人生行路の旅,出会いと別れのソナタ

生活・仕事・旅行などの総合ブログです! カテゴリを選んでご愛読ください! (Sorry Japanese Only)

◆◆ 中米三国旅だより ◆◆ No.13

2005-12-30 | 2005_中米 再訪の旅
● ホンジュラスの首都・テグシガルパへ移動!
カミーノ・マヤをチェックアウト インターネットに熱中する観光客
 2泊をゆっくりと過ごしたホテル「カミーノ・マヤ」ともお別れである.朝食の後,チェックアウトをしてから,またバスの旅が待っていた.今日は,ホンジュラス第二の都市・サンペドロスーラ経由で,首都であるテグシガルパへ移動する.どういうわけか,ここコパン・ルイナスから首都へ向かう直行バスは出ていない.三角形の2辺をたどる迂回路だが,この国第二の都市・サンペドロスーラまでまず行き,そこでテグシガルパ行きに乗り換える.
サンペドロスーラ行きのバス 快適なバスの車内
 当初の計画では,この第二の都市でも少しの待ち時間があるようなので,乗換時間を利用して辺りを少し散策する予定であったが,残念ながらそれは果たせなかった.最初に乗るバスの発車時刻が少し後ろにずれたのと,乗換時の手続き(当地では長距離バスに乗る際にも,持ち物のセキュリティチェックが行われる!)などで時間をとられ,そのままテグシガルパ行きのバスの人となった.合計で7~8時間も乗っただろうか.この国の首都・テグシガルパに着いたころには,とっぷりと日も暮れていた.
 この地のホテルも,やはりインターネットで日本から予約を入れておいたのだが,調べが甘かったせいか所在地も電話番号も不明のままだった.バスセンターに着いたものの,どこへどのように足を運んだものかがわからなかった.群がるタクシーの運ちゃんたちと,早速交渉に入る.ホテル名を告げただけで,相手がどのような反応を見せるかが,交渉の勘所である.何とかそのホテルを知っていそうな運ちゃんのタクシーに乗る.そして,着いたところは別のホテルであった.幸いなことに,そのホテルのフロントにたずねたところ,目当てのホテルはその近くであった.タクシーの運ちゃんも,あながちでたらめではなかったようだ.こちら方面では,かなり上出来のほうではなかっただろうか.夕食をまだ済ませていなかったが,当のホテルにはレストランも何もなかった.しかたなく近くの店(別の大きなホテルの地下にあった)に買出しに行き,かろうじて食材を買い求めてホテルに持ち帰り,自炊まがいのわびしい食事となった. 
(2005/12/22,ホンジュラス/テグシガルパにて,筆者)

◆◆ 中米三国旅だより ◆◆ No.12

2005-12-30 | 2005_中米 再訪の旅
● 風邪気味,カミーノ・マヤで休養の1日を過ごす!
 日本を出てから10日目を迎えていた.そろそろ疲れも出る頃である.そんな経験則から,このホテルに2泊を予約したことは当たりであった.飛行機の長旅,毎日のように歩き回る観光散策,バスやコレクティーボに揺られて移動する行程,温泉に浸かったり冷たい池で泳いだりと,かなりきついスケジュールの連続であった.少し風邪気味の感もする.身体もだるく,ベッドでは明け方に足がつるのを感じた.持参の風邪薬をのんで症状は抑えたが,ここで無理をして拗らせてはたいへんである.思い切って,この日1日はホテルで休養をとることにした.旅だよりの原稿を書いたり,写したデジカメ画像の整理をしたり,睡眠をとったりと,ほとんど丸1日をゆったりと過ごした.
 以下に掲載する画像は,ホテルのベランダから撮影した辺りの風景,客を待つ例の「トゥクトゥク」たちと,街並みの断片である.夜は,この街でも,近くにあったインターネットカフェを訪れてみた.翌日のスケジュールもきつい,早々に就寝する.
客待ちをするトゥクトゥクたち
ホテル周辺の風景(1) ホテル周辺の風景(2)

(2005/12/21,ホンジュラス/コパン・ルイナスにて,筆者)

