● 北欧各国,駆け足旅の印象記と考察 (ノルウェー編)
ノルウェーという国名には,「北への道」という意味があるそうだ.なるほど,英語表記の国名 Norway の綴り字からもうなずける.ノルウェー語では Norge (ノルゲ),正式名称は Kongeriket Norge (ノルウェー王国)という.スカンジナビア半島の西部に位置する縦に細長い国で,西は大西洋に面し,東はロシア,フィンランド,スウェーデンの3国に接している.緯度は高く,北のほうは北極圏で,人もあまり住めない厳しい気候,せいぜい漁業などの営みで細々と暮らす貧しい国かと,以前は思っていた.とんでもない間違いであった.現在では,北欧諸国の中で最も景気のいい,つまり経済が好調な,高度の福祉国家,かつ先進工業国なのである.以下に,少しその経緯を復習しながら検証してみよう.なお,史実等に関する以下の記述は,その多くをノルウェー公式サイト(ノルウェー外務省所管)の日本語ページに負っている.
まずは基礎データの確認だが,面積は38万5,155平方キロと日本とほぼ同じ,総人口(2006年1月1日現在)は464万219人,首都は人口52万のオスロ,他に第二の都市として人口約24万のベルゲン,第三の都市として人口約15万のトロンンハイムなどが有名だ.政体はハラール5世(1991年即位)の下の立憲君主制,宗教はプロテスタント(福音ルーテル派),民族はノルウェー人とサーメ人(北部に住む先住民),言語はやはり北部ゲルマン系のノルド諸語に分類されるノルウェー語と北部サーメ人のサーメ語.ノルウェー語を聞いていると,ドイツ訛りの英語,あるいは英語訛りのドイツ語に聞こえてくる.デンマーク語やスウェーデン語との違いは,初めて聞く者にはまったくわからない.
★ 氷河期から近代までのノルウェー
ノルウェーに初めて人が住みついたのは,今から約1万年前のことといわれている.はじめ狩猟や漁業で生活していた人々は,やがて家畜を飼い,土地を耕して作物を作るようになった.初めて農地が作られたのは紀元前500年ごろ,この時代は武器や装飾品,道具を作るのに青銅が使われていたので「青銅器時代」と呼ばれる.それに続く「鉄器時代」は西暦1000年くらいまで続き,しだいに他の民族との交易もさかんになり,道具も進歩してきた.西暦800年ごろから1000年ごろまでは「ヴァイキング時代」と呼ばれ,ノルウェー史の中でもとくに活気にあふれた時代だ.ヴァイキングは長い航海もでき,スピードも出る独特のヴァイキング船を使って海外へ出かけ,海からの奇襲で物資を獲得することが多かったので,海外では恐ろしい略奪者というイメージが強い.
ルーン文字という昔の文字ができたのもヴァイキングの時代.また,レイフ・エリクソンというグリーンランドのヴァイキングは,コロンブスより500年も前に,北アメリカに到達した最初のヨーロッパ人とされている.ノルウェーが統一国家となったのは1030年ごろと考えられている.そして13世紀にはアイスランド,グリーンランド,フェロー諸島(大西洋上の島々),オークニー諸島(イギリス,スコットランドの北端)まで支配していた.1350年ごろ,多くの国々を襲った伝染病,黒死病によって,ノルウェーの人口は半分以下になってしまったといわれている.
1381年から1814年まで,ノルウェーはデンマークと連合を結び,デンマークの属領のようにみなされていた.しかしその間もノルウェー人としての民族意識を失わなかったので,1814年にデンマークとの連合が解消すると,すぐに独自の憲法を制定することができた.憲法記念日の5月17日は,ノルウェーの最も大切な祝日となっている.しかしこの年,ノルウェーは再び,今度はスウェーデンと連合を結ぶことになった.この連合は1905年に平和的に解消され,ノルウェーはデンマークのカール王子を国王に迎えた.彼はホーコン7世と名乗り,ノルウェーにとって525年ぶりの固有の国王となった.このときの経緯を,ノルウェー史は次のように伝えている.
