切のメロディーに乗せて
出口直美が 入って参りました。
リング上では 出口家の女レスラーにしか分からない
闘いの波長が 交錯しているようであります。」
|・) 「姉妹が今
対角線上に 並びました。
その互いの背中からは また
どことなく 哀愁も漂っているようであります。
闘魂を むき出しにしている顔面とは 裏腹に
姉妹で闘わされる 己の運命に 涙しているのか。
さあ ゴングが鳴った!!」
(出口直美)
ζ~( `m´)~ζつ
(出口聖子)
ζ~( `m´)~ζ!
|・) 「おっと 直美
聖子(せいこ)ちゃんの 脳天を目がけて
脳天杭打ちーーーーーーーー!
大本本部の脳天を このようにして
打ち砕こうとしているのか。」
(出 口 汪)
( `m´)========================3 ブーーーーーーーーーーーッ!!
( 茶 )
(出 口 汪) (出口直美)
( `m´) ======茶=====3ζ~(`m´ )~ζ
(出口直美)
ζ~( `m´)~ζつ…
~~~~~~~~~~~~~~~~
茶
|・) 「おーーーーーーーーーーっと!
ヒロシの 論理エンジンが 火を噴いたか!
それとも 王仁三郎の 化け物遺伝子が 発動したのか?!
大本信徒連合会に 抹茶を浴びせかけ、
御本尊が気絶している。」
(出 口 汪)
( `m´)========================3 ブーーーーーーーーーーーッ!!
( 茶 )
(出 口 汪) (出口聖子)
( `m´) ======茶=====3ζ~(`m´ )~ζ
(出口聖子)
ζ~( `m´)~ζつ…
~~~~~~~~~~~~~~~~
茶
|・) 「大本教は 世界の雛型、
大本教に起こった事は
やがて 世界に現象化するとされておりまして」
|・) 「試合が
ヒロシの口から 噴き出された抹茶に流れた事で、
これは 世界の清めの暗示か
それとも 世界が滅びさる予兆なのか、
わたくしの心中に
不安と安堵が 入り混じって参りましたが」
(出 口 汪)
( `m´) 「…しかし
変性女子が
あかねと くっついているのが
どうも 気に入らんなあ」
|・)
|・) 「おっと
兄ヒロシが 可愛い妹 あかねに対して
妙な 敵意を抱いているようであります。
愛善苑の未来は 一体どうなってしまうのか、
それでは
殺気立つ 会場より失礼いたします。
皆さん 御機嫌よう!」
|ミ サッ
気にしない・・・気にする必要性もないのさ・・多分
己の人生 みんな如何生きようが それで
善いんじゃないのかな・・・・好きなようにね
後悔なんて必要ないし・・・今生きてる生かされて
いる それで十分なのかも どんなに長くても百年
内外の生老病死 生まれた限り 最後は涅槃さ・・
全員公平なのだし悔やむこともないさ・・・・
生きている 今を生きていることだけで素晴らしい
ことだと思うね・・・悪戦苦闘 悲喜交交 愛別離苦
一喜一憂 ・・・・・ で 最終的には 泡沫あぶく
多分 後悔なんて死語さ・・・・大切なのは 今
その瞬間 呼吸して 生きている生かされてという
紛れもない事実・・・・・・・・・・・・日々を感謝
勿論・・・・白書さんにも・・・・・陽は上る・・ルルル
詩には「答えはこれである」というようなものは無いんです。詩は散文とは違って、論理で組み立てられているわけではありません。いろんな意味が重層していて、捉え方によってはすごく「曖昧」なものだし、割り切れないものなんです。人によって受け取り方も違うものなんですよね。
つまり、詩の「意味」っていうのはあまり重要じゃないんです。詩を言葉の意味だけで読もうとすると、つまらないと思いますよ。
僕も、詩を作るときには「こういう意図で書こう」という考えは持っていません。強いて言えば、その辺の道端に咲いている草花みたいな詩を書きたいといつも思っています。
草花って、そこに存在しているだけですよね。でも、見ると美しかったり、可愛かったりして、見ていると感動することがある。それがどういう感動かって簡単には言葉にできないですよね。
詩も、そんな風になるのが理想なんです。言葉にはできないけどとてもよかった、と言われる詩を書きたい。でもなかなか、そうはならないですね……。どうしても言葉の「意味」が邪魔をしてしまうんです。
詩は「くだらないもの」なんですよ
詩には「意味」があるはずだとどこか頭の片隅で思ってきた僕たちは、少し驚いてしまう。僕らは学校で「この詩の意味を答えなさい」という授業を受けてきました。僕らはおずおずと、そう告げる。
谷川:
詩を学校で教えるのはとても難しいと思いますよ。
学校では、三択で「1,2,3 のうち、この詩の意味に近いのはどれでしょうか」みたいな教え方をするでしょう? でも、詩は3つの答えの中でどれが当てはまるかなんて、わかんないのが普通なんです。
詩に意味を求めるから、詩がつまらないものだと思われちゃう。それに、教科書に載っているとなにか「良いこと」が書いてあるんじゃないかと思われてしまって……。それで詩人は損しているんです。
そういえば昔、小学校で朗読会をやったことがあるんですが、「うんこ」とか「おなら」みたいな詩ばっかりを朗読したんですね。すると、最後に小学3年生の子が「質問です」って手を挙げて、「谷川さんはどうしてそんなにくだらない詩ばっかり書くんですか」って聞いてきたんです。これはすごく面白くて、さすがに咄嗟には答えられなかったですね。