◆◆ 中米三国旅だより ◆◆ No.11

2005-12-28 | 2005_中米 再訪の旅
● 国境を越えホンジュラスへ!
グアテマラ側国境 ホンジュラス側国境
国境に待機するトラック群
 マヤの遺跡は,メキシコのユカタン半島から南へグアテマラ,ホンジュラス,エルサルバドルにと点在するが,中でもホンジュラスのグアテマラ寄り国境付近にはコパン遺跡(Copán Ruinas)があって,規模も大きく,よく整備されているというので訪問先に選んだ.
 チキムラからは,まずバスでエルフロリドという町まで行き,そこからコレクティーボでフロンテーラ(国境)にたどり着く.グアテマラ出国とホンジュラス入国の手続きをそれぞれ別々の窓口で行い,ホンジュラス側のコレクティーボに乗り換える.国境から20分ほど乗ったところに,その名もコパン・ルイナスという町はあった.
エルフロリドへ向かうバス 道中の露天市場(1)
道中の露天市場(2) 道中の露天市場(3)
エルフロリドのインディヘナ

● ホテルの名前は「カミーノ・マヤ」!
 昼過ぎにはこの町に到着したので,まずはホテルにチェックインして荷物を置くことにする.このホテル,その名もカミーノ・マヤ(マヤ街道?)といって,日本からインターネットを通じて手配を進めていた.ところがメールでの応答がなく,FAXで再度予約の確認を求めたが,やはり応答はなかった.行ってみるとちゃんと予約は入っていた.旅程も半ばを過ぎたころ,疲れも出てくる可能性があったので,このホテルには休養も兼ねて2泊分を予約しておいた.

● マヤ遺跡について,若干!
コパン・ルイナス(マヤ遺跡)
 詳しい解説は書籍等に譲るが,中南米の古代から中世にかけた歴史の中で有名なのは,アステカ,マヤ,インカである.これにもう一つ,テオティワカンを加えて,この4つの名前がすらすらと出れば,中南米にある程度興味をいだいたことになる.現在の地政区画でいえば,テオティワカンとアステカはメキシコ中央部,インカはペルーを中心とした地方,そしてマヤは前記したようにメキシコ南部からグアテマラ地方近辺にかけたメソアメリカ(中米)に位置している.

 メソアメリカでは,農耕社会成立後数百年経ってから,つまり紀元前1000~1500年頃にオルメカという神殿文化がおこり,その発展を基盤に,西暦紀元直前からメキシコ中央部に有力な宗教都市が発生し始めた,とされている.
 多くの巡礼を集め,南メキシコからグアテマラにかけておこりつつあったマヤ文化にも強い影響を与えた.マヤ文化では,密集型の集落は生まれなかったが,多くの人口を統制する神殿の複合体を中心に社会が構成され,一種の都市国家が数多く発生した.各国家間では争いも絶えなかったが,一方で通商も盛んとなり,中米の熱帯林の中に道が縦横に張り巡らされ,またメキシコ湾岸地方では,海路による通商も盛んだったという.
 マヤ文化は,その後領域国家の形成を見ずに,紀元9世紀のうちに滅んだとされ,謎が多い.
【参考文献:『物語 ラテン・アメリカの歴史』(増田義郎著,中公新書,2003再版)】

● トゥクトゥクに乗って遺跡見学へ!
トゥクトゥクの運ちゃん マヤ遺跡全景(ミニチュア)
 「トゥクトゥク」というのは,ミゼット形式の3輪オートバイのことで,お客を2~3名ほど乗せられる輸送手段である.東南アジアにも多く見られ,私は以前にラオスでこれをよく利用した.ラオスでも「トゥクトゥク」というので不思議な気もしたが,ここホンジュラスの現地の人はこれをちゃんと改まった顔つきで「タクシー」と言っていた.ほんの5分ほど乗れば,遺跡の入り口に着く.入場料を払い中に入ったが,たしかによく整備されていて,あまりにも整然と整頓されているので,多少は拍子抜けした.この風景はいくつかの画像で紹介するが,見学後のスケジュールでは後日談が伴った.
遺跡の入口(1) 遺跡の入口(2)
遺跡風景(1) 遺跡風景(2)
遺跡風景(3) 遺跡風景(4)
迎えてくれたインコたち