★ 1905年以降のノルウェー
ノルウェーの将来の政治体制をどのようなものにすべきか,という問題では議論が白熱した.国民投票の結果,大多数が共和国よりも君主制を支持していることが分かり,1905年11月18日,ストーティング(国会)はデンマークのカール王子をノルウェーの国王として選任した.カール王子はイギリス国王エドワード7世の娘であるマウド(Maud)王女と結婚し,息子が一人いた.新しい王族一家は,11月25日にノルウェーに到着し,カール王子はホーコン7世を名乗り,ストーティングでノルウェー憲法を遵守することを宣誓した.
スウェーデンとの連合が解消されたとき,ノルウェーは経済成長期にあった.GDPは平均して年率4%ずつ上昇し,総じて55%上昇した.人口は急増し,雇用状況も改善した.これは産業革命第2期の結果であり,ノルウェーはこの時期,安価な水力発電と外国資本の投資を利用することができた.電気化学および電気冶金工業が発達し,新しい製品が市場に登場した.ノルスク・ハイドロのような大手企業が設立され,多くの新しい工業地域が出現した.この経済的な躍進は第1次世界大戦の勃発まで続いた.
スウェーデンとの連合を解消する前から,ノルウェーでは労働運動が始まっていた.初の労働組合は1872年に結成され,労働党が1887年に誕生した.普通選挙権は1898年に男性に,1913年には女性にも与えられた.労働党は1903年の選挙で4議席を獲得した.1912年には有権者の26%が労働党に投票し,23人の代表がストーティングに選出された.これにより労働党は国会で自由党に次ぐ第2の勢力となった.産業化の初期にはノルウェーの社会構造に大きな変化はなかった.1910年になっても,労働力の42%が農業と林業に従事していた.しかし,1920年には37%に減少し,今日では3.7%にまで下がっている.
連合解消の後,ノルウェーは外務省を発足させ,各国に大使館・領事館を設置する必要が生じた.しかし,これをまかなう財源は極めて限られていた.そこで,クリスティアン・ミケルセン (Christian Michelsen) 率いる政府は,1905年,外交政策のガイドラインを作成し,この中で,ノルウェーが戦争に巻き込まれる可能性のある同盟への加入は避けるべきだ,と強調した.この中立政策は,国民の広範な支持を受けた.しかし,同時にノルウェーは国際的な調停を促進する活動には積極的にかかわっていくことになる.
第1次世界大戦中,ノルウェーは中立の立場を維持したが,ノルウェー商船隊は潜水艦の攻撃や機雷により甚大な被害を受け,約2000人の船員が命を失った.しかし,財政面では戦後賠償によりかなり潤った.このおかげで,ノルウェーは他国に所有されていたノルウェーの大企業 (Borregaard,スヴァールバルのスピッツベルゲン炭田など)を再び買収することができた.1920年,戦後の調停により,ノルウェーはスヴァールバル諸島における主権を維持することとなった.自由党は,1918年の総選挙の結果,過半数割れした.その後1945年まで,どの政党もストーティングで過半数を得ることができなかった.1928年に,労働党がはじめて政権を樹立したが,この政権はわずか19日間しか続かず,社会主義に反対する多数派によって打倒されてしまった.
1920年代に始まった世界恐慌は,ノルウェーにも影響を及ぼした.政府の通貨政策が問題をさらに悪化させた.貿易・海運業は多額の損失を蒙り,多くの銀行が倒産した.ノルウェー・クローネ(NOK)の価値は下がり始め,外貨の欠乏は深刻な状況となった.国庫への歳入は減り,地方自治体の多くが打撃を受けた.1920年の戦後調停のおかげで維持されてきた高収益は,革命思想の影響を受けた当時の労働者の激しい争議のために縮小した.失業問題は第2次世界大戦が始まるまで深刻だった.しかし,1932年に新たな好景気が始まり,ノルウェーの収支バランスが劇的に改善された.1935年から1939年の間,国の歳入は14億ノルウェー・クローネ上昇した.これは当時のノルウェーにとっては相当な金額にあたる.
1920年に,ノルウェーはそれまでの国際的な孤立政策に終止符をうち,国際連盟に加入した.戦争中に始まった北欧の協力関係は国際連盟において継続し,北欧諸国は軍事的な制裁には加担せず,平和維持のための活動を支援することを約束し合った.第2次世界大戦が勃発した時,ストーティング議長のカール・ヨアキム・ハンブロ (Carl Joachim Hambro) は国際連盟議長を務めていた.
