● ベネズエラ第二の都市マラカイボへ!
マラカイボはカリブ海に面したマラカイボ湖のほとりにある.この国の富の源泉となった石油地帯スーリア州の州都である.この都市へはカラカスから空路(アベンサ航空VE0005便)で約1時間かけて移動した.7月22日早朝のことであった.
同行した友人の記録によれば,機上から見えた市街は,細長い緑の半島に包まれた紺碧の入江に臨む美しいたたずまい,イタリアのベニスにそっくりだったという.事実,「ベネズエラ」とは「小ベニス」という意味で,初めてこの地を訪れたスペイン人が名づけたそうである.
空港には,あらかじめ連絡してあったので,地元のエスペラント関係者が子供たちも含めて多数出迎えに来てくれていた.何と,花束も贈呈されたのである.2台の車に分乗して市内へと向かい,市内見物や交流会などとスケジュールは朝からたいへん過密となった.午後はテレビ局のインタビューが待っていた.たぶん日本人の来訪は珍しかったのだろう.それに地元のエスペラント関係者は,この機会にいろいろと宣伝効果をねらった演出をしたかったのかもしれない.途中,NGを含めて2度の収録の後,無事にこの取材も終了した.
夜はパーティが待っていた.お別れパーティとのことである.場所は地元関係者の住むアパートの一室,総勢14,5名ほどが集まっていた.外は雨が降り出したが,室内のパーティはかなりの盛り上がりを見せた.挨拶あり,記念品の交換あり,歌ありと,しばしの間,エスペラント語とスペイン語が混ざり合って賑やかな一夜となった.この街にはたった1日の滞在だったが,なんと過密なスケジュールだったことか.次の日は,これまた早朝に,国境を越えてコロンビアのカルタヘナへ向かうことになっていた.
● たいへんだった国境越え,コロンビアへ!
当初の計画では,マラカイボからカリブ海沿いにバスで陸路国境を越え,途中1泊してコロンビアのカルタヘナへたどり着く予定であった.ところが,マラカイボの地元の人々によると,陸路で国境を越える途はたいへん危険だという.ベネズエラとコロンビアの関係はあまり良くはない上に,地元の人たちでさえ,そのような途は選ばないというのだ.いったんカラカスに戻って,そこから空路コロンビアへ入国することを盛に勧められた.だが,あまり面白くない.来た途をそのまま戻るなどということは,想定外でもある.
そこで私は,パーティに来ていた地元テレビ局のカメラマンにいろいろと尋ね,別のルートがないかどうかを探ってみた.一つ,あるという.それは,多少方向違いとはなるが,マラカイボから南西方向にあるサン・アントニオへ飛び,そこからタクシーで陸路国境を越えてコロンビアのククタへ出て,そこからまた空路でカルタヘナへ向かうというものであった.ただし,このカメラマン,自分もそのルートで実際に移動したことはなく保証はしかねる,というものだった.面白いかもしれない.所詮,旅はアベントゥーラ(アドベンチャー)である.それで行ってみよう.同行の2人もしぶしぶ同意したので,その行程を採用することにした.
7月23日の早朝,地元マラカイボの医師の車で空港へ送ってもらい,チケット(アベンサ航空)も難なく購入できて,約30分のフライトの後,小さな国境の街サン・アントニオに着いた.緑の丘陵がすぐそばに迫る,静かな小さな飛行場だった.やっと朝食をとって,これが課題のタクシーをピックアップ,「インターナショナル・ブリッジ」を渡ってコロンビアに入った.
無事に国境を越えられたと思っていた.しかし,やはりトラブルは起こった.ベネズエラ側のゲートを通過する際に,タクシーの運ちゃんが何かを言っていたが,よく聞き取れなかったこともあり,「バーモス,バーモス,アデランテ!(行こう,行こう,前へ!)」などと景気をつけ,そのまま突破してしまった.コロンビア側での入国審査の際,これが発覚してトラブルとなったのだ.つまり,ベネズエラの出国スタンプが押してないというのだ.もう一度戻って,押してもらってこいというのである.そんな時間はない,次のフライトの時刻も迫っている.
実は時間的には余裕もあったのだが,少しここで会話の練習でもしてみようと開き直った.「そんな時間はない,タクシーの運転手にきいてくれ」と言い張った.強い主張をするときには,怒った顔でなく,微笑みながらしゃべるのが交渉ごとのコツである.相手の係官も根負けし,「しょうがねえな」との顔つきをしてニッコリ笑いながら入国スタンプを押してくれた.もちろん,こちらも「グラシアス!」の一語は欠かしてはいけないのである.こうして,コロンビア側のやはり小さな空港ククタからアビアンカ航空便に乗り,約40分のフライトの後,コロンビアのカリブ海に臨む港町カルタヘナに到着した.
【次は,コロンビア編に続きます.】
マラカイボはカリブ海に面したマラカイボ湖のほとりにある.この国の富の源泉となった石油地帯スーリア州の州都である.この都市へはカラカスから空路(アベンサ航空VE0005便)で約1時間かけて移動した.7月22日早朝のことであった.
同行した友人の記録によれば,機上から見えた市街は,細長い緑の半島に包まれた紺碧の入江に臨む美しいたたずまい,イタリアのベニスにそっくりだったという.事実,「ベネズエラ」とは「小ベニス」という意味で,初めてこの地を訪れたスペイン人が名づけたそうである.
空港には,あらかじめ連絡してあったので,地元のエスペラント関係者が子供たちも含めて多数出迎えに来てくれていた.何と,花束も贈呈されたのである.2台の車に分乗して市内へと向かい,市内見物や交流会などとスケジュールは朝からたいへん過密となった.午後はテレビ局のインタビューが待っていた.たぶん日本人の来訪は珍しかったのだろう.それに地元のエスペラント関係者は,この機会にいろいろと宣伝効果をねらった演出をしたかったのかもしれない.途中,NGを含めて2度の収録の後,無事にこの取材も終了した.
夜はパーティが待っていた.お別れパーティとのことである.場所は地元関係者の住むアパートの一室,総勢14,5名ほどが集まっていた.外は雨が降り出したが,室内のパーティはかなりの盛り上がりを見せた.挨拶あり,記念品の交換あり,歌ありと,しばしの間,エスペラント語とスペイン語が混ざり合って賑やかな一夜となった.この街にはたった1日の滞在だったが,なんと過密なスケジュールだったことか.次の日は,これまた早朝に,国境を越えてコロンビアのカルタヘナへ向かうことになっていた.
● たいへんだった国境越え,コロンビアへ!
当初の計画では,マラカイボからカリブ海沿いにバスで陸路国境を越え,途中1泊してコロンビアのカルタヘナへたどり着く予定であった.ところが,マラカイボの地元の人々によると,陸路で国境を越える途はたいへん危険だという.ベネズエラとコロンビアの関係はあまり良くはない上に,地元の人たちでさえ,そのような途は選ばないというのだ.いったんカラカスに戻って,そこから空路コロンビアへ入国することを盛に勧められた.だが,あまり面白くない.来た途をそのまま戻るなどということは,想定外でもある.
そこで私は,パーティに来ていた地元テレビ局のカメラマンにいろいろと尋ね,別のルートがないかどうかを探ってみた.一つ,あるという.それは,多少方向違いとはなるが,マラカイボから南西方向にあるサン・アントニオへ飛び,そこからタクシーで陸路国境を越えてコロンビアのククタへ出て,そこからまた空路でカルタヘナへ向かうというものであった.ただし,このカメラマン,自分もそのルートで実際に移動したことはなく保証はしかねる,というものだった.面白いかもしれない.所詮,旅はアベントゥーラ(アドベンチャー)である.それで行ってみよう.同行の2人もしぶしぶ同意したので,その行程を採用することにした.
7月23日の早朝,地元マラカイボの医師の車で空港へ送ってもらい,チケット(アベンサ航空)も難なく購入できて,約30分のフライトの後,小さな国境の街サン・アントニオに着いた.緑の丘陵がすぐそばに迫る,静かな小さな飛行場だった.やっと朝食をとって,これが課題のタクシーをピックアップ,「インターナショナル・ブリッジ」を渡ってコロンビアに入った.
無事に国境を越えられたと思っていた.しかし,やはりトラブルは起こった.ベネズエラ側のゲートを通過する際に,タクシーの運ちゃんが何かを言っていたが,よく聞き取れなかったこともあり,「バーモス,バーモス,アデランテ!(行こう,行こう,前へ!)」などと景気をつけ,そのまま突破してしまった.コロンビア側での入国審査の際,これが発覚してトラブルとなったのだ.つまり,ベネズエラの出国スタンプが押してないというのだ.もう一度戻って,押してもらってこいというのである.そんな時間はない,次のフライトの時刻も迫っている.
実は時間的には余裕もあったのだが,少しここで会話の練習でもしてみようと開き直った.「そんな時間はない,タクシーの運転手にきいてくれ」と言い張った.強い主張をするときには,怒った顔でなく,微笑みながらしゃべるのが交渉ごとのコツである.相手の係官も根負けし,「しょうがねえな」との顔つきをしてニッコリ笑いながら入国スタンプを押してくれた.もちろん,こちらも「グラシアス!」の一語は欠かしてはいけないのである.こうして,コロンビア側のやはり小さな空港ククタからアビアンカ航空便に乗り,約40分のフライトの後,コロンビアのカリブ海に臨む港町カルタヘナに到着した.
【次は,コロンビア編に続きます.】
(2006/02/26,回想執筆時,筆者)