● 遺跡管理の職員が「アルバイト」!?
 遺跡の見学を終えてゲートを出ようとすると,職員の制服を着た係官が近づいてきて何やらしきりに話しを持ちかける.近くに温泉が湧いている川があるので,行ってみないかというのである.他にも客を拾って,4~5人にすると○○ドルでいいのでぜひ案内したいという.しばらく考えたが,温泉と聞くと行ってみたくもなる.面白そうなので,じゃあ客を拾いに行こうということになり,ダットサンまがいのトラックに乗ってセントロまで客を拾いに行った.結局,客は少なく,料金をつり上げてきたので,さあきたかと,私は断固として○○ドルの約束だと主張する.やめてもいいのだ,とも言ってみた.すると運ちゃん,怒ったように車を走らせ始めた.なだめるのに一苦労したが,悪い人ではなかった.30分以上も車を走らせて,目的地まで行ったが,夕暮れを過ぎ,あたりも暗くなっていたので,熱い湯の出る個所は見つからず,ぬるま湯に浸かっただけで早々に引き上げることにした.帰りには少しチップを弾んだので,運ちゃん,たいへん機嫌がよかった.たぶん遺跡管理の公務員の公然たるアルバイトと見えたが,この運ちゃんとは別に,本格的な銃をもった警備員も同乗させていた.「彼にも人件費を払っているんだよ」などと少しは愚痴りながら,ちゃんとホテルまで送ってくれたので一安心だった.
ホテル「カミーノ・マヤ」(1) ホテル「カミーノ・マヤ」(2)

(2005/12/20,ホンジュラス/コパン・ルイナスにて,筆者)

◆◆ 中米三国旅だより ◆◆ No.10

2005-12-26 | 2005_中米 再訪の旅
● グアテマラ中東部のチキムラへ!
チキムラへ向かうバス
 次の訪問予定地は,国境を越えてホンジュラス側に入り少し行ったところにある「コパン・ルイナス(マヤ遺跡)」であったが,いっきには行かずに休養も兼ねて途中グアテマラ中東部の小さな町・チキムラに1泊した.コバンからこの町に行くには,まずコレクティーボ(乗り合いのマイクロバス)でエルランチョというところまで行き,そこからチキムラ行きのバスに乗り換える.泊まった宿の名前はホテルとなっていたが,ペンション風の造りで,増築したと思われる新らしい部屋があてがわれた.
美男・美女のすてきな夫婦が経営しているようだが,他に雇い人の掃除のおばちゃんがいて,四六時中箒で敷地内を掃いて回っていた.あいその良い,かわいらしいおばあちゃんといった感じだった.
チキムラの街の風景 チキムラのカテドラル
チキムラの街並み チキムラの遠景

● チキムラでインターネットカフェを利用!
 グアテマラのインターネット事情については前にも触れたが,街角にインターネットカフェが多いのは目についていた.ここチキムラのような小さな町でも何軒か見かけた.このうち,宿舎に一番近い一軒を訪ね,自分のパソコンを持ち込んで接続してもいいかとたずねたところOKだという.そこでいったん宿に戻り,持ち回っているパソコンと電源アダプタ,そしてLANケーブルを携えて再びカフェを訪れた.30~40分ほども利用しただろうか,料金は100円程度であった.久しぶりにメールのチェックも行い,ブログのアップロードやスカイプ通話も存分に行えた.

(2005/12/19,グアテマラ/チキムラにて,筆者)

◆◆ 中米三国旅だより ◆◆ No.9

2005-12-26 | 2005_中米 再訪の旅
● セムクシャンペイ/ランキンの1日観光に参加!
セムクシャンペイの景色
 早朝,マイクロバスがホテルに迎えに来た.いくつかのホテルを回って予約客を拾う.その内の一つのホテルでまず朝食,ここで初めて日本人旅行者に会う.同じ1日観光に参加するという20代の女性2人,うち1人はまだ学生だとか,中南米の国際関係論が専攻で,卒論のテーマ探しに旅をしているというのが公式の口実らしい.

 総勢10人余りとガイドを乗せたマイクロバスは,一路セムクシャンペイへと向かう.11時過ぎに現地着,緑豊かで滝のある渓谷だった.さらに上の山へ徒歩で登って景色を楽しむ者,ふもとの池で泳ぐ者と二手にわかれた.私は泳ぐほうを選び,水着に着替えて多少は水に浸かったが,岩が滑って大変だった.1日観光に含まれていてマイクロが持参したランチを皆で食べ,しばし休憩の後に再び出発.
池で泳ぐ者あり セムクシャンペイの案内板

 この間,グループに参加していた若い中国人女性といくらかの会話を交わした.香港から来ているという,日系企業(ニコンか?)に勤めていたが,そこを辞めて半年の旅に出ているという.スケールが違う.私がかつて3ヶ月かけて中南米を回った話をすると,どうしてそんな短い期間の旅にしたのだという.彼女の旅は,最短でも半年単位といことだ.中国経済は目下上向いているので,帰れば職はすぐに探せるといっていた.マーケティングが専門らしい.