1930年代の終わりごろには,戦争の脅威が目前に迫ったため,国防がノルウェーの政治上の最重要課題となった.社会主義者は以前から国防への予算措置に強く反対していたが,この考えは自由主義者たちからも部分的に支持された.1936年,労働党は国会で農民党の支持を得て,再び政権の座に着き,ヨハン・ニーゴールスヴォル (Johan Nygårdsvold) が首相に任命された.国防費は増額されたが,ノルウェー軍を実質的に強化するには,ときすでに遅すぎた.1939年に第2次世界大戦が始まったとき,ノルウェーは再び中立を宣言したのである.
★ ノルウェーと第2次世界大戦
ノルウェーは第2次世界大戦に際して中立を宣言したが,それはほとんど意味がなかった.1940年4月9日,ドイツ軍はノルウェーを攻撃し,2ヵ月間の激しい戦いの後,イギリスとフランスの軍事的な支援にも関わらず,ノルウェーは降伏を余儀なくされた.ノルウェー王室,政府,それに国防省と政府の幹部数名が国を去り,撤退する同盟軍と共にイギリスへ向かった.戦時中,ノルウェー政府はロンドンで亡命政権を組織し任務にあたることとなった.ノルウェーは,1945年にドイツが降伏するまで占領されていた.ドイツが降伏したとき,ノルウェーには40万人を下らない数のドイツ部隊が駐留していたが,当時のノルウェーの人口は400万人程度だった.ノルウェーを占領することにより,ドイツはノルウェー経済を搾取し,他の多くの占領地に比べ小規模だったとはいえ,ナチスによる処刑と大量殺戮の恐怖政治が敷かれた.
1945年5月8日,レジスタンスによるノルウェー部隊がナチス軍陣地を奪還し始めた.イギリスとスウェーデンから侵攻して来た連合軍とノルウェー軍が,これに徐々に加わった.連合軍は順調に占領地域を奪還していった.亡命していたノルウェー政府もイギリスから戻り,ホーコン国王が6月7日,イギリスの軍艦に乗ってオスロ港に入った.ドイツの強制収容所にいたノルウェー人も自由の身となった.終戦時に外国にいたノルウェー人は9万2千人で,そのうち4万6000人がスウェーデンに滞在していた.ドイツ占領軍は別として,ノルウェーには14万1000人の外国人が滞在していたが,そのほとんどが戦争捕虜であり,そのうち8万4000人はロシア人だった.
★ 第2次大戦後のノルウェー
ナチスからの解放の後,戦禍からの復興が最優先課題だということは誰の目にも明らかだった.1945年の選挙で労働党は議会で過半数の議席を獲得し,アイナル・ゲルハルドセン (Einar Gerhardsen) が率いる政府が組閣された.政府の目標は5年以内にノルウェーを復興させ,重工業を中心に工業化の速度を上げることだった.政治家が策定した計画より早いペースで経済は回復した.戦後わずか1年後の1946年に,工業生産,GDPとも戦前の1938年の実績を上回った.1948年から49年まで,ノルウェーの実質資本は戦前のレベルをはるかに超えた.この後,安定成長と発展の時代に入ることになる.
第2次世界大戦直後の数年間,ノルウェーは地味で目立たない外交政策を取り続けた.大国間の対立とブロック形成に巻き込まれないように,そこから十分な距離を置くことが狙いだった.初代の国連事務総長にノルウェーのトリグヴェ・リー (Trygve Lie) が就任したが,ノルウェーは国連が十分な安全保障を確保してくれることを願っていたのである.東西の緊張が徐々に高まるにつれ,ノルウェー外交も新しい方向に向かい始めた.ノルウェーは戦後復興対策として設立されたマーシャルプランに参加し,1948年から1951年にかけて,マーシャル基金から25億ノルウェー・クローネを受け取った.
1948年,チェコスロバキアが共産主義者の手に落ち,ソビエトがフィンランドとの協定と同様の防衛同盟を提案すると,ノルウェーは強く反発した.その後一時,北欧防衛同盟を結成しようという動きがあったが失敗に終わり,ノルウェーはデンマークと共に1949年にNATOに加入した.その後,ノルウェーで世論調査が何回か実施されたが,その都度NATOへの加盟が圧倒的に支持されていることが確認されてきた.
