ちょっと過去記事をさかのぼってみたんだが。
3月13日の記事
現実はさらにその斜め下をいっていたというオチ。
いや、まだオチには程遠いか。
チェルノブイリの事故の後、
自宅から10kmちょっとのところに似たような施設があるのが気がかりで、
「Newton」の原発特集号を買って読んだ学生時代。
安全神話を鵜呑みに出来なくて、
自分なりに理解して安心したかったのだろうけど、
記事の内容がワタシの知的レヴェルをはるかに凌駕していたので、
「沸騰水型=BWR」と「加圧水型=PWR」の違いがなんとなく判った程度だった。
その程度の人間が予想したところで、真実に近づけるはずもないのだが、
それでも何も知らないままでいるよりは良かったと思う。
しかしその後の推察でその可能性に気がついた「再臨界」と、
「緩慢な原子爆弾化」だけは現実のものになって欲しくなかった。
これで日本は太平洋戦争の敗北直後に等しいレヴェルまで落ちた。
いや、むしろ大地震と富士山噴火による大飢饉にみまわれた、
江戸時代末期、徳川幕藩体制末期に近い状態といったほうがいかも。
今度こそアメリカの植民地化来た?
どちらにしろ、目先の平和にどっぷりと甘んじて、
ひたひたと押し寄せている危機に気がつかず、
いや、つとめて無視しようとしていた日本国民にふさわしい結末かも。
自分の周囲さえ安全で快適でありさえずればいい。
目障りな廃棄物は違法に投棄して、見えなくすればいい。
誰かが片付けてくれる場所は散らかしたもの勝ち。
見つからない限りはやったもの勝ち。
でも自分だけは無事で当然。
つかの間の、半世紀ほどの繁栄だったな。
しかも沖縄の犠牲の上に成り立った、米国の軍事力頼みの平和。
安寧を盲信し、利権にしがみつき、快適さに溺れた結果、
国土そのものが汚染され、国そのものが沈没するとはなんたる皮肉。
いや、むしろ当然の結果か。
まあまた1から、いやマイナスからやり直すだけなんですけどね。
いつの世も庶民は「生活」するのみ。
食べるものを食べて、出来ることをして、次の世代に未来をゆだねること。
ただそれだけ。