 国際関係論が専攻の日本人女子学生とは,中南米諸国の政治史などの話を少しした.もっと話したいとのことであったが,時間不足だった.来年の2月にはつくばのほうの大学に戻る由なので,メール交換をしようと約束した.中南米諸国の比較政治史が面白いよというと,コスタリカの政治が日本の憲法9条との関係で興味深いといっていた.帰国後の再会が楽しみである.

 休憩後,再び移動して次に訪れたのは,ランキンというところにある洞窟だった.いわく「洞窟探検ツアー」とのことだが,日本でいえば鍾乳洞のようなところ.中は真っ暗でところどころに小さな電球の明かりがあって順路を示す.水分を含んだドロドロの土と石段でアップダウンがかなりあり,手すりを伝って一周するのにひじょうに骨が折れた.特徴ある形状の岩や石には動物などの名前がつけてあるのも,いずこも同じ趣である.足元が滑りやすいので転倒した者もいたようだが,幸い怪我をした者はいなかった.夕刻には,参加した者が泊まるそれぞれのホテルまで,マイクロバスが送り届け,無事にこの1日ツアーも終了した.
ランキンの洞窟探検ツアー 夜のコバンの街

(2005/12/18,グアテマラ/コバンにて,筆者)

◆◆ 中米三国旅だより ◆◆ No.8

2005-12-24 | 2005_中米 再訪の旅
● グアテマラ中央部の観光地・コバンへ!
 週末はグアテマラの人々にも人気の観光地を訪れるべく,首都からバスに乗り込んだ.約200kmほど北に離れたコバンに向けて,4時間ほど走った.バスは大型で空調も入り,座席指定の快適な車両であった.町のはずれで長距離バスを降りてから,ホテルのあるセントロまで少し歩いた.低地のため,気温も上がり,久しぶりに汗もかいた.
コバンへ向かうバス チャメルコの街並み
チャメルコのカテドラル コバンのホテル内景

● 織物を織っているという村(チャメルコ)を訪ねる!
 ホテルにいったん荷物を置き,近くの村に織物を織っている所があるというので30分ほどまたバスに乗って出かけたが,完成品は売ってはいるものの,織物をしている現場を見ることはできなかった.話は少し戻るが,アンティグアにてもいくつかの織物売り場を訪れた.ていねいに案内してくれたインディヘナの少女に軽口をたたきながら,ただ見物するに徹し,何一つ買おうとしないためか,案内少女の顔もだんだんさびしそうになっていった.もちろん,一所懸命に案内し,いろいろと説明してくれた彼女には,応分のお礼はしたのだが...
 翌日の日曜日は,人気の観光地・セムクシャンペイとランキンを回る1日コースのエクスカーションに予約した.朝6時半に出発とのこと,いつになく早寝をすることとした.

(2005/12/17,グアテマラ/コバンにて,筆者)

◆◆ 中米三国旅だより ◆◆ No.7

2005-12-24 | 2005_中米 再訪の旅
● この国最大規模の金曜市を見物!
 朝7時起床,ホテルで朝食,9時頃例のタクシーの運ちゃんが車を回して迎えに来る.シェラ近郊のオリンテペケ村経由でサンフランシスコエルアルトという町を訪ねる.ここではちょうどその日,グアテマラ最大規模の金曜市が開かれるということで,急遽スケジュールに追加した.町に入ると,巨大な喧騒が待ち構えていた.人と車,テントと商品,そして牛や豚に羊,鶏に七面鳥といった動物類が所狭しとひしめいている.クリスマスも近いことから,食料品や雑貨類にも時節にちなんだ商品類が雑然と並べられていた.近くの村々からは,それぞれの地域ごとに特色をもつ民族衣装(ウイピル)で着飾ったインディヘナ女性たちが,売りたい商品,あるいは買い込んだ商品をかついで,ぶつかりながら行き交う.広大な広場に展開するこの光景を文字で描写することは難しい.以下に,いくつかの画像を掲載して,説明にかえることにする.
金曜市場(1) 金曜市場(2)
金曜市場(3) 金曜市場(4)
金曜市場(5) 金曜市場(6)
金曜市場(7) 金曜市場(8)

