ZAMACのフォト日誌

見て聞いた 四季の詩  
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二つの写真展

2014-06-01 20:49:26 | うんちく・小ネタ

 この二日間は暑い日だったが、ZAMACにとっては写真三昧の日でもあった。見聞きして刺激を受けた。知識として今後に生きればいいのだが、備忘録のタグのつもりで「せんだいメディアテーク」の5月31日分について書いておく。

 

5月30日() 

★ 仙台文学館 ・・・・・・

 ・文学碑など広い文学館敷地内の撮影。

 ・演奏会写真撮影の予定打合せ。「石川啄木の世界」鑑賞と企画舞台裏の話を聞く。

★ せんだいメディアテーク ・・・・・・

 ・第5回「日本風景写真協会選抜展」鑑賞。

Img_2004ss

「石川啄木の世界」展の入場券と、同展の一環として行われる新井満氏のトークショーちらし。(岩手山の写真は日ごろお教えいただいているS.R先生撮影)

5月31日()

せんだいメディアテーク ・・・・・・

・第36回「写真新世紀」展を鑑賞。

・第5回「日本風景写真協会選抜展」のギャラリートークに参加。

Img_2002s

「写真新世紀」展図録と「日本風景写真協会選抜展」の作品目録。

    ***** 以下どの会場も撮影禁止のため写真はない *****

 

第36回「写真新世紀」展<o:p></o:p>

 

「写真新世紀」はキヤノンの企業貢献活動の一つとして実施している公募方式の写真展だ。といってもそのコンセプトはつぎの通りで普通の公募展ではない。

       「写真新世紀」のコンセプト・概要
 

写真で何ができるだろう? 写真でしかできないことはなんだろう?

「『写真新世紀』は、写真表現の可能性に挑戦する、新人写真家の発掘・育成・支援を目的としたキヤノンの文化支援プロジェクトとして1991年にスタートしました。作品のサイズや形式、年齢、国籍などを問わない公募形式のコンテストを実施し、写真の持っている可能性を引き出す創作活動を奨励しています。また、受賞作品展の開催や受賞作品集の制作、ウェブサイトでの情報発信など受賞者の育成・支援活動を総合的に行っています。」   (キヤノンの記事より抜粋)

「写真新世紀」のHP http://web.canon.jp/scsa/newcosmos/index.html<o:p></o:p>

毎年、写真新世紀を鑑賞しているがZAMACには理解できない作品が大半だ。しかし、中にはガツッンときて、「スゴイ!」「この発想!」「この技術!」… 「俺にはまったくできないなぁ」という作品がある。

今年の展示会場も学生などの若年者や壮年者でにぎわっていた。その会場は広く展示の仕方もきわめて自由なものだ。作品は「組み写真」で握りこぶし大から畳一枚分もあろうかというデカイものまで。額装は主にパネル張りだが作者の自由だ。
 

作品の中身も「体を張った飽くなき追求」「継続と忍耐力」に裏打ちされた重厚なものばかり。その作者の思い入れが強烈なだけに、理解に苦しむことになるのか、どうも自分に理解力(脳みそが固い)がないのか。たぶん両方だろうと思う。…きっと。 

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過去の「写真新世紀」を含めて身近な宮城県関係の入賞者では、つぎの作品などは頭から離れない。

・2000年グランプリの「海からの贈り物(中村ハルコ)」は妊婦を通して「生れる」を扱ったきれいな大作だった。仙台在住で海外取材も重ねたが、すい臓ガンで43歳の夭折だった。<o:p></o:p>

 そして

・今回展の2013年優秀賞の「Escape(安藤すみれ)」は思春期のさまよう悩みを深く掘り下げた、インクジェットプリンターによる作品だった。これなどは10代ならではの撮り方だ。作者は県立柴田農林高等学校写真部の部長(現在日大芸術学部在籍)の時の応募だ。

写真展を見て思うことは『着眼』『情熱』の秀でた作家が『自由闊達』な制作活動によって生まれる作品ということだ。とにかく個性的で難しい。審査員の選評を読んでも何か理屈っぽい感じがする。<o:p></o:p>

 

