|・)九州の玄学界のアレクサンドリア木星王、どうもありがとうばい。
|・) 生霊(せいれい)はつまり 一霊四魂の 一霊に相当するみたい。
|・) 宮地神仙道のHPにも 掲載させて頂いたばい。
以下 コピペばい。
|・)ノhttp://gnosis317.web.fc2.com/sei2.html
玄道至極の密訣 生霊鎭祭の秘義
註 生霊はセイレイと訓む。俗にイキリョウといふ意に非ず。
生霊とは造化天神より賜はりたる本魂(天之御中主の分霊)と体魂の合したるものにして、
此の生霊に魄霊を加へて通常 我が霊魂を謂ふ。
即ち生霊は我が霊魂中より陰神系の魄霊を除きたる陽神系の神霊にして、
一に神仙道を霊魂凝結の道と称するも、この陽神たる生霊の凝結を意味し、
凡そ幽冥に応じて霊感し、神仙に通じ、分魂して神境に至り、
遂に生を神仙界に転ずる等みな此の生霊なり。
生霊鎭祭とは我れ自ら我が生霊を鎭祭し、以て陽魂の凝結と増大、
魂徳霊感の発揚、霊胎の長養を全うするところの玄法でありまして、
現に神仙界に於ては人間界出身の神仙(肉転の仙と謂ふ)は、
此の法によりて年に六度は自らの生霊鎭祭を行うのでありまして、
既に仙階を得て、神仙の境に進みたる真人に於てすら己を持すること斯くの如くであります。
(尤も其の施行法に於いては神仙等の行ひ給ふと、
現界道士の行ふところの法とは若干の異るところでありますが、
之はその位地と境界の相違によるものであります。)
一、凡そ神仙霊感の法を修するに二面あり。
其の一つは専ら修練の功を積みて遂に玄妙の域に至ること之を譬ふるに
恰かも武道の鍛練によりて技神に入る至妙の武徳を具ふるが如くでありますが、
其の二は祭祀の道によるもので、此祭祀法は直下に神界の実相に応じ幽顕貫通の実証に即応するもので、
斯道に最も祭祀を重んずる所以も実に茲に存するのであります。
|・)ノhttp://gnosis317.web.fc2.com/sei3.html
相傳録別巻出づ 神仙卜歩傳を講傳
もと此の神仙卜歩(ボクホ)は
先師が神仙真録及び神仙感想編に説かれたる所伝にして
夙に道士会創々の頃に之を出すべきのところ、思う由ありて久しく之を伏せ来たれり。
そは斎主の体験に徴して、
其法の余りにも容易なるが為に修者其の霊感に慢じて
岐道に外れんことを恐れたると、一応道統上の神祇敬拝の薫習を経たる後に於て
之を伝ふるが結果的に幾段階の飛躍的成果を得べしと深慮せるが故なり。
すなわち神仙道道士会開闢以来すでに十数星霜を経、此間上木の刊行物に於て、
或は講伝書に於て、道士深甚の道念を涵養し、
且つ道統上の神祇師仙への敬拝を怠らず、霊性薫習の成果は今や此伝を伝ふるも大過なかるべく、
俗法と仙伝玄法との相似て而も非なるを不説のうちに感悟し得べく、
また此の卜歩伝によりて魂府の身形を卜し、
忽ち脱魂を得て異次元界に遊行するとても
霊魂の帰着を誤るが如きことあらざるべきを確信するに至れるが故なり。
○抑も斎主が若年の砌、始めて脱魂に成功したるは、
実に此の卜歩伝と同様の玄理に本づく感想法によりたるものにして、
後に水位先生の神仙真録及び神仙感想編を得るに及び、
其の偶然の一致に驚けり。使魂遊行爾来星霜を閲すること三十余年、いよいよ其伝の妙法なるに感ぜり。
而も従来感想法に妙ならざるの士に対し、
自らの霊的体験を通じて本伝を伝へんとして尚ほ伝へ得ざりし理由は概ね前述せるが如し。