● 首都のホテルで中継の1泊!
 昼過ぎ,金曜市の町をあとにグアテマラの首都・グアテマラシティへと向かう.途中のドライブインにて遅めの昼食,首都のホテルには陽も落ちた6時半頃に着いた.日本からインターネットで予約を手配していたホテルで,さほど高くはなかったものの,すてきなホテルだった.このホテルは,無線LANを経由してのインターネットアクセスが売りだったので,早速セットアップしてみたがつながらなかった.エアステーションまでは接続できて,LANの内部は見えるものの,外部幹線との接続が不可である.フロントにたずねると,ホテル外での回線障害で,1時間ほど待ってくれという.結局,朝まで待ってもつながることはなかった.首都がこの調子では,これから先の地方都市での状況が思いやられたが,まあアバウトがお国柄,すばらしいホテルのたたずまいとのちぐはぐさが,首都の第一印象となった.
首都への移動(1) 首都への移動(2)
首都への移動(3) 首都への移動(4)

(2005/12/16,グアテマラ/グアテマラシティにて,筆者)

◆◆ 中米三国旅だより ◆◆ No.6

2005-12-22 | 2005_中米 再訪の旅
● グアテマラ第二の都市・ケッツアルテナンゴ(シェラ)へ!
 アンティグアを朝7時頃,例のチャーター・タクシーで出発,一路西へと向かい,グアテマラ第二の都市・ケッツアルテナンゴを目指した.この町は,また別名を「シェラ」ともいい,かつてスペイン人がこの地域に侵入したときに,最後まで徹底抗戦したインディヘナの勇敢な指導者がいたことで有名である.アンティグアよりもさらに高地(標高2300m位)とのことで,服装は厳寒態勢となったが,道中それほど寒い局面はなかった.途中のドライブインで朝食とも昼食とも区別のつかない食事をしてさらに走行し,昼過ぎにはシェラ近郊の温泉村を訪れた.目的に選んだ一軒の共同温泉風呂は,あいにく工事中とかで閉鎖されていたが,少し離れたところに別の温泉村があり,ここは個室形式の部屋の中に湯舟があって,まろやかな成分の熱いくらいの湯にのんびりと浸かることができた.東京からの遠い旅路の疲れもいっぺんに消えていった.
トルティージャを焼く少女 閉まっていた温泉街
スニルのカテドラル スニルの風景(1)
スニルの風景(2) 個室形式の温泉部屋
個室形式の温泉街 シェラのカテドラル

 このタクシーの運ちゃんとの当初の契約では,午後3時頃にホテルまで送ってもらって解放し,空の帰り車となる予定であったが,道中の会話で「よかったら翌日も案内したい」などと言い出した.早速に値段の交渉に入る.必ずしも値段だけの動機ではなかったが,総合的にみてこの運ちゃんの申し出を受けたほうが合理的であるように思えた.結果,この運ちゃんも,その日はこの町で1泊することになった.

 シェラのホテルでは,またまたエピソードに包まれた.深夜の3時頃,隣の部屋からテレビの大音響が聞こえてきて,眠るどころではない.フロントに電話するも,簡単には解決しなかった.電話にも応答がないらしい.それほどの大音量でテレビドラマなどを観ていたのだろう.再度フロントに苦情を言うと,しばらくたってやっと騒音が消え,ようやく静寂の夜が訪れた.寝不足ぎみとはなったが... 

(2005/12/15,グアテマラ/ケッツアルテナンゴにて,筆者)

◆◆ 中米三国旅だより ◆◆ No.5

2005-12-22 | 2005_中米 再訪の旅
● 世界遺産のアンティグア市内を見物!
 この日はアンティグアの市内見物に充てた.天気は快晴.アンティグアはかつてこの国の首都だったこともある古い街で,現在では世界遺産に指定されている.1773年頃,大きな地震があり,街は崩壊し,人口も激減したので遷都した由である.世界遺産に指定されると,街並みをやたらにいじることができない.半ば崩壊したままの建物はそのまま残され,道路もボコボコの石畳なので,少し歩くと足がくたびれてしまう.また,標高1500mほどあるせいか,多少空気も薄く,動くと息遣いが荒くなる.

 夕刻には,アンティグア近郊の町(村?)へバスに乗って出向き,アンティグア在住の彼女が織物を習いに通ったというインディヘナの老婆を訪ねた.貧しい村の,貧しいたたずまい,そしてあまりにも質素な生活をそこに見た.