戦後,ノルウェー経済は着実な発展を見せた.国家を築くために莫大な財源が投入され,平等な社会建設が行なわれた.1960年代は,石油時代の全盛期となった.北海での試掘により豊富な油脈が発見され,大規模な原油・ガス生産が始まった.その後,ノルウェー海とバレンツ海でも油脈が発見された.現在,ノルウェー中央部沖のノルウェー海で,大規模な原油の採掘が行なわれている.現在,ノルウェーは世界第3位の石油・ガス輸出国となっている.石油・エネルギー産業は,ノルウェー経済を支えるとともに,貿易国へのエネルギーの安定供給に寄与している.
★ ノルウェーの産業・ビジネス
今日のノルウェーは,高度な福祉国家で,先進工業国としての発展を続けている.主要な産業は,まずエネルギー関連,次いで水産業,そして最近ではバイオ,ハイテク,新素材(ナノテク),IT 関連である.ここで再び,ノルウェー外務省のサイトから,その主な内容を紹介しておこう.
== 石油とガス ==
エネルギー輸出 ノルウェーは世界第7位の石油産出国であり,原油輸出国としては世界第3位である.またノルウェーは,西ヨーロッパで最も重要な天然ガス産出国でもある.そのため,石油関連事業はノルウェーの輸出品リストのトップにきている.2003年,原油と天然ガスの輸出は,ノルウェーの製品・サービスの総輸出額の40%以上を占めていた.さらに,世界最大規模の海洋油田施設の建設・操業によって,大規模な海洋油田技術産業が誕生した.
ノウハウの普及 海上での建設件数と生産量で見ると,ノルウェー企業は世界最大の事業者に数えられる.国全体の事業構成を見ると,油田の経済性を根本から変えた革新的技術に力を注いでいることがわかる.その一例として,海中から海岸に至る油田開発構想やコンピュータ制御の抗井仕上げがある.包括的に業務を請け負う多数の技術の会社は,ニッチ製品やサービスを提供するだけでなく,フィージビリティ・スタディから,固定式・浮遊式・海中生産システムの設計,設置,保全まで,油田開発プロジェクトの全行程を日常的に請け負っている.
革新的オフショア技術の実験室 北海は長年,世界有数の海洋油田地域の一つに数えられ,様々な形で技術を開発・試験する実験室としての役割を果たしている.スタートオイル社やハイドロ社のような企業の新技術開発能力はよく知られている.ノルウェー企業が最初に採用した先端技術の一例として,水平ボーリング,3次元地震学や浮遊・海中技術などがある.将来的には,環境に優しい石油回収技術の改良がますます重視されることにより,ノルウェーの石油・ガス産業は高い競争力を維持していくことだろう.
== 水産物 ==
ノルウェーは,世界の3大水産物輸出国の一つである.ノルウェーの水産物には,ノルウェー海やバレンツ海で獲れる天然の魚介類の他,ノルウェー沿岸に作られた何百という養殖場で飼育される魚がある.味と栄養価で高い評価を受けているノルウェー産の水産物は,鮮魚,冷凍品,加工品の形で約150ヵ国の消費者に向けて輸出されている.
ノルウェー沿岸は世界でも有数の優れた漁場であり,200種以上の魚貝類が生息している.今日最もよく知られているのはスクレイと呼ばれる産卵期のタラだ.この魚はノルウェーの北部沿岸の冷たい海で捕獲され,世界中のシェフに好評を博している.その他の人気がある魚貝類には,ニシン,サバ,様々な種類の白身魚,エビ,カニなどがある.近代的な漁船の使用と厳しい規制が,過度の漁獲を防ぎ,ノルウェー漁業の持続性を保っている.
水産物は,消化にいいタンパク質,ビタミン類,ミネラル類,必須脂肪酸の宝庫だ.ノルウェー産水産物は,鮮魚,冷凍の切り身,燻製,乾燥・塩漬けにしたタラ(クリップフィッシュ),フィッシュバーガー,そしてフライ製品,缶詰,マリネ製品のような加工製品など,あらゆる形で購入することができる.また,品質を重視する日本の寿司市場で,ノルウェー・サーモンの人気が高まっている.