「詩ってくだらないんだよ〜」と答えましたけど、この子のように「詩はなにか仰々しいことが書いてあるものだ」と思い込んでいる人は多いんですよね。
詩は、くだらないものなんですよ。詩からは、学ぶものはほとんど無いんです。好きなものは好きっていうのと同じで、要はその詩を好きになればいいんですよ。わからなかったら、いろいろ考えたり、人に聞いたりすればいい。
詩は音楽に近いものです。音楽は、言葉がなくても「この曲が好き」と、なんだか心を揺さぶられたりするでしょう。そんな風に詩も、楽しんで、味わってもらえたらいいですね。
言葉には意味だけではなく、音があるし、色もある
詩にはなにか重要な意味があって、それを読み取るべきものだ……そう考えていた僕らの前提が覆る。詩の持つ音楽性について、谷川さんは続けてこう語る。
谷川:
もともと、詩は「声」だったわけです。文字がない時代から、詩はあったわけですから。誰かが、繰り返し詩を読む。すると子どもたちは、その声や音で詩を覚えていったわけですよね。言葉が持っている音楽性みたいなものがあったと思うんです。
今は活字で見る機会が増えて、つい言葉の持っている音を忘れがちなんですが、実際には、言葉には意味だけではなく、音があるし、色もあるし、なにかイメージもあるはずなんです。
僕も、「音」が楽しい詩を何編も作りました。昔、「かっぱ」という詩を書いたことがあるんです。「かっぱ かっぱらった かっぱ らっぱ かっぱらった……」と続くんですが、あれは日本だけでなく海外でも楽しんでもらえるんですよ。
海外で朗読する場合には、「かっぱかっぱらった」の内容をなんとなく拙い英語で説明してから読むんです。そうすると、日本語の意味はわからないはずなのに、結構うけるんですよね。
一度、中国語の翻訳者の方が「かっぱかっぱらった」を訳す! と決めて、3年かけて翻訳してくれたんです。そして彼と一緒に、僕が日本語で読んで、彼が中国語で読みました。そうしたら、やっぱり日本語で読むほうがうけていましたね。
中国語の方はね、意味はちゃんと通じてるんだけど……。でもあの、「かっぱかっぱらった」みたいな楽しいリズムにはならないから。
意味が正しく通じることよりも、音を楽しんでもらえるほうがいい詩もあるんです。詩を読むときには、自分で声に出して読んで、その音も一緒に楽しんで欲しいです。
正直 いまだ詩の意味性わからずに
図書館通い・・・・・・・・・・・・・・
自問自答して 己とは何か・・・
なぜ己が 男なのか女なのか?
その意味性すらも解らずに日々を生き
生かされてのいま・・・有限なる寿命
喜怒哀楽 日々生きるために食事をとり
家族のために働いて 行き着く先は涅槃
生老病死・・・・・・・・・解せず????? 華厳の滝
イタズキ
今更図書館に通って詩のコーナーに立ち寄り
数編の詩を書き写している・・・されど詩からの返答は
まるでなし~と鳴門・・・・一方通行
図書館詩のコーナーに行き・・数篇詩を書き写した
ところでつまりは日暮れて道遙か遠く・・・・・・・・
むかしむかし十代前半の頃 友の影響により
ビートルズの存在を知る・・・詩を噛み締めるでもなく
リズムと響きに魅せられて・・・・さすが今は彼らの
音楽も殆ど聴くこともなくしての~今
絵の才能すらも持ち合わせて無くて・・多分夭折した
実父が独り占めしたでは・・・なんて人聴きき悪し晩秋
のコルゲンコウワ
実父が絵描きだったと知るのは最近のこと
数年前存在を知った実姉もインセンシティブにて
今は疎遠・・・・・・・・・・・・・・・淋しくもなし
人生棺を覆うまでに シカとした事が解り納得
抱擁することがデキルだろうか・・・憎しみ悲しみ
恨みなど忘却 諦観しているけれど・・・・さて
ありがたや 悲しみすらも 稀薄・・・枯れススキ
|・)…
王仁三郎が 芸術を推進したという事ではあるけれど
茶道というのは 調べてみると
決まったセレモニーの手順や言葉があって、
特に 個人の豊かな創造性を発揮するようものではないみたいだし
それがどうやって 霊性と関連付けられるのか
もみには よく分からないばい。
逆に 王仁三郎の
|・)…
++++++++++
高僧アシン・ウィラトゥ師、
ロヒンギャ問題で国際社会を非難 ミャンマー
同師はさらに、「ミャンマーにイスラム教を広めたいがために、
ベンガリ(ロヒンギャの蔑称)をロヒンギャと呼ぶなど、
世界にうそをつくな」
「ありもしない宗教集団をでっち上げて、
われわれの国を破壊するな」と主張した。
一理あるとは思う
実際、イギリスがバングラデシュから
ベンガル人をミャンマーに連れてきたんだからな
欧米がやってることは、アフリカにおける民族対立、
部族対立を思い出させるね
|・)…
+++++++++
60代女性にストーカー容疑でアルバイト男を逮捕
女は婆さんになってもストーカー被害にあうのかよ
ホント大変だわ
|・)…
平成玄学界は
斯界の力学によって 権威付けられているので
いずれも 表面的には
敷居が高いように見えるのだけど
中身を1つずつ分析してゆくと
偽物ばっかり、
高麗の 偽の新興宗教ばかりの状態を
笑えるような状態ではないばい。