 以下には,この街・アンティグアでの画像を少し並べて紹介しておこう.
(なお,以下に掲載する写真の中には人物ポートレートもいくつかあるが,これらはすべてご本人の承諾を得て撮影し,またあるときは代金も支払済の画像である.)
アンティグア(1) アンティグア(2)
アンティグア(3) アンティグア(4)
アンティグア(5) アンティグア(6)
アンティグア(7) アンティグア(8)
アンティグア(9) アンティグア(10)
アンティグア(11) アンティグア(12)
インディヘナの女性

(2005/12/14,グアテマラ/アンティグアにて,筆者)

◆◆ 中米三国旅だより ◆◆ No.4

2005-12-20 | 2005_中米 再訪の旅
● メキシコの朝は快晴,ホテルで朝食をとる!
メキシコのホテルで(1) メキシコのホテルで(2)
 朝7時起床,雲ひとつない快晴であった.ここメキシコは標高のせいか動き回ると息苦しい気がする.ホテルの中庭に出てみると,このホテルがかなり快適なホテルであったことに気がつく.プールもあり,レストランもすばらしい.バイキング方式の朝食をとったが,いつもながらの習慣であまり多くを食べられず,ひじょうにもったいない気がした.料理やフルーツ類が多品種,大量に並んでいたからだ.

 この朝食では多少のエピソードがあった.食べ終わり,サインを終えてレストランを出ると,ウェイトレスが追いかけてきて,代金がまだだという.すべて込みのバウチャーをフロントに渡してあるので,よく読むようにと告げてみた.そのバウチャー,コメントは英語で書かれていた.2~3人が寄ってたかって解読していたが,やおらそのウェイトレスがOKだったといいに来た.良かったネといって肩をポンポンとたたく.その後,あたりの風景を写真に収め,部屋へ戻ってパソコンの充電などしてチェックアウト,少し早いが空港へ向かった.
 
● 一路,グアテマラへ(タカ航空にて)
 タカ航空の電子チケットも難なく取得できた.グアテマラ往復のチェックインが完了した.ただし,ここで空港税20ドルをとられた.再び休憩,カフェコンレチェを飲む,28メキシコペソだった.

 パソコンを持参する際の注意事項を若干.成田ではそういうことはないが,アメリカ,そしてメキシコでも,ゲートでは必ずパソコンを持参しているかどうかをきかれる.そしてカバンから出して機械を通過させるようだ.これは,損傷することを避けるために,電磁波を弱めて通すらしい.親切といえば親切だが,カバンへの出し入れでは多少の面倒が伴う.

 メキシコ空港の印象は,だだっ広いとこは前述したが,思いのほかきれいである.整然として落ち着いた雰囲気があり,店も豊富なようだ.ただ,警官の数がやたらに多い.もっとも,メキシコ特有のハーフで美人の女性警官が多いので安心する.

 飛行機は小型機だったので,左右に3人掛けが2列並んでいた.私の席はエコノミークラスの前から2番目,左側の窓際であった.飛行の高度も低かったので,眼下に陸上の景観もよく見えた.メキシコシティからグアテマラまでは,東南方向に約2時間のフライトである.離陸は少し遅れ,TA211便は15:28離陸,乗客は40%程度であったが,グアテマラシティのアウロラ空港にはほぼ定刻の16時55分に着いた.タカ航空の飛行機は新しくて乗務員の対応も良かった.

 アジア人は私のほかに中国人青年が1人,あとは数人のヨーロッパ系観光客がいて,残りはグアテマラ人とメキシコ人と思われる.上流階級の人が多いように見受けられた.飛行時間が短いので,機内サービスは飲み物(今度はビールが無料だった!)にスナック菓子,ただし希望により軽食の有料サービスも行っていた.

 グアテマラのアウロラ空港は,15年前とあまり変わったようには見えないが,内装だけはきれいに整頓されていた.入国手続きも難なく済ませ,ゲートを出るとやはりこの国独特の喧騒が待っていた.人の垣根をぬうようにして外に出る.ここでは前述の知人の女性が出迎えにきているはずであった.ただ,人が多く,いちいち顔は確認できない.するとどこからともなく「○○さ~ん!」という日本語が聞こえてきた.順調に再会できたのだ.彼女は,空港から45kmほど離れたアンティグアという街から,地元のタクシーを使って出迎えに来てくれていたのだ.そのタクシーの運ちゃんも彼女とは知己の仲とか.当初は路線バスを乗り継いで行く計画もあったが,安全のためにタクシーのチャーターがベターとの選択肢となった.もっとも,そのタクシーは,後日に国内の一部を移動するときに利用する手配となっていた.

