人生行路の旅,出会いと別れのソナタ

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★★ 【バルト旅だより (再編集)】 ★★ No.3

2005-09-26 | 2005_バルト 旅だより
(以下は,旅とIT等に関心のある友人たちにメール配信したものです.)

● 雨から曇り,夕刻は晴れていて雷が!
7月26日(火),こちらは朝から小雨模様だ.昨夜の深酒がたたって,起きたのは8時を過ぎていた.猛烈に腹が減り,朝食のため食堂へ直行.部屋へ戻ってからもパソコンなどをいじりながら午前中はゆっくりすることにした.この雨も,昼近くに出かける頃にはあがって曇り空となり,夕刻には太陽が顔を見せたが,どういうわけか雷の音でにぎやかになった.

● 午後は半日コースのテーマ観光へ!
昼前にイベント会場に着き,昼食の後,午後からのプログラムの一つ「市内テーマ観光」という半日コースに参加した.テーマとは,ソビエト支配体制時代の諸施設が保存されているところを巡るものである.
今日のリトアニアを見るとき,そのキーワードは,1991.01.13なのだ.テレビ塔を見学したのだが,なぜテレビ塔かというと,その日,ソ連体制下からの離脱を求める市民たちがいっせいに小高い丘の上にあるテレビ塔に集まり,そこへソ連が戦車を乗り入れて弾圧しようとして,多くの青年男女がキャタビラの下敷きになって死んだのである.寝そべる青年の足元をキャタビラがふみつけようとしたとき,市民たちは力を振り絞って素手でその戦車を押し返そうとした映像が残っていた.ほんの14年前の出来事である.ソ連崩壊の引き金ともなった事件として記憶に新しい.ビリニュスのテレビ塔
リトアニアのこの市民運動は,「歌いながらの革命(Singing Revolution)」といわれるが,たしかにキャタビラの下敷きになっている青年の顔は,歌っているように微笑んでいた.ちなみにこのテレビ塔,世界で5番目の高さだそうで,エレベータで昇った19階では回転レストランが営業していた.食事中のレストランに観光客を自由に招き入れるところが面白い.
1991.01.13(リトアニア)1991.01.13(リトアニア)
その後,ソ連の秘密警察(KGB)が使っていたという「虐殺牢獄」も見学した.今でも掘れば人骨や遺留品がでてくるらしく,掘り起こしては展示して,丁寧に保存しているようだ.いま,リトアニアは悲願だったEU加盟を果たし,自信に満ちて落ち着いた生活を送っているが,その出発点では多くの犠牲が伴った.それを忘れまいとしている民族の姿を垣間見た.思わず目頭が熱くなっていた.
独立運動犠牲者の慰霊碑(1)独立運動犠牲者の慰霊碑(2)

● 路上レストランでまじめな夕食をとる!
夕方からは晴れてきた.
ビリニュスの公園風景
当地は,気温は日本とさほど違わないようだが湿度が低いのでさわやかだ.そよ風に吹かれながら路上レストランで夕食をとることにした.昨日に懲りて,今日はまじめな夕食とした.ビール2杯(中ジョッキ)とビフテキに野菜をそえたもの,パンはでなかったが,ジャガイモがすごくうまかった.ホテルに持ち帰るためにミネラルウォーターを2本買い,しめて1400円ほどだった.食事中大きな雷鳴が鳴り響いた.屋外なので雨が心配だったが,空にはまだ太陽が輝いていた.道を行きかうリトアニア女性のへそだしルックを見ながらの夕食はたいへん趣きがあった.今日もまた,ぐっすりと眠れそうな気がする.
静かな観光街のたたずまいにぎやかな路上レストラン

(2005/07/26,現地時刻 23:15,ビリニュスにて,筆者)


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