第5回「日本風景写真協会選抜展」のギャラリートーク

 

本展はせんだいメディアテークで、写真新世紀と階違いの階で同時開催中だった。風景写真集団としては大組織の日本風景写真協会会員選抜(入選作だけ)仙台展だ。もちろん北海道から九州までの全国の作者による101点の展示だ。すべて作品は全紙で白の額装に統一されて、整然とした展示だ。比較的高齢の入場者を多く見かけた。

 

ZAMACが写真新世紀を観るには構えてしまうが、こちらの会場は楽しむ中にも何か等身大の勉強の意欲を感じる。

 

2日もつづけて会場を訪れたのは写友が会場当番をしていたことと、協会会長落井俊一氏が京都より駆けつけて行う「ギャラリートーク」をぜひ聞きたくてのこと。そのギャラリートークについて書きたい。

 

さすが作品は選抜されただけにレベルが高く見えた。広角での撮影は他の作品展でもよく見かけるものがあったし、テーマも山、滝、流水、雲、雪、森林などで、シチュエーションも朝・夕が多い。

真似をしてでも近づきたいものだと、ため息が出た。

その全作品を30人余りの聴講者を前に、講師の落井会長が一点一点に詳しい講評を加えた。 

また構図や露出、プリントといった技術的なことについては、これまた幅と奥が深く落井会長のお話は、随所に共鳴し納得し「なるほど、なるほど…」と感心しながら聞いた。また、自分が感じたことと講師の説明が同じで霧が晴れ、わくわくして楽しみが倍加した。
 

例えばこんな作品があった。 

「講師 : 画面右側に黒い部分が多いので切ってもいいのではないか。滝の落ち口をもっと見せて安定を狙ってはどうか」と。ZAMACは手指を伸ばして覆ってみる。なるほど締まった感じに変わるのだ。 

こんな感じで展示会場を講師に従ってぞろぞろと着いて回った。

 

全作品の講評が終わり、質疑応答があった。 

そのほとんどがフィルム対デジタルを軸にした話になった。ここからはどうも頂けなかった。 

質問者 : 「現在はポジを使っています。昔撮ったものはネガでしたし、これからもネガで撮るというのはどんなものでしょうか?」 

講師 : 「ネガは色がわかりません。プリント業者によって良かれと想定して処理しますので、作者の意図どおりにはゆきません。そういう意味ではネガとデジは同じようなものです。」 

「今はポジのプリントはスキャンしてプリントしますが、その場合スキャンボケが発生します。やはりデジ処理は基準がないようなものでネガに似ています。」とも。
間違ってはいないと思うが、話の基軸はフィルムにある。

 

これ以外にも講評の途中で「この作品はデジですね。どうしてもデジは手前と遠景のピンが甘くなります。」こんな調子の話がたびたび出てきます。ZAMACには理解ができない。
どうも言っていることは、デジカメでは手持ちで気軽に撮るので被写界深度が浅くなる。しっかり三脚を使え、ということらしい。そのように説明すればいいのにと。とZAMACは思う。

 

デジのデータはCDに落としも必ずしも長持ちしない…とか、書けばきりがないほどデジのデメリットが出てきた。それではフィルムはどうなの?などと聞いている当方はひねくれてくるのだ。

 

私の後ろの人などは盛んにフィルムのフォルティアは無いしベルビアとプロビアの使い分はなんて私語が聞こえた。

 

すでにデジをやっている人には、デジの長所や考え方は先刻承知している。今回の質疑応答の中身だけは共感できなかった。5、6年以上も前を彷彿させられると共にこの人たちは今後どうするつもりだろうか。

もうすぐフィルムは事実上なくなりますよと。自分だけの世界にこもらず、一日も早く広大に広がる写真新世紀のように、前を向いて取り組んでもらいたいものだ。

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同じ日に二つの写真展を観た。そのイメージは

  ・「写真新世紀」  大空に飛び出し世界を舞台にする飛行機時代。

  ・「日本風景写真協会選抜展」 陸上という限られた範囲で走る自動車社会。

というくらい違う。しかし、これは良し悪しでもない。観た者がどう受け止めて生かすかということなんだろう。(現首相のようだが)

 

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