 タクシーといっても車自体はマイクロバスだった.われわれ3人は,暗くなった夜道をひたすらアンティグアに向かった.18時半ころアンティグア着,とりあえず彼女の家へ,ここはインターネット環境があるのでメールチェック,ブログのアップロード等を行った.持参のプリンタ(これは彼女の要望も受けて,日本で購入して持参したもの)もセットアップを完了した.ちなみに,彼女のパソコンはMacであったので,セットアップには多少苦労した.グアテマラ到着の第一日目は,このようにして過ぎていった.
アンティグアのねこ アンティグアの夜のアルコ

(2005/12/13,グアテマラ/アンティグアにて,筆者)

◆◆ 中米三国旅だより ◆◆ No.3

2005-12-14 | 2005_中米 再訪の旅
● 一路,アトランタへ!(デルタ航空にて)
 出発の日の東京は寒い朝となった.天気は晴れだが気温は7℃とかで,雪もちらつくかもしれないとの予報であった.7時起床,いつもながらに朝食の後,持ち物と資料類の再点検をしてから朝風呂に入り,コーヒーでくつろいだ.行きの機内で読もうと思って今月の初めに注文しておいた書籍が,ぎりぎりで配送されてきた.たぶん間に合わないと思い,他に2冊新書本を買い込んでいたので,合計3冊となる.少し重いが持参することにした.

 14時頃成田空港着,第二ビルのデルタ航空のカウンターへ行き,電子チケットを手に入れた.パスポートの提示のみでアトランタ経由メキシコシティ行きの2枚の搭乗券がその場で発行された.
"ELECTRONIC TICKET" と印字された搭乗券を使うのは今回が初めてである.メキシコからグアテマラへ向かう航空券もやはり電子チケットで購入済なので,メキシコシティの空港で受け取る仕組みとなっている.かなり能率が良い.時代も変わったものだと痛感した.

 成田空港のチェックインは,とくに米国系の航空会社を使う場合は一段と厳しいとされている.なるほど,看板には「ライターの所持不可,マッチは4個まで」などと書いてあった.いまどきマッチと手に入れるのは困難である.どうなることかと,ライターを2~3個所持したまま進んでいったら,なんと靴は脱がされたものの難なく通過してしまった.案ずるより産むがやすしである.おかげで,その後も順調にタバコを吸うことができた.

 フライトは若干遅れたが,17時10分に離陸した.満席であった.約11時間半くらい飛んでアトランタへ着いたのだが,特記しておかなければならないことがある.デルタ航空のエコノミーの場合,アルコール類の飲み物はすべて有料であった.小さいほうの缶ビールが5ドルまたは600円で,一度だけ飲んだが,だれも飲んでいないことに気づき,その後はジュースとコーラに徹することとなった.こういう飛行機旅は,私にとってはめずらしいことである.まあ,これもいいかと,自分に言い聞かせていた.ひたすら読書とウトウトに時間をゆだね,おとなしくしていたが,隣のペルー人とかいう老人がコーヒーにやたらに砂糖を入れすぎるので注意すると,この老人,ペルー北部には強い酒があって90度以上だぞ,などとわけの分からない弁解をしていた.私もメキシコへ着いたらテキーラを飲むのが楽しみだ,などというと,この老人,ニコッと笑って黙り込んでしまった.

● アトランタからメキシコシティへ
 アトランタでは5時間ちかくの待ち合わせがあった.予定より早いメキシコ行きの便を見つけたので変更を交渉してみたが,電子チケットではこれができないらしい.しかたなく,空港内をうろうろしながら4時間あまりを費やした.ほとんどの時間は「喫煙室」と「バー」,そして「トイレ」への行き来に終始したようだ.そして予定通りのメキシコ行きの便に乗り,3時間3分のフライトで22時30分にメキシコシティに到着した.(アトランタとは1時間の時差があった.)
 メキシコシティの空港はたいへんに大きい.空港内で迷子になりそうである.やっとのことで,予約済みのホテルに向かうシャトルバスの乗り場にたどり着いた.30人ほどは乗れるマイクロバスが来たが,どういうわけか私一人が乗客だった.まあまあのホテルに1泊し,一晩あけて朝食も済ましたが,こちらでは今,13日の朝を迎えている.雲ひとつない快晴の朝となった.
メキシコ空港の風景(1) メキシコ空港の風景(2)

 では,いよいよグアテマラへ出発することにしよう.

(2005/12/13,09:30 現地時刻,メキシコシティにて,筆者)

◆◆ 中米三国旅だより ◆◆ No.1

2005-12-11 | 2005_中米 再訪の旅
● 15年ぶりに中米再訪へ (旅の動機)
 今からちょうど15年前,1990年の夏に,私は約3ヶ月(89日間)にわたる中南米諸国歴訪の旅に出た.15ヶ国,39の都市(町)を訪れた,と当時の記録には残っている.この旅の詳細は,ジャンルをあらためて別稿として掲載の予定なので,ここで深くは触れない.
 ただ,そのときの感想として,「この国は機会があればもう一度訪ねたいな」と思った国が三つあった.それは,グアテマラ,ベネズエラ,チリである.それぞれに私なりの理由があるのだが,それにもここでは触れないでおこう.このうち,チリには今から4年前の2001年12月に再訪する機会があった.このときは,チリの本土ばかりか,太平洋上にはるか離れたイースター島にも足をのばした.

 グアテマラは中米だが,この国はたいへん魅力的な国である.どのように魅力的かは,後の稿に譲ろう.たまたま,この国には,3年ほど前から半ば住み着いている私の友人がいる.一時期スペイン語を共に学び,またあるときはIT関連のNPOを立ち上げるに際して協力を仰いだ仲間でもある.グラフィックデザイナーが本業だったようだが,どういうわけか中米にはまってしまったらしい.織物や刺繍の魅力にとりつかれたのかもしれない.勇気のある,独特な人生観をもった女性であることは間違いない.この彼女から,過日ふとメールがきて,「日本のテレビにチョイ役で映るから観て...」との情報が寄せられた.たしかに,ある番組でちらりと映ったのが確認できた.元気そうである.「観ましたよ,元気そうで何よりですね!」との返信メールを返し,ついでに冗談半分で「そのうち遊びに行くかも...」などと書いてみた.そしたら,早速に「首を長くして待っている」などと,またメールが届いた.たぶん,「そのうち」とは不定の未来とでも思ったのかもしれない.その気になったら,フットワークが軽いのが私の取柄である.早速,その冗談を現実にする企画にとりかかった.

 ちょうど良い機会とも思った.前述の再訪したい国の一つでもあったからだ.そして私は,この企画を勝手に膨らませて,この際だからグアテマラを皮切りに中米諸国をすべて回ってやろうと計画を練った.ちなみに,中米諸国とは,一般にはグアテマラ,ベリーズ,ホンジュラス,エルサルバドル,ニカラグア,コスタリカ,パナマの七ヶ国を指す.カリブ海に浮かぶ島々の諸国はいちおう除かれることが多い.計画を練ってはみたが,これら七ヶ国を一度に回るには,やはり時間不足であることが判明した.いろいろと工面して休暇をつないでも,2週間程度が限度である.そこで今回は,このうち友人の滞在するグアテマラを含めて三ヶ国に絞ることにした.ベリーズはすでに行ったことがあったので,前回(15年前)の旅でも回り損ねたホンジュラスとエルサルバドルを加えた旅程が完成した.残りのニカラグア,コスタリカ,パナマの三国は,また後日の課題として残すことにした.

 そして師走に入った12月中旬,この旅に出発することとなった.往路はデルタ航空を使って成田からアトランタ(米・ジョージア州)へ約12時間ほど飛び,そこで5時間ほど時間待ちしてやはりデルタ航空でメキシコシティへ2時間半ほどかけて飛ぶ.日付変更線をまたぐので,同日中に着いてしまう.メキシコに1泊した翌日に,タカ航空でグアテマラシティへ向かうという行程である.デルタの格安航空券からタカ航空の個別手配まで,すべてインターネットを通じて電子チケットを手に入れた.
 ブログをご愛読いただいている読者の皆様へのご参考にと,次号では中米方面の地図などを図版で紹介しておこう.中米各国には,世界遺産も数多く点在する.そのうちの,はたしてどのくらいを回れるか,時間と体力の勝負にもなるが,まあ,あまり無理をせず,いつもながらのぶらり旅でいこう.

(2005/12/11,出発前夜・東京にて,筆者)