== 情報通信技術 (ICT) ==
情報通信技術 (ICT)は,今やノルウェーの最も新しい主力産業である.この産業を構成しているのは,電気通信,ICTハードウェアおよびソフトウェア,産業電子工学,コンサルティング・サービス分野における様々な革新的ハイテク企業だ.
ノルウェーは国民1人当たりの ICT 利用度が世界で最も高い国の一つであり,陸上地球局,光ファイバー・ネットワーク,デジタル伝送路で構成されるシステムが十分に発達したインフラを備えている.ノルウェーの通信ネットワークの容量は急速に拡大しており,電気通信分野からは,ますます多くの国際競争力を持つ企業やかなり大規模な研究コミュニティが生まれている.製品としては,衛星通信システム,全地球測位システム (GPS),携帯電話システム,ネットワーク管理システム,伝送システム,光ファイバー技術などがある.
革新的なノルウェーのハードウェア設計者は,テレビ会議システム,マルチメディア・プロジェクター,デジタル無線送信器,テープを利用したデータ蓄積・ソリューション(問題解決システム),販売時点情報管理方式 (POS) のクレジットカード端末,電源装置のような数々の特殊な製品を開発してきた.
ノルウェーのソフトウェア革命は,石油産業,海運業,漁業といった伝統産業の発展によって一気に加速した.これらの産業には高技術でコスト節約型のソリューションに対するニーズがあり,またこのようなソリューションを開発してコストを負担する能力があったために,革新的なソフトウェアと統合システムの開発に弾みがついた.ICT 産業からは,データ,顧客関係,経営,財務の管理システムを含むソフトウェアおよびモジュール・ソリューション(独立型解決システム)を実際にすべての商業・公共部門に提供する会社が多数生まれた.またノルウェーの企業は,遠隔医療や遠隔学習の分野でも,先駆者としてその開発に力を入れている.
インターネットの利用はノルウェー全土に広がっており,さらに急速に拡大している.ノルウェー企業は,多機能の企業ウェブおよびイントラネット・サイト,超高速ウェブ・ブラウザー,オンライン・ゲームや電子商取引ソリューションの開発など,インターネット技術で最先端を走っているのだ.
今回の「ノルウェー編」の記述はかなり長文となったが,それだけ筆者の想いが熱いことを意味している.どの国にも,成功していればその要因があり,また失敗していればその原因がある.敗戦後の日本が,あの驚異的な高度成長期を経て経済大国に登りつめたとき,世界の人々は,いったい何が日本に「成功」をもたらしたのかと,しきりに日本人旅行者に問うたりしたものだ.そして今,「現在の日本は?」と旅先で聞かれれば,ただ「苦悶しているよ」と答えるしかないのが現実である.
このたび私はノルウェーに,ほんの3泊4日ではあったが旅してみて,今のノルウェーの「成功」を確実に感じとったのだが,その要因を資料等も紐解きながら吟味してみたかった.北欧諸国の中でもノルウェーは,とみに最近,絶好調といわれている.資源開発に恵まれたこともあろうが,それだけではない.長い時間をかけて積み上げてきた政治の風土もある.静かだが,人々の落ち着いた自信と活気がそこにある.これからの日本を考える上でも,きっと学ぶべき点が多い国ではないかと思われる.そんな想いから,ここに,ノルウェー外務省のサイト記事など多く参照させてもらいつつ,その国を「成功」に導いた人々の知恵と力を紹介してみた.
<参考文献> 『地球の歩き方(北欧編)』,その他『世界史年表』等,検索サイト多数.
<参考LINK>
★
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』/ノルウェー
★
ノルウェー王国基礎資料/日本国外務省
★
ノルウェー経済と日・ノルウェー経済関係/日本国外務省
★
最近のノルウェー情勢と日本・ノルウェーの関係/日本国外務省
★
ノールウェー公式サイト(ノルウェー外務省/日本語ページ)
★
ノルウェー観光関連LINK集
【次回は,各国別 : スウェーデン編へと続きます.】
(2006/05/09,帰国後の東京にて,筆者)