空も大地もうごめき、ウゴメク。

この世に生まれたからには、精一杯生きてみよう

振り返り7

2006年12月26日 | 少年野球
    水泳が得意でスキーもたしなめ、運動はお手の物。喘息持ちであるが長距離、持久力もあって瞬発力も。うちの切り込み隊長(トップバッター)と二人は良きライバルだった。時折喘息が止まらない時もあったが、運動と野球の練習で少しづつその病気も消えつつあった。

   いつもニコニコしていているから喘息の気配など見られなかったが、家庭では幾分悩まされていたらしい。練習中に一度だけ呼吸がきつくなったこともあった。しかし、親は冷静だった。周りの方が気が気でなかった。彼のニコニコ笑顔は実に可愛い。彼の似顔絵を描こうと思えば目を三日月に書けば完成。彼の顔を思い出すときは必ずこの笑顔(三日月)しか思い出ださないから、それほどイメージ的に彼は笑顔なのだ。

  だが、内面的に考え込む癖があった。最初の頃は、「だって」と言い訳するような子だった。おそらく思い込みで野球をしていたのと、注意力が足りなかったことも挙げられようか。前半戦監督がサインを出すと必ずといっていいほどサインを見間違っていた。サイン違いは誰でもあること。しかし、そのサインが見えなかったとか、早過ぎて分からなかった時などはタイムを取って、聞くのが一般的。しかし、彼はそう信じ込んでいるから、コーチにも聞くことはしなかった。それだけに修正するのは時間かかると思っていた。が、後半はすっかりサイン違いも少なくなった。成長の証だろう。慣れである。サイン習得も技術のうち。

  5年生の頃、堤防下で私と次男がキャッチボールをしていた時、最初に彼がそのキャッチボールに加わった。それから野球熱心な彼の父が仕事帰りにスクーターで駆けつけその練習に仲間入りし、ボールを投げる基本から教えた。5年生のBチームの時は彼はエースだった。手の甲を上に向け、ギリギリまで手を返さず、右足の横から頭の横から手が出るよう弧を描くようなスタイルを覚えさせた。しかし、一度自分のスタイルができてしまうと、修正するのに時間がかかる。最後まで修正するのはムリだったが、一つだけ修正できるとすれば、投球モーションを早くすることだった。セットから投げ下ろすまでの時間、私は最後までここにこだわった。

 運動能力は切り込み隊長に次ぐレベルの高いものを持っている。それだけにこれからが楽しみな選手である。特技は持久力だ。そういう面を伸ばせばスタミナも付き、マウンドに上がらせる選手を作るならば、うちのエース同様走りこみを重点的に。重い球を投げれる数少ない選手だけにまだまだ伸ばせる要素